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『禁学の靴職人』―靴職人は笑わない王女と世界を縫い直す―  作者: 稲生おこめ
第四幕 「マテリアル・カンパニー」編
28/32

◆4-4 実力試験

 

***

「簡単に説明する。一度しか言わない」

 エックハルトは、解析室の壁一面を埋める本棚の前に立つと、コーエンに説明を始めた。


「ここ、マテリアル・カンパニーは、ハノイットの最重要機関だ。その役割は知っているよな」


「……はい」


 そう答えたものの、コーエンは、マテリアル・カンパニーについて、知らないことの方が多かった。


「一次マテリアルを作っているのよ。マテカンは。アカデミーでは基本なんだから!」


 前にイベットが誇らしそうに言っていたのを、ふと思い出した。


 アトリエで使うガスや布、宝飾品に使う花結晶。

 リリー素材の大元を、「一次マテリアル」と言うらしい。


 コーエンにとっては、布は布、花結晶は花結晶だが。


 エックハルトは、コーエンにちらりと視線をやる。


「例えば?知っていることを言ってみろ」


「……一次マテリアルの製造など」


 とりあえずそう答えておいたが、完全にイベットの受け売りだ。


 エックハルトは、疑わしそうに眉をひそめたが、そのまま続けた。


「一つはそうだ。あとは......」


 エックハルトは背後を埋める、大きな本棚を振り返る。


「手順書の作成と、承認だ」


 コーエンも、つられてエックハルトの視線の先を追った。


 端から端まで、びっしりと資料で埋め尽くされている。


 片手では持てないような分厚いもの。

 古びて角がすり減ったもの。

 紙束を綴じただけの簡易的なもの。


 アトリエにある手順書とは、種類も数も比べ物にならなかった。


 コーエンは、なぜだか自分の身体が、果てしなく広い空間に投げ出されたように感じた。


 そこには、窓枠も、境界線もない。

 だだっ広い空白だけがある。


 でも、初めて訪れた気がしない。

 どこか懐かしいとさえ感じた。



「……ここで僕は、何をすれば」


 コーエンが問うと、エックハルトが静かに口を開いた。


「その前に、一度だけ聞く。もう二度と聞かない」


 エックハルトは、まっすぐにコーエンを見た。


「覚悟は、あるか」


「……は?」


「俺は、お前のことを何も知らない。信頼などしていない。知りたいのは、お前が役に立つかどうかと……秘密を守る覚悟があるかだ」


 コーエンは、答えに窮した。


 覚悟も何も、自分はただの靴職人だ。

 献上靴を納めただけ。

 突然、豹みたいな貴族に捕まって、ここに放りこまれたのだ。


 エックハルトの言う『秘密』がどんなものか知らないが、背負わされる義理もない。


 作れるのは靴くらいだ。

 そう、靴くらい――


 ふいに、ぬるりとした記憶が頭をかすめた。


 ――コーエン・キャンベル。


 黒い銃口。

 指に伝わる、リリーの脈動。


 甘く錆びたにおいが鼻腔によみがえり、

 独特の気持ち悪さを覚えた。


 その瞬間、思いもよらぬ言葉が、口から転がった。


「帰りたいです」


 エックハルトは、思わず目を見開いた。


「……は?」


「それだけです」


 エックハルトは、新種の生物でも見たかのように、あっけにとられていたが、


「ははっ」


 一発だけ、豪快に笑った。


「……それを覚悟と受け取っておこう」


 エックハルトの、冷徹なまでの観察眼は、少しだけ鳴りを潜めた。


「話を進めるぞ」

 そういって、エックハルトは小さく息を吐く。


「マザー・リリーの生育条件の解析」

 コーエンは、思わずエックハルトの方を見た。


「それが、俺たちの任務だ」

「それはどういう――」


 問いかけようとした時。


「エックハルト先輩!終わりました?」


 底抜けに能天気な声がかぶさってきた。


 はちみつ髪のクラーラが、ひょっこりとこちらを覗いていた。


 遠慮もなしに、ずんずんとこちらにやって来る。

 『なんか歩幅が大きいな』とコーエンは思った。


「何だ、クラーラ」

「呼びに来たのよ、職人さんを。先輩はついで」


 エックハルトが露骨に顔をしかめたが、クラーラはお構いなしだ。くるりと振り返って、コーエンを見た。


 はちみつ色の目を、ふにゃりとさせて笑う。


「先輩の話、固いし面白くないし、一方的だから疲れましたよね!」


「おい」


 エックハルトは低い声を挟んだが、クラーラは気にもとめず、楽しそうに続ける。


「エルじいが、まずは触ってみるのが一番だって。実験、しない?」


「実験......?」


 コーエンが問い返すと、クラーラはいたずらな視線を送った。


「そう。あなたの実力を、見たいしさ」



 *

 机に、透明な容器が三つ。


 中にはそれぞれ、植物が入っていた。


 白い花びら、白色の根、若草色の双葉。


 エルマー室長は、ふさふさの口髭の奥で、口をもごもごさせた。

 ガラス容器を指さすと、『ふぉふぉっふぉっ』と言った。


 コーエンには聞き取れなかったが、クラーラは、うんうん、とうなずいた。


「えっとね、翻訳するとね」


 なぜ、わかるのだ。と突っ込みそうになったが、コーエンは放置した。


 クラーラはにやりと笑った。


「品種を当ててみて、だって」


 コーエンは、固まった。

 このガラス瓶に入った妙な植物はなんだ。


 花びらは繊維が粗くわずかに孔があり、白色の根は、主根も側根も細く絡み合っていて、ボールのような球体になっている。

 双葉は小さく、花びら一枚にも満たない。


 枯れているわけでも、乾燥しているわけでもない。


 しかし、こんな風に分解されてガラス容器に並べられると、

 生きた植物というより、死んだ標本に見えて、薄気味悪かった。


「……聞いていいですか」


「なあに?職人さん、どうぞ」


「この植物は、何ですか?」


「マザー・リリーよ?」


「え?」


 コーエンは、思わずクラーラの顔を見た。

 そして再び、ガラス容器に目を移した。


「これが……マザー・リリー?」


 思わず声を上げてしまった。

 コーエンがこれまで目にしてきたマザー・リリーは、植物の姿などしていなかったからだ。

 ガスとか、布とか、結晶とか。

 そういう類の素材だった。


 でも、言われてみると、案外素直に受け取れた。


 リリーには、脈動があるからだ。


 コーエンは、リリーの『流れ』みたいなものが、わかる。

 触れ続けているうちに、いつからか分かるようになった。


 クラーラはエックハルトの方に視線をやると、こそこそと話した。


「カンパニーの人間以外は、どこまで知っているんだっけ?」

「一次マテリアルになる前のものは、目にしないはずだ」


「つまり、マザー・リリーの元の姿は知らないってこと?」

「ああ」


 クラーラとエックハルトの話をよそに、エルマー室長はコーエンの前に、ガラス容器を突き出した。


「ふぉっ、とりあえず、やってみなさい」


「そう言われましても……」


「ふぉふぉふぉっ、君は、職人なんじゃろ?この植物がリリーと分かれば、情報は十分だ」


 コーエンは、エルマーの白髭をうさん臭そうに見たが、とりあえずは流れに身を任せることにした。


 視線を、ガラス容器の上に静かに落とした。


 白い花びら、白色の根、若草色の芽。


 コーエンは、つぶさに観察したが、それだけでは分からなかった。


 白色の花びらにそっと触れ、目を閉じて感じる。


 ――わずかに熱い。


 どくどくと、早い鼓動。


 身体が一緒に熱くなるような感覚がする。


 この感覚は、きっと、デポン。


 コーエンは、目をゆっくり開ける。


 今度は白色の根に手を伸ばすと、光の方向に向けた。

 その根は、光を透過して、美しい透明に見えた。

 まるでガラスのように、向こう側の景色が透けて見えるほど。


  ――きれいだ。

  これは......アンテノイドだ。


 最後に、コーエンは若草色の芽と向き合った。

 コーエンは、どういう訳かこの双葉だけ、触るのをためらった。


 危険。

 指先の記憶が、コーエンにそう伝える。


 まるで炎に触れるのを恐れるように。

 身体が勝手に避けようとする。


 それでも、恐る恐る、指先で触れる。


 とぐろを巻くような、どろどろとした粘っこい脈動が、小さな芽の中に、抑え込まれている。


 ふとした瞬間に破裂してしまいそうだった。


 コーエンの鼓動は、不自然に早くなっていく。


 指先の熱は、心臓に伝わり、血液に乗って身体を巡り、体温を上げる。


 指先が熱い。

 熱い。


「……っ」


 心臓がバクバクする。

 若芽に同調したみたいに。


 それと一緒に、またあの匂いが込み上げてきた。

 錆びた甘い匂い。


 コーエンは堪えられずにえずき、

 その場にうずくまった。

 気持ちが悪い。


「え!?大丈夫!?どうしたの?」


 クラーラが驚いて駆け寄ってきたが、エルマーは白髭の奥で、薄く笑っていた。


「ふぉっ、何か感じたかの?」


「これは......なんですか?」


 コーエンは、わずかに顔を引き攣らせた。

 不信感を隠せなかった。

 何を測られているのかも、何が目的かも聞かされない。

 こんなもの、気持ちのよいものではない。


「その前に、答え合わせじゃ。ふぉっ」


 コーエンは、もう一瞥だけエルマーを睨むと、

 呼吸を整え、短く答えた。


「花びらがデポン、根がアンテノイド、双葉も...多分デポン。でも......なんか変だ。」


 クラーラは、大きな目をさらに大きくした。


「うそ、職人さん正解!すごい」


 エックハルトは、口の端を引きつらせると、エルマーの方を見やった。


「どういうことだ……エルじい」


 エルマー室長は、ふぉふぉっと、小さく笑うと、


「いろんな変人がいるんじゃよ、世の中には、エックハルト君」


 エルマーは、枯れたような手でデポンの双葉をつまみあげると、コーエンの前に静かに突きつけた。


「これは、デポンの幼芽だ。覚えておきなさい」


 エルマーの白髭の奥の目が、今度は穏やかに笑っていた。

 コーエンには、そう見えた。


「……ここでは、見極めが肝心じゃ。……エズラ君」


 エルマーは、ごく小さな声でそう言うと、豊かな白髭をひょいひょいもてあそんだ。


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