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『禁学の靴職人』―靴職人は笑わない王女と世界を縫い直す―  作者: 稲生おこめ
第四幕 「マテリアル・カンパニー」編
26/32

◆4-2 コーエン・アルミナイトの失踪


***

「まったく、お貴族様ときたら、貴重なリリーを花動車なんかにブンブン使っちゃって。こちとら、灯も切り詰めてるのに!」


 イベットは、花動車待ちの列に小言を言った。

 大セレモニーはフォンテス陛下の合図で、先ほどお開きになった。

 そこからは、帰宅する人間もいるし、サロンやらご邸宅やらで余韻に浸る人間もいる。

 イベットたちは、もちろん帰る。

 だって、明日からまた仕事だもの。

 余韻に浸る暇なんてないもの。

 朝ごはんだって自分で作らなきゃ出てこないし、誰もノルマは代わってくれないし。


 でも、花動車だけはありがたかった。

 ここから歩いたら何時になるやら。

 普通なら職人風情なんて、王族の花動車にはあやかれないが、一級職人は特別なのだ。

 

 「欠席の一級職人(コーエン)の代わりに、せいぜい贅沢しましょう!」


 イベットはとりあえず悪態をついた後、小さく息を吐いた。


 少しだけ。

 ほんの少しだけ。

 コーエンが遠い存在に思えた。

 権威だけではない。

 今日、この城で何度も耳にした。


 ――エリカ様が美しい。

 ――あの靴は見事だった。


 貴族たちの心を動かした。

 あの男が。

『青の貴公子』だけは意味が分からないけど。


「儀式、私も見たかったな。本当は」

 イベットはぽつりと漏らす。

 アズソールは笑った。

「帰ったら自慢話でも聞いてやんな」

 そう言って、ポンっと軽くイベットの肩を叩いた。


 それにしても、いつ花動車に乗れるのだろう。

 イベットは、列の先を見やった。

 貴族という人種は、モタモタし過ぎではないか?

 ヒールをこの辺に捨てて、裸足で走った方が早いんじゃないか?

 ぴょこぴょこと列の先を見やるイベットの肩を、アズソールが叩いた。


「おい、イベット」

「何!?棟梁!」

「何怒ってんだよ。あそこ。あれ、伯爵と…アーネスト様じゃないか?」


 アズソールは、サロン棟の方向を指さした。

 イベットは目を凝らす。


 晩餐会でもあるのだろうか。

 二階のバルコニーに人影がいくつか見える。

 その中に、白髪のガタイのいい紳士と、赤茶の髪の低身長の青年。


 確かに、伯爵とアーネスト様だ。


 その周りに、見たことない人たちがいる。

 アーネスト様は、正式に()()()()()に所属することになったと聞く。

 その関係者だろうか。

 アーネスト様以外、みんなガタイがいいもの。軍服だし。


 アーネスト様は、例の件以降、たまにウィズダムに靴の要望をくれるようになった。

 言葉に角があるのは相変わらずだけど、イベットに本気で注文を出してくる。

 少しずつ、少しずつ、前を向いている。

 イベットは、それだけで十分だった。


 イベットは車待ちの列とアズソールを交互に見た。


「なんだ?怪しい動きして」

「少し、アーネスト様にご挨拶してきてもいいですか?」

「挨拶ってお前、どう考えても場違いじゃねえか?」


 アズソールは肩をすくめる。


「その、『おめでとうございます』だけでも」


 アズソールはため息をついた。

「まあ、まだ当分かかりそうだから、いいけど。空気読んで無理そうなら戻って来いよ?」

「ありがとうございます、棟梁!」

「気を許すなよ?おじさん心配性だから」

「大丈夫です。すぐ戻ります」

 そう言うが早いか、イベットは列を離れた。


「方向音痴……」

 そんな声が聞こえた気もした。


 ――ここはどこだろう。

 イベットは、気付けば見知らぬ廊下にいた。


「おかしいなあ……確かにこっちがサロンのはずなんだけど」


 左右を見回すが、道を指し示してくれるものは何もない。

 そもそも、人がいない。暗いし。


「王宮って迷路みたい」


 似たような廊下。

 似たような壁。

 似たような柱。


「だいたい似たような色の廊下ばっかりなのが悪いのよ。色でも付けなさいよ」


 イベットは、環境に責任転嫁を始めた。

 しかし、動揺などしてやるものか。とっておきの秘策があるもの。


『道に迷ったら、人がいる方向へ歩け』


 昔、出先で遭難しかけた時、コーエンがくれた雑な助言だった。


 その時だった。

 人の話し声が聞こえた。

 イベットは胸を撫で下ろした。


 ――ほらほら。こういう風にできているのよ。私、運がいいから。

 ――王宮の廊下で一夜を明かさずに済みそうね。

 ――声をかけて道を聞こう。


 イベットが、声の方に足を向けかけたとき。


「職人一人のために、大層な舞台を用意するものだ」

「その後、平然とセレモニーに戻られているのだから、空恐ろしい」


 イベットは反射的に物陰へ身を隠した。

 見覚えがある制服。

 暗くて見えにくいけど、水色っぽいシャツに白衣。


 ……どこで見たんだっけ?


 イベットはさらに目を凝らす。


 制服の人間と会話を交わしている男の胸に、紋章がある。


 あれも、どこかで見たことが……。


 不穏な何かが、背筋を這い上がる。


 ――あれは。確か、オルビスの制服にあった……?


 イベットは、身を隠してさらに耳を澄ませる。

 でも、ところどころしか聞こえない。


「あの職人はどうなった?」

「さあな。従うしか……が惜しければ」

「シグリッド様直々に…な必要もなかろう。……職人だろう?」

「あんなもの持ち歩いてる時点で……」

「あの衛兵もあいつが……」

「……普通なら……」


 心臓が嫌な音を立てる。

 嫌な予感がした。

 とても嫌な予感が。

「いや……」

 まだ決まったわけじゃない。

 杞憂かもしれない。

 そう思うのに。

 思い出してしまう。


 暗闇。

 工具の音。

 緑色の細い光。

 鍵が外れる音。


『逃げるよ、イベット』


 扉の隙間から差し込んだ光。


 あの時から、心のどこかで恐れていた。

 コーエンは、どこかに行ってしまうんじゃないかって。

 だから、がむしゃらに手を伸ばした。

 絶対に放しちゃいけないって。


 イベットは歩いていた。

 何を探しているのかも分からないまま。

 ただ足が動いた。それだけだ。


 そして、見つけてしまった。


「……これ」


 白リリーの端切れと、血。


 見間違えるはずがない。

 ウィズダムの布だ。

 しかも、イベットがたまに作る失敗作だ。


 白リリー……デポン。

 

 コーエンは、デポンの扱いには、なぜか厳しかった。

 イベットが手順を誤ったとき、本気で怒られたのを思い出した。

 彼にしては珍しく、声を荒げて。


 ――白リリーは扱いを気をつけろ。

 ――下手をすると人が死ぬ。


 じゃあ何で。

 じゃあ何で、私の失敗作を、あんたがもってるの。


「何よ……帰ったんじゃなかったの!?……なんで――」


 その場に崩れ落ちる。

 足に力が入らない。

 頭が真っ白になる。


「イベット」

 遠くからアズソールの声が聞こえた。

「探したぞ。遅いからまた迷ってんのかと――」


 そこで言葉が止まる。


「おい。どうした」

「棟梁……」


 震える指で端切れを示した。


 アズソールの表情が一瞬だけ消える。


「棟梁、これ……」


「おいおい」


 アズソールは苦笑した。

 だが、その笑みはいつもの飄飄としたそれではなかった。


「一大事だな」


 そう言ってイベットの腕を掴み、強引に立ち上がらせる。


「ここにいてもどうにもならねえ」

 声だけは落ち着いていた。


「歩け、イベット」


 薄暗い廊下を、二人は出口へ向かって歩き出した。


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