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『禁学の靴職人』―靴職人は笑わない王女と世界を縫い直す―  作者: 稲生おこめ
第四幕 「マテリアル・カンパニー」編
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◆4-7 エピフィラムの怪異

 

***

 エックハルト、クラーラ、コーエンの三人は、一つの植木鉢と向き合っていた。

 部屋の灯は消され、暗闇に沈んでいた。

 鉢の中央には、爪の先にも満たないほどの小さな芽が、ぽつんと淡く光っていた。


「おいクラーラ。これ、どういう状態だ。どこから持ち込んだ」

 エックハルトの話し方は、悪童をたしなめる教師のそれだった。


「収穫でしょ!?管理塔のサズカからもらってきたのよ。私って人脈広いでしょ。とっても合理的」

 クラーラは平然と笑っているが、エックハルトはみるみる青ざめた。


「何やってんだ、殺されるぞ……!」

 頭を抱えるエックハルトを余所に、コーエンはクラーラに尋ねた。


「……何か、まずいんですか」

「うん。幼芽なんて、普通は手に入らないの。シグリッド様のお遣いが研究用に手配してくれるもの以外、見たことないわ。カンパニーが取扱うリリーは、花が咲いてからだからね」

「じゃあ、あの時の実験で使ったものも……?」

「そう、貴重なそれ」

「……なんかすみません」

「気にすることないわよ。私も楽しませてもらったし。あ、でもね。サズカとリベルトには気をつけてね。あの人たち、管理塔の護衛だから、目を付けられると容赦されないわよ」


 コーエンの脳裏に、ふとエピフィラムの声が蘇った。


『リベルト、坊ちゃまを手伝ってあげて――』


 あの時、顔を白くしていた細長い軍人のことか。

 あの人が、護衛――?

 コーエンは、ふと疑問に思った。

 シグリッド様も言っていたが、『管理塔』という言葉をよく耳にする。

 これはマテリアル・カンパニーの共通言語なのだろうか。


「クラーラ様、管理塔って――」

「じゃあ、さっそく始めるわよ」

 コーエンは問いかけようとしたが、クラーラがぐいっと腕まくりをして、目をギラつかせたせいで、見事にかき消された。

 この人の目には、もうリリーの芽しか見えていないようだ。


「本当にやるのか? 制御方法は」

 エックハルトが横から釘をさしたが、クラーラはどこ吹く風である。


「幼芽が手に入ったのよ。まずは見てみたいじゃない。この子の生命力」

 そういって、楽しげに唇を吊り上げた。


 ――不穏だ。非常に不穏だ。

 この猪突猛進なやり方を見ると、設計スイッチが入ったときのイベットを思い出す。

 ここにもそのような人間が――。


「さあ、エックハルト先輩、カーテンを開けて!はやく、はやく!」

 クラーラは興奮を隠しきれないように、エックハルトをまくしたてた。

 拡大鏡を片手に、目を皿のようにして待っている。

 エックハルトは、観念したようにため息をついた。

「知らねえぞ?お前がなんとかしろよ!」


 そう言って、エックハルトは勢いよくカーテンを開けた。


 真っ暗だった部屋に、真夏の西日が容赦なく射し込んだ。

 その瞬間――コーエンは恐ろしいものを見た。


 増えている。

 小さな芽が、鼠算式に。

 さっきまで一粒だった幼芽が、光を浴びた瞬間に植木鉢いっぱいの緑色の集合体を作り始めた。縦にも伸びる。増殖と成長が、恐ろしい速度で同時に進んでいく。

 部屋の温度が跳ね上がり、むせ返るような甘い匂いが満ちた。

 キンッと、鼓膜の奥が軋む。

 これは一体、何の音だ。

 蝙蝠の悲鳴のように甲高く細い音。薄気味悪くて思わず耳をふさぎそうになった。


 測定器を読んでいたエックハルトは、慌てて手を振った。


「だめだ、振り切れる! 自然光は強すぎる!」

 エックハルトの悲鳴に、コーエンは反射的にカーテンを引き戻した。

 部屋が暗闇に沈む。


 コーエンの心臓は、バクバクと音を立てた。

 何だ、これは。

 マザー・リリーという植物は、こんな薄気味悪い増殖をするのか。

 コーエンは、今まで見ていた世界がひっくり返ったような、妙な衝撃を受けていた。


「先輩、意気地なしだなあ」


 不満げなクラーラに、エックハルトは狂ったように振れ続ける測定器の針を指さした。


「だから言っただろ!危ないって。これ見てみろ」

 クラーラは、頼りなく往復する針をみると、楽しそうに笑った。


「あっはあ、壊れちゃったじゃん。先人の大発明。分裂測定器」

「……修理手順書は、どこだ。最後、お前に渡したよな」

 クラーラは、記憶をたどるように視線をさまよわせた。

「あ、この間、エルじいがコースターにしてたよ」

「なぜだ」

「コーヒーかけてた」

「だから、なぜだ」


 エックハルトは頭を抱え、そのまま髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。

「これ、貴重なんだぞ……」


 エックハルトの口から、深いため息が漏れる。

「まったく、シグリッド様の命令を達成するまでに、一体何年かかるんだ……」


 クラーラは、振り切れた針をつつきながら、笑った。


「シグリッド様も、エリカ様を手に入れたのなら、もっと有益な情報を持ってきてくれてもいいのにね。そうすれば、研究もはかどるのに。王族の壁は、固いのかしら」


 その時だった。

 部屋を満たしていた熱気が突然、すっと消えた。


「……王族の壁?そうね」


 不吉な鈴が転がるような声だった。

 それだけで、研究室の空気が凍りつく。


 コーエンたちは、おそるおそる、声のする方を振り返った。

 暗闇の中、緑色の瞳が静かにこちらを見ていた。


 ――エピフィラム王女だ。


「あら、幼芽でも育てようとしているの? 面白いことをしているのね」


 エピフィラム王女は、暗闇の部屋に音もなく入室すると、コーエン達の横をすり抜け、窓辺まで直行した。

「こんな薄暗い部屋で、怪しいこと。お日様の光が恋しくなくて?」


 エピフィラム王女はそう言うと、ためらいなくカーテンを開いた。

 再び射し込んだ陽光に、コーエンたちは目を細めた。


 そして、植木鉢に目を向け、仰天した。

 とめどなく成長したマザー・リリーの茎と葉の先に――


 一輪の白い花が咲いていた。


 暴れていた幼芽は、最初から何事もなかったかのように、おとなしく花を支えている。

 その白い花は、穏やかな西日に、微笑んでいるようにさえ見えた。


「月下の姫君、なぜ、ここに……?」

 エックハルトの表情は、見たこともないほど強張っていた。

 さすがのクラーラも、幽霊でも見たような顔をしている。


「コーエンを迎えに来たの」

 エピフィラムは怪しく微笑んだ。

「私と『会う』約束、忘れたのかしら。待ちくたびれちゃった。今夜、来なさい」


 解析室は、いやに静まり返った。

 その静寂の中で、エックハルトとクラーラが小さく息を呑む音だけが、はっきりと響いた。


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