◆4-8 ものと闇とが溶けあうころ
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「あら、みなさん凍ったリリーみたいな顔ね。何か問題でもおありで?」
白く咲いた一輪のリリーを取り囲んだ三人は、呆然と彼女を見つめた。
薄暮の光を肌に受けた、この国の第一王女は、まるで何事もなかったかのように無表情で立っている。
エピフィラムは、渦巻く戸惑いの空気を、気に留めるそぶりもみせず、コーエンのそばまで音もなく近寄ってきた。
「もう一度言うわ。管理塔にいらっしゃい。ものと闇とが溶けあうころ――いいわね」
王者然と一方的に告げると、こちらの反応を待つこともなく黒いドレスの裾を翻す。
「では、ごきげんよう」と、挨拶を捨てて部屋から出て行った。
三人はその後ろ姿を見送った。
*
エピフィラムの気配が消えた途端、エックハルトは水底から浮かび上がったように息を吐き出すと、矢継ぎ早に問い詰めてきた。
「おい、お前はなぜ月下の姫君と面識がある。そもそもなぜこの解析室のことを王女が知っている。情報の横流しでもしたのか、おい、答えろ」
あまりの勢いに、コーエンは思わず一歩下がった。
――色々違う。面識と呼べるものではない。
数ヶ月前に靴を直した。緑の閃光で吹っ飛ばされた。牢に押しかけてきて自爆された。本当にそれだけだ。詳しいことなど何も知らないし、横流しする情報もない。
強いていうなら――
「罹災です」
コーエンは真面目な顔で言い切った。
エックハルトは、意味を考えるように一瞬沈黙したが、
「答えになっていない。主語と述語をつけろ」
と、即座に切り捨てた。
「……ええと」
コーエンが答えに窮していると、
「ねえ!この状況って、チャンスなんじゃない?」
と、クラーラの場違いにはずんだ声が、二人の会話に割り込んできた。
彼女は白く咲いたリリーに目線を合わせ、食い入るように見つめていた。
エックハルトは胡散臭そうに彼女を見ると、「あ?何がだ」と突き放すように言った。
クラーラは、植木鉢を抱えてこちらにやってくると、どしんと二人の目の前に置いた。
伸び切った茎とリリーの花が、机に置かれた衝撃で、べよん、と左右に揺れた。
「これ!花が咲いたのよ!なんでだと思う?先輩だって、本当は気になって仕方ないくせに!」
クラーラに迫られ、さすがのエックハルトも、「いやそれは……」とたじろぐ。
「行かないなんて、ありえないわ!管理塔の中を見てくるのよ!王女様の魂胆なんて、行ってから確かめればいいの」
と、凄まじい勢いで管理塔行きを決行しようとするので、さすがにコーエンは止めにかかった。
「あの、クラーラ様。今はまだやめたほうが。そもそも、管理塔が何をする場所なのか、僕は知らないわけで……」
精一杯の言い訳をかましたが、クラーラは即答した。
「管理塔は、育ての祭壇」
「祭壇……?」
「選ばれた王族が、リリーを育てている場所ってこと」
クラーラは気安く答えたが、コーエンの胸の内には疑念が沸き上がった。
(選ばれた王族……?ってなんだ?)
コーエンが釈然としない様子だったのを察したのか、エックハルトが補足した。
「あくまでカンパニーの人間が、そう噂しているだけだ。誰も見たことがないのだから実態は分からない。クラーラ、適当な情報を流すな」
クラーラは、「ごめん、つい」と頭をかく。
エックハルトは、咳払いを一つすると、
「ただ、クラーラの言うことも一理ある。俺らの仕事は、リリーを育成する条件を解明することだ。都合が良すぎる感も否めないが……行ってみる価値はある」
コーエンは青ざめた。
――まてまて。この男まで合意に足を踏み入れていないか?
危機を察知したコーエンは、「あの……」と口を挟もうとしたが、クラーラにぶった切られた。
「さすが!先輩は話が早いね」
クラーラは、うんうんと頷くと、満面の笑顔で振り向き、
「身体はってきてね、コーエン!王女様の要望なんて、断れないでしょ!」
と、とどめの一言を投下した。
かくしてコーエンの逃げ道は塞がれた。
*
コーエンは管理塔に向かう道すがら、空を見上げた。
今日は、朔夜か。
ひと月に一度だけやってくる、月の出ない夜。
――ものと闇とが溶け合うころ。
エピフィラムの妄言だと思っていたが、辺りを見回すと、確かに景色の輪郭が闇に飲み込まれている。
コーエンは腕を伸ばして、リリー灯をできるだけ遠くまで届けようとした。
けれどもその甲斐はなく、ぼんやりと手元を橙色に照らすだけだった。
コーエンは敷地図を照らして道を確認した。
クラーラとエックハルト曰く、管理塔はカンパニーの南に広がる広葉樹林の中にあるらしい。
敷地図で見て初めて知ったが、この樹林は、王城領域とカンパニーの敷地の境界線になっていた。
足を進めるうちに、左右に並ぶ木々の影が次第に濃くなり、踏みしめる土も柔らかくなってくる。
灯をかかげて正面を照らすと、人がひとり通れる程度の、細い道がまっすぐに伸びている。
その道が行き着く先に――
石造りの塔が、空に向かって静かに伸びていた。
コーエンは思わず息を飲んだ。
窓は一つもなく、塔というより石の塊だ。
蔦が這うように絡みつき、まるで、人に忘れ去られた遺跡のような佇まいだった。
それを見た瞬間、絶対に忘れてはいけない何かを、目の前に突き付けられたような気がした。
自分でも、なぜそんな風に思ったか分からない。
不思議と、「引き返したい」という思いが影を潜め、塔の方へ足が向いていた。
「コーエン・アルミナイトです」
青銅でできた扉を叩いて声をかけたが、返事はなかった。
しばらくすると、遠くから足音が聞こえ、扉が静かに開かれた。
「お、お待ちしておりました」
扉の隙間から、ひょっこりと少女が顔をだした。
コーエンはその姿を捉えると、思わず目を見張った。
コーエンの胸元にも届かない小さな背丈と、濃紺のぶかぶかのローブ。
艶のない亜麻色の髪。
覚えている。
数か月前、アトリエに王女の靴を持ち込んだ少女だった。
彼女は、おずおずとこちらを見上げると、ちょこんと頭を下げた。
「そ、その節は、ありがとうございました。エピ様のお靴を直していただき」
「君は――誰?」
少女は恥ずかしそうに笑うと、髪をくるくるといじった。
「サズカ、といいます。エピ様の……いえ、管理塔の護衛です。父様と二人で、この塔を守ってるんです」
「護衛……君が?」
「これでも十四なのですよ。リリーのせいで、身長が伸びなくて」
サズカは、はっとしたようにコーエンの方を見ると、
「ごめんなさいっ、私の話なんか。エピ様が、首を長くしてお待ちです」
そう言って、体を右に寄せるとコーエンに中に入るよう促した。
その先に広がるのは、わずかに点在する青白い灯と、吸い込まれそうな闇だった。
コーエンは、サズカの後について、冷たい石の床を踏む。夏場とは思えないような、ひやりとした冷気が肌を這う。
サズカは不意に足を止めると、コーエンを振り返った。
「この上、です」
サズカが上を見やったので、コーエンもつられるように視線を上げる。
そこには、螺旋状の石段がはるか上へと繋がっていた。
途中には、踊り場のように開けた空間がいくつもあり、その奥は洞窟のような横穴が口を開けていた。
「最上階を目指してください。そこにエピ様がいます」
サズカはそう言うと、コーエンの持っているリリー灯と、自身の手持ちのものを取り替えた。
「今日はこちらをお持ちくださいね」
サズカの手元には橙の光が、コーエンの手元には青白い光がともった。
「君は、いかないの?」
サズカは、うん、と頷いた。
「エピ様が二人きりになりたい、と言うのです。だから私はいきません」
コーエンが怪訝そうな顔をすると、サズカはもどもどした。
「あ、でも、塔にはいますから!何かあればいつでもおっしゃってくださいね!大体のものはやっつけてあげますから」
そう言って、何かを投げつけるような動作をした。
コーエンは、青白い光を頼りに石段を登っていった。
段の左右には、胸の高さまで石造りの欄干があるので、高く登っても落ちる心配はなさそうだ。
欄干から少し身を乗り出して、塔の造りを観察してみた。
この螺旋階段は、巨大な石柱に巻き付くようになっているから、塔の中心部なのだろう。
気になるのは数階ごとに現れる横穴。先には、かなり広い空間がありそうだ。
――しかし、暗い。
何のために作られたものかは分からない。
でも、近づけば暗闇に引きずり込まれそうな、気味悪さがあった。
最上階まで上がると、入口と同じ青銅の扉が現れた。
コーエンは、一つ息を吐いてから、扉をたたいた。
「エピフィラム王女様、コーエン・アルミナイトです」
「……入りなさい」
コーエンは、扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
視界の先に――
青白い光が一面に揺れていた。
よく見ると、それは光の花だった。
塔の内部は円状の広い空間で、マザー・リリーの群生で満たされていた。
その中心に――緑の目を光らせるエピフィラムが、リリーの化身のように立っていた。
コーエンは、背筋に得体のしれない緊張が、ゾクリと這い上がるのを感じた。
神だ。
――それ以外、言い表す言葉が見つからない。
そんなもの、信じていなかったはずなのに。
美しくて、恐ろしくて。
でも、悲しい――
自分が何を感じているのか言い切れぬまま、呆然と立ち尽くしてしまった。
「少し待っていなさい」
エピフィラムはそう言ってしゃがみ込むと、花と花の間に隠れていたリリーの幼芽に、青白いリリーの灯をかざした。
すると、幼芽が少し大きくなって、ぷくりと膨らんだ。
エピフィラムが、その膨らみを優しくつまむと、今度は小さくしぼんだ。
伸びると、芽が膨らむ。
エピフィラムが撫でるとしぼむ。
一定のリズムで繰り返されるそれは、まるで呼吸のようだった。
彼女に従うように、リリーは息を吸い、吐き、成長していく。
どれだけ、その様子を見ていたのだろう。
気づくと、エピフィラムは自分のそばにいた。
「管理塔にようこそ、コーエン・アルミナイト」
立ち尽くすコーエンに、エピフィラムは静かに声をかけた。




