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『禁学の靴職人』―靴職人は笑わない王女と世界を縫い直す―  作者: 稲生おこめ
第四幕 「マテリアル・カンパニー」編
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◆4-5 アトリエ・ウィズダムの密談

 

***

 ウィズダムの靴づくりは、いつも通り行われていた。

 反応炉の唸る音と、型紙を断裁する渇いた音が混ざり合う。


 何ら変わりはない。


 変わったことと言えば、注文が増えたことくらいだ。


 “ウィズダムの青い靴“


 この噂をきっかけに、商会や諸貴族たちの間で、青い靴が流行した。

 この功績が称えられて、コーエン・アルミナイトには『国家職人』の称号が与えられた。

 

 ――ウィズダムから姿を消して。



 サンティスがつり込み部屋の扉を開けると、

 そこにはアズソールが座っていた。

 棟梁がおとなしく座ってつり込みをする姿など、何年ぶりに見ただろうか。


「棟梁」


 アズソールは、糸を咥えながら振り返った。


「お、サンティスか、ご苦労さん」

「進捗、どう?終わりそう?」


「あ―、今日、何足作ればいいんだっけ?」

「十八足だよ」


 アズソールは、仕上がった靴を、ひいふう、と数えて顔をしかめた。


「うへえ、まだまだじゃねえか。おじさん手が痛い」


 そういって、アズソールはおもむろに手をぶらぶらさせた。


「ほんと、誰かさんがいないから……」


 日常が変わらないほど、コーエンの影は濃くなっていく。

 つり込み部屋にも、反応炉にも、どこにもいない。


「アズソール、やっぱ嘘だよな」

「何が」

「コーエンが自ら王宮を選んで……国家職人になった、なんて」

「当たり前だろ」


 あの夜、すべてを聞いた。


 コーエンはウィズダムを見限ったのではない。

『戻れない』のだ。

 そうに決まってる。


 いつも覇気がないくせに、まれに突飛なことをしでかす。

 何かに取り憑かれたような、圧倒的な針裁きも、ぎこちない笑い方も。


 ――俺たちが見てきたあいつは、嘘なんかじゃない。


「サンティス」

「…何、棟梁」

「お前は、どうする?」

「俺は……」


 **

 婚約式の日、サンティスは、アトリエ街の仲間と酒を飲んでだべり、久しぶりの休日を満喫していた。


 飲み疲れて帰ってきて、「さあひと眠り」と思ったとき、玄関のベルが鳴った。

 サンティスは窓を開けて外を見ると、目を疑った。


「え――?アリアナさん?」


 何事かとおもった。

 こんな時間にくる人間なんて、めったにない。というか、ほぼない。

 別れ話をした直後の彼女か、酔っ払ったフォルコぐらいだ。


「どうしたんですか?アリアナさん?」

「サンティス、今からアトリエに来て」


 アリアナさんの顔は、暗がりでも分かるほど、蒼白になっていた。

 夏の蒸し暑い夜なのに、ふっくらした白い手がカタカタと震えていた。


「何か……あったんですか。とうとう、棟梁がのたれ死んだとか…」

「違うの」

「じゃあ何が」

「コーエンが消えた」


「え…?」

 サンティスは、思わずアリアナを二度見した。


「いいから来て。アズソールから、みんなに話すから」


 サンティスは、アリアナとともに夜道を走るように歩いた。

 アリアナは、その間一言も話さず、振り返ることもない。

 普段から歩くのが早い人だが、この日の速さは尋常じゃなかった。


 アトリエの鈴を鳴らして中に入ると、

 暗がりのアトリエには、すでに一同が会していた。

 リリー灯が、おぼろに皆の顔を映し出す。


「これは、どういう…」

「サンティスも来たか。アリアナ、ご苦労さん」


 礼装姿のアズソールと、若芽色のワンピースのイベット。

 二人は舞踏会に行っていたはずだ。

 イベットの顔は蒼白だ。泣いた跡みたいに、目だけが赤くなっている。


「みんな、聞いてくれ」


 アズソールが静かに皆を見回した。

 フォルコ、自分、イベット、テオ、リジェット、アリアナ。


「コーエンが、消えた」


 リリー灯がゆらり、と揺らめいた。


「棟梁、消えたって――もっと詳しく話してくれ」

 フォルコが、低い声で口火を切った。

 アズソールは、「そうだな」と一言言って、懐から何かを取り出した。


『それ』を見たとき、さすがのサンティスもぎょっとした。

「棟梁、それ――白リリー?しかも、うちのだ。なんで……しかも、血が…」


「コーエンは、これを残して消えた」

「そんな、何で」


 アズソールは首を振った。

「分からない。ただ……」


 アズソールがそう言いかけたとき、イベットが口を開いた。


「コーエンは、何かに、巻き込まれたの!だって、あいつは私たちに黙って、どこかに行っちゃうような奴じゃないもの、そう、信じてるもの!」


 そう言ったイベットは、涙目になっていた。


「そういや、お前らには、話したことがなかったな」

 そういって、アズソールは皆を見た。


「コーエンは――俺が拾ったんだ。あいつが、十の時にな」


 サンティスは目を見開いた。

 フォルコも、テオもリジェットも驚きを隠せていなかった。


 サンティスは、正直、気づいていた。

 コーエンが棟梁と血縁関係がないことくらい。

 アズソールの生家の『アルミナイト』を名乗っていても。


 でも、理由を聞けなかった。

 聞いてはいけない気がしたからだ。


 そして、もう一つ。

 サンティスは解せなかった。

 イベット。

 なぜ、イベットは驚かないのだ?


 サンティスが思い返す間に、アズソールは静かに言った。


「いつかこうなると思っていた―――多分、何かが動いちまったんだ」


 そうして、やるせなさの混ざった笑いを浮かべた。

 棟梁のこんな顔を見たのは、これが初めてだった。



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