◆4-4 実力試験
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「簡単に説明する。一度しか言わない」
エックハルトは、解析室の壁一面を埋める本棚の前に立つと、コーエンに説明を始めた。
「ここ、マテリアル・カンパニーは、ハノイットの最重要機関だ。その役割は知っているよな」
「……はい」
そう答えたものの、コーエンは、マテリアル・カンパニーについて、知らないことの方が多かった。
「一次マテリアルを作っているのよ。マテカンは。アカデミーでは基本なんだから!」
前にイベットが誇らしそうに言っていたのを、ふと思い出した。
アトリエで使うガスや布、宝飾品に使う花結晶。
リリー素材の大元を、「一次マテリアル」と言うらしい。
コーエンにとっては、布は布、花結晶は花結晶だが。
エックハルトは、コーエンにちらりと視線をやる。
「例えば?知っていることを言ってみろ」
「……一次マテリアルの製造など」
とりあえずそう答えておいたが、完全にイベットの受け売りだ。
エックハルトは、疑わしそうに眉をひそめたが、そのまま続けた。
「一つはそうだ。あとは......」
エックハルトは背後を埋める、大きな本棚を振り返る。
「手順書の作成と、承認だ」
コーエンも、つられてエックハルトの視線の先を追った。
端から端まで、びっしりと資料で埋め尽くされている。
片手では持てないような分厚いもの。
古びて角がすり減ったもの。
紙束を綴じただけの簡易的なもの。
アトリエにある手順書とは、種類も数も比べ物にならなかった。
コーエンは、なぜだか自分の身体が、果てしなく広い空間に投げ出されたように感じた。
そこには、窓枠も、境界線もない。
だだっ広い空白だけがある。
でも、初めて訪れた気がしない。
どこか懐かしいとさえ感じた。
「……ここで僕は、何をすれば」
コーエンが問うと、エックハルトが静かに口を開いた。
「その前に、一度だけ聞く。もう二度と聞かない」
エックハルトは、まっすぐにコーエンを見た。
「覚悟は、あるか」
「……は?」
「俺は、お前のことを何も知らない。信頼などしていない。知りたいのは、お前が役に立つかどうかと……秘密を守る覚悟があるかだ」
コーエンは、答えに窮した。
覚悟も何も、自分はただの靴職人だ。
献上靴を納めただけ。
突然、豹みたいな貴族に捕まって、ここに放りこまれたのだ。
エックハルトの言う『秘密』がどんなものか知らないが、背負わされる義理もない。
作れるのは靴くらいだ。
そう、靴くらい――
ふいに、ぬるりとした記憶が頭をかすめた。
――コーエン・キャンベル。
黒い銃口。
指に伝わる、リリーの脈動。
甘く錆びたにおいが鼻腔によみがえり、
独特の気持ち悪さを覚えた。
その瞬間、思いもよらぬ言葉が、口から転がった。
「帰りたいです」
エックハルトは、思わず目を見開いた。
「……は?」
「それだけです」
エックハルトは、新種の生物でも見たかのように、あっけにとられていたが、
「ははっ」
一発だけ、豪快に笑った。
「……それを覚悟と受け取っておこう」
エックハルトの、冷徹なまでの観察眼は、少しだけ鳴りを潜めた。
「話を進めるぞ」
そういって、エックハルトは小さく息を吐く。
「マザー・リリーの生育条件の解析」
コーエンは、思わずエックハルトの方を見た。
「それが、俺たちの任務だ」
「それはどういう――」
問いかけようとした時。
「エックハルト先輩!終わりました?」
底抜けに能天気な声がかぶさってきた。
はちみつ髪のクラーラが、ひょっこりとこちらを覗いていた。
遠慮もなしに、ずんずんとこちらにやって来る。
『なんか歩幅が大きいな』とコーエンは思った。
「何だ、クラーラ」
「呼びに来たのよ、職人さんを。先輩はついで」
エックハルトが露骨に顔をしかめたが、クラーラはお構いなしだ。くるりと振り返って、コーエンを見た。
はちみつ色の目を、ふにゃりとさせて笑う。
「先輩の話、固いし面白くないし、一方的だから疲れましたよね!」
「おい」
エックハルトは低い声を挟んだが、クラーラは気にもとめず、楽しそうに続ける。
「エルじいが、まずは触ってみるのが一番だって。実験、しない?」
「実験......?」
コーエンが問い返すと、クラーラはいたずらな視線を送った。
「そう。あなたの実力を、見たいしさ」
*
机に、透明な容器が三つ。
中にはそれぞれ、植物が入っていた。
白い花びら、白色の根、若草色の双葉。
エルマー室長は、ふさふさの口髭の奥で、口をもごもごさせた。
ガラス容器を指さすと、『ふぉふぉっふぉっ』と言った。
コーエンには聞き取れなかったが、クラーラは、うんうん、とうなずいた。
「えっとね、翻訳するとね」
なぜ、わかるのだ。と突っ込みそうになったが、コーエンは放置した。
クラーラはにやりと笑った。
「品種を当ててみて、だって」
コーエンは、固まった。
このガラス瓶に入った妙な植物はなんだ。
花びらは繊維が粗くわずかに孔があり、白色の根は、主根も側根も細く絡み合っていて、ボールのような球体になっている。
双葉は小さく、花びら一枚にも満たない。
枯れているわけでも、乾燥しているわけでもない。
しかし、こんな風に分解されてガラス容器に並べられると、
生きた植物というより、死んだ標本に見えて、薄気味悪かった。
「……聞いていいですか」
「なあに?職人さん、どうぞ」
「この植物は、何ですか?」
「マザー・リリーよ?」
「え?」
コーエンは、思わずクラーラの顔を見た。
そして再び、ガラス容器に目を移した。
「これが……マザー・リリー?」
思わず声を上げてしまった。
コーエンがこれまで目にしてきたマザー・リリーは、植物の姿などしていなかったからだ。
ガスとか、布とか、結晶とか。
そういう類の素材だった。
でも、言われてみると、案外素直に受け取れた。
リリーには、脈動があるからだ。
コーエンは、リリーの『流れ』みたいなものが、わかる。
触れ続けているうちに、いつからか分かるようになった。
クラーラはエックハルトの方に視線をやると、こそこそと話した。
「カンパニーの人間以外は、どこまで知っているんだっけ?」
「一次マテリアルになる前のものは、目にしないはずだ」
「つまり、マザー・リリーの元の姿は知らないってこと?」
「ああ」
クラーラとエックハルトの話をよそに、エルマー室長はコーエンの前に、ガラス容器を突き出した。
「ふぉっ、とりあえず、やってみなさい」
「そう言われましても……」
「ふぉふぉふぉっ、君は、職人なんじゃろ?この植物がリリーと分かれば、情報は十分だ」
コーエンは、エルマーの白髭をうさん臭そうに見たが、とりあえずは流れに身を任せることにした。
視線を、ガラス容器の上に静かに落とした。
白い花びら、白色の根、若草色の芽。
コーエンは、つぶさに観察したが、それだけでは分からなかった。
白色の花びらにそっと触れ、目を閉じて感じる。
――わずかに熱い。
どくどくと、早い鼓動。
身体が一緒に熱くなるような感覚がする。
この感覚は、きっと、デポン。
コーエンは、目をゆっくり開ける。
今度は白色の根に手を伸ばすと、光の方向に向けた。
その根は、光を透過して、美しい透明に見えた。
まるでガラスのように、向こう側の景色が透けて見えるほど。
――きれいだ。
これは......アンテノイドだ。
最後に、コーエンは若草色の芽と向き合った。
コーエンは、どういう訳かこの双葉だけ、触るのをためらった。
危険。
指先の記憶が、コーエンにそう伝える。
まるで炎に触れるのを恐れるように。
身体が勝手に避けようとする。
それでも、恐る恐る、指先で触れる。
とぐろを巻くような、どろどろとした粘っこい脈動が、小さな芽の中に、抑え込まれている。
ふとした瞬間に破裂してしまいそうだった。
コーエンの鼓動は、不自然に早くなっていく。
指先の熱は、心臓に伝わり、血液に乗って身体を巡り、体温を上げる。
指先が熱い。
熱い。
「……っ」
心臓がバクバクする。
若芽に同調したみたいに。
それと一緒に、またあの匂いが込み上げてきた。
錆びた甘い匂い。
コーエンは堪えられずにえずき、
その場にうずくまった。
気持ちが悪い。
「え!?大丈夫!?どうしたの?」
クラーラが驚いて駆け寄ってきたが、エルマーは白髭の奥で、薄く笑っていた。
「ふぉっ、何か感じたかの?」
「これは......なんですか?」
コーエンは、わずかに顔を引き攣らせた。
不信感を隠せなかった。
何を測られているのかも、何が目的かも聞かされない。
こんなもの、気持ちのよいものではない。
「その前に、答え合わせじゃ。ふぉっ」
コーエンは、もう一瞥だけエルマーを睨むと、
呼吸を整え、短く答えた。
「花びらがデポン、根がアンテノイド、双葉も...多分デポン。でも......なんか変だ。」
クラーラは、大きな目をさらに大きくした。
「うそ、職人さん正解!すごい」
エックハルトは、口の端を引きつらせると、エルマーの方を見やった。
「どういうことだ……エルじい」
エルマー室長は、ふぉふぉっと、小さく笑うと、
「いろんな変人がいるんじゃよ、世の中には、エックハルト君」
エルマーは、枯れたような手でデポンの双葉をつまみあげると、コーエンの前に静かに突きつけた。
「これは、デポンの幼芽だ。覚えておきなさい」
エルマーの白髭の奥の目が、今度は穏やかに笑っていた。
コーエンには、そう見えた。
「……ここでは、見極めが肝心じゃ。……エズラ君」
エルマーは、ごく小さな声でそう言うと、豊かな白髭をひょいひょいもてあそんだ。




