◆4-2 コーエン・アルミナイトの失踪
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「まったく、お貴族様ときたら、貴重なリリーを花動車なんかにブンブン使っちゃって。こちとら、灯も切り詰めてるのに!」
イベットは、花動車待ちの列に小言を言った。
大セレモニーはフォンテス陛下の合図で、先ほどお開きになった。
そこからは、帰宅する人間もいるし、サロンやらご邸宅やらで余韻に浸る人間もいる。
イベットたちは、もちろん帰る。
だって、明日からまた仕事だもの。
余韻に浸る暇なんてないもの。
朝ごはんだって自分で作らなきゃ出てこないし、誰もノルマは代わってくれないし。
でも、花動車だけはありがたかった。
ここから歩いたら何時になるやら。
普通なら職人風情なんて、王族の花動車にはあやかれないが、一級職人は特別なのだ。
「欠席の一級職人の代わりに、せいぜい贅沢しましょう!」
イベットはとりあえず悪態をついた後、小さく息を吐いた。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
コーエンが遠い存在に思えた。
権威だけではない。
今日、この城で何度も耳にした。
――エリカ様が美しい。
――あの靴は見事だった。
貴族たちの心を動かした。
あの男が。
『青の貴公子』だけは意味が分からないけど。
「儀式、私も見たかったな。本当は」
イベットはぽつりと漏らす。
アズソールは笑った。
「帰ったら自慢話でも聞いてやんな」
そう言って、ポンっと軽くイベットの肩を叩いた。
*
それにしても、いつ花動車に乗れるのだろう。
イベットは、列の先を見やった。
貴族という人種は、モタモタし過ぎではないか?
ヒールをこの辺に捨てて、裸足で走った方が早いんじゃないか?
ぴょこぴょこと列の先を見やるイベットの肩を、アズソールが叩いた。
「おい、イベット」
「何!?棟梁!」
「何怒ってんだよ。あそこ。あれ、伯爵と…アーネスト様じゃないか?」
アズソールは、サロン棟の方向を指さした。
イベットは目を凝らす。
晩餐会でもあるのだろうか。
二階のバルコニーに人影がいくつか見える。
その中に、白髪のガタイのいい紳士と、赤茶の髪の低身長の青年。
確かに、伯爵とアーネスト様だ。
その周りに、見たことない人たちがいる。
アーネスト様は、正式に北部騎士団に所属することになったと聞く。
その関係者だろうか。
アーネスト様以外、みんなガタイがいいもの。軍服だし。
アーネスト様は、例の件以降、たまにウィズダムに靴の要望をくれるようになった。
言葉に角があるのは相変わらずだけど、イベットに本気で注文を出してくる。
少しずつ、少しずつ、前を向いている。
イベットは、それだけで十分だった。
イベットは車待ちの列とアズソールを交互に見た。
「なんだ?怪しい動きして」
「少し、アーネスト様にご挨拶してきてもいいですか?」
「挨拶ってお前、どう考えても場違いじゃねえか?」
アズソールは肩をすくめる。
「その、『おめでとうございます』だけでも」
アズソールはため息をついた。
「まあ、まだ当分かかりそうだから、いいけど。空気読んで無理そうなら戻って来いよ?」
「ありがとうございます、棟梁!」
「気を許すなよ?おじさん心配性だから」
「大丈夫です。すぐ戻ります」
そう言うが早いか、イベットは列を離れた。
「方向音痴……」
そんな声が聞こえた気もした。
*
――ここはどこだろう。
イベットは、気付けば見知らぬ廊下にいた。
「おかしいなあ……確かにこっちがサロンのはずなんだけど」
左右を見回すが、道を指し示してくれるものは何もない。
そもそも、人がいない。暗いし。
「王宮って迷路みたい」
似たような廊下。
似たような壁。
似たような柱。
「だいたい似たような色の廊下ばっかりなのが悪いのよ。色でも付けなさいよ」
イベットは、環境に責任転嫁を始めた。
しかし、動揺などしてやるものか。とっておきの秘策があるもの。
『道に迷ったら、人がいる方向へ歩け』
昔、出先で遭難しかけた時、コーエンがくれた雑な助言だった。
その時だった。
人の話し声が聞こえた。
イベットは胸を撫で下ろした。
――ほらほら。こういう風にできているのよ。私、運がいいから。
――王宮の廊下で一夜を明かさずに済みそうね。
――声をかけて道を聞こう。
イベットが、声の方に足を向けかけたとき。
「職人一人のために、大層な舞台を用意するものだ」
「その後、平然とセレモニーに戻られているのだから、空恐ろしい」
イベットは反射的に物陰へ身を隠した。
見覚えがある制服。
暗くて見えにくいけど、水色っぽいシャツに白衣。
……どこで見たんだっけ?
イベットはさらに目を凝らす。
制服の人間と会話を交わしている男の胸に、紋章がある。
あれも、どこかで見たことが……。
不穏な何かが、背筋を這い上がる。
――あれは。確か、オルビスの制服にあった……?
イベットは、身を隠してさらに耳を澄ませる。
でも、ところどころしか聞こえない。
「あの職人はどうなった?」
「さあな。従うしか……が惜しければ」
「シグリッド様直々に…な必要もなかろう。……職人だろう?」
「あんなもの持ち歩いてる時点で……」
「あの衛兵もあいつが……」
「……普通なら……」
心臓が嫌な音を立てる。
嫌な予感がした。
とても嫌な予感が。
「いや……」
まだ決まったわけじゃない。
杞憂かもしれない。
そう思うのに。
思い出してしまう。
暗闇。
工具の音。
緑色の細い光。
鍵が外れる音。
『逃げるよ、イベット』
扉の隙間から差し込んだ光。
あの時から、心のどこかで恐れていた。
コーエンは、どこかに行ってしまうんじゃないかって。
だから、がむしゃらに手を伸ばした。
絶対に放しちゃいけないって。
イベットは歩いていた。
何を探しているのかも分からないまま。
ただ足が動いた。それだけだ。
そして、見つけてしまった。
「……これ」
白リリーの端切れと、血。
見間違えるはずがない。
ウィズダムの布だ。
しかも、イベットがたまに作る失敗作だ。
白リリー……デポン。
コーエンは、デポンの扱いには、なぜか厳しかった。
イベットが手順を誤ったとき、本気で怒られたのを思い出した。
彼にしては珍しく、声を荒げて。
――白リリーは扱いを気をつけろ。
――下手をすると人が死ぬ。
じゃあ何で。
じゃあ何で、私の失敗作を、あんたがもってるの。
「何よ……帰ったんじゃなかったの!?……なんで――」
その場に崩れ落ちる。
足に力が入らない。
頭が真っ白になる。
「イベット」
遠くからアズソールの声が聞こえた。
「探したぞ。遅いからまた迷ってんのかと――」
そこで言葉が止まる。
「おい。どうした」
「棟梁……」
震える指で端切れを示した。
アズソールの表情が一瞬だけ消える。
「棟梁、これ……」
「おいおい」
アズソールは苦笑した。
だが、その笑みはいつもの飄飄としたそれではなかった。
「一大事だな」
そう言ってイベットの腕を掴み、強引に立ち上がらせる。
「ここにいてもどうにもならねえ」
声だけは落ち着いていた。
「歩け、イベット」
薄暗い廊下を、二人は出口へ向かって歩き出した。




