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『禁学の靴職人』―靴職人は笑わない王女と世界を縫い直す―  作者: 稲生おこめ
第四幕 「マテリアル・カンパニー」編
25/32

◆4-1 月下の姫君


***

「して、エピフィラム王女様は、何がお望みなのでしょう?」

 シグリッドは華やかな笑顔を浮かべる。

「先ほど言いました。あなたの捕獲だと。耳が悪いのですか?」

「冗談はさておき。何か目的があるから、このような所までいらしたのでしょう?管理塔からめったに出てこないあなたが」


 エピフィラム王女は、すっ、と気まぐれな猫のように目を細める。


「あら、あなたの粘着質な性格のせいで、私のお師匠様で旦那様が困っていたから、人助け。悪いかしら?」

「いい加減にしてくれないかい?」

「大きく分けたら三つ」

 まったく表情は変わらないのに、声だけが面白そうに転がる。

 王女は指で指し示す。

「一つ、妹の晴れ舞台くらい、お姉様だって涙を流したいと思うでしょう?」

「二つ、あなたの浮気の制裁。養育ばかりを押し付けられて、ああ、理不尽」

「三つ――」

 そういって、エピフィラムはコーエンの肩に手を添える。

 ぞくりとするほど冷たい手。

「この職人に会いたかった」

 耳元でそう言った。

 吐息で首筋が凍りそうだった。


 シグリッドは、目を細める。

「この職人の処置は私が一任する。王女様が担うべき仕事ではない」

「レオニダス卿は、いつも私の言うことを聞いてくれないの」

 エピフィラムは眉を下げる、ようなそぶりをする。

「何が言いたいのです」

「私は、話相手が欲しいのです」

「サズカがいるでしょう」

「たまには男と話したいではありませんか」

「そのような下賤な発言はよしてください」

「じゃあ言葉を変えましょうか。この職人と、マザー・リリーについて語りたいのです」


 場の空気が固まる。

 リベルトは、様子をうかがうように、シグリッドとエピフィラムを交互に見る。

 コーエンはその場の空気にのまれる以上、どうすることもできなかった。

 まとまらない考えが空転する。


 マザー・リリーについて語る?

 この王女様は、何を?しかも養育ってなんだ。管理棟って?


 エピフィラムは、上目遣いでシグリッドに詰め寄る。

「いいでしょう?だって…あなたの目的は、“ハノイットの武器”にすることでしょう?私と、この職人を。じゃあ、武器同士、仲良しの方が効率がいいじゃない」


 エピフィラムは小さな唇を持ち上げた。


「折半」


 エピフィラムがシグリッドのもとに歩み寄る。


「折半です、この男の処遇は、私とあなたで折半。レオニダス卿。それがいい」

「面白いことを言われる――」

 言い終わらぬうちにエピフィラムが重ねる。

「私、マザー・リリーの育成、疲れちゃった。面白いことがなければやる気がなくなっちゃう。デポンも、アンテノイドも、みーんな枯らしてしまおうかしら」


 シグリッドが一瞬顔をこわばらせた。


「それは穏やかではない。民が困ってしまう」

「そうでしょう。では、私の要求をのみなさい。レオニダスのお坊ちゃま」


 しばらく冷たい沈黙が垂れ込めた。

 エピフィラムとシグリッドの視線は、激しく火花を散らした。


 シグリッドが、先にため息をついた。

「いいでしょう」

 エピフィラムが表情のない顔をわずかに動かした。

「ただし」

「あくまで折半だ。昼間は彼を、我らがマテリアル・カンパニーにいただこう」


 今度はシグリッドが、エピフィラムの方に歩みよる。


「所詮、あなたのお役目は夜でしょう。月下の姫君よ」


 そういって、シグリッドはほほ笑んだ。

「皆が寝静まった後に、どうぞ」

 エピフィラムとシグリッドの視線は再び冷たく絡み合った。


 シグリッドは、倒れた衛兵と、吹き飛ばされた花びらの残骸を見やった。

「それより王女様、私の配下の衛兵にずいぶんなことをしてくれましたね。どうするつもりです」

 エピフィラムは、眉を下げる。

「あら、人の体にはリリーの恵みは使ってはなりませんの。よくご存じでしょう」

「言われなくても分かっている。どう落とし前をつけるんだと聞いている」

「あなたが悪いのよ、だからあなたが何とかなさい」

 エピフィラムは、不敵にほほ笑むと、

「リベルト、坊ちゃまを手伝ってあげてくださいね。カンパニーのみなさんにもぜひお声がけを」

 そういって、踵を返した。

 リベルトはまた顔を白くした。


 **

 コーエンは、しばらくの間、地下牢に幽閉された。

 牢と言っても、ずいぶんと清潔なもので、アトリエの仮眠室と何ら変わりない。

 むしろそれ以上に快適な空間であった。

 寝具には黴臭さもないし、食事も与えられる。

 処遇が決まるまでの間はここにいろ、ということなのか。


 妙に現実感がない。

 頭が重い。

 すぐそこに、耳を澄ませばアトリエの音が聞こえるようである。

 反応炉、断裁音、縫製音…

 コーエンの意識は遠くなった。


 **

 カン、カンッ。


 澄んだ音が聞こえる。

 まどろみを突き抜けるような、透明な音。


 カン、カンッ。


 もう少し眠っていたいと思いながらも、何かを打つ音が次第に意識を覚醒させる。

 コーエンは、重たい瞼を開いた。


「母さん、おはよう」


 艶やかな栗色の髪の女性がほほ笑む。

 顔は陽光で照らされて見えないのに、微笑んでいることだけが分かるのが不思議である。


「おはよう。まったくお寝坊さんね。さあ、ごはんはできているわよ。お父さんを呼んできてくれるかしら」

「うん」

 父さんは、畑にいた。

 微笑みながら、豆の枝に優しくふれている。

 背中しか見てないのに、なぜ微笑んでいることが分かるのだろう。


「父さん」

「ほら見ろ、コーエン。おいしそうな豆ができた。成功だぞ」

「母さんが、ご飯だって」

「今更豆をもっていっても怒られてしまうな」

 そういって、父は笑った。


 父に手を引かれて、家路につくと、突然、空が暗くなった。

 ぽつり、とコーエンの頬にしずくを垂らした。


 *

 雨は、やまなかった。

 次の日も、その次の日も。

 土は無残に流され、どこが川なのか、どこが地面なのか、わからなくなってしまった。

 太陽が出なくなった。いつが夜なのか、いつが昼なのか、わからなくなってしまった。

 畑から作物は姿を消した。

 母さんは、笑った。でも、肌は真っ白だった。

 父さんは涙を流した。

 なぜだろう、後ろ姿しか見ていないのに、涙を流していることだけが分かるのだ――。


 コーエンの目から、冷たい涙がこぼれ出た。


 **

「コーエン」

 揺れる声が聞こえた。

 甘い香りがする。

「コーエン」

 遠かった意識が少しずつ浮上していく。

「……お師匠様?」

 その瞬間。

 額に冷たいものが触れた。


「!?」


 目の前にエメラルドの瞳。

 漆黒の髪。

 透き通るように白い肌。

 氷のような冷たい手が――自分の額に触れている。


「ひいっ!な、なんだ!?」

 コーエンは、慌てて身体を起こした。


「っつ!」

 頭がガンガンする。

 今にも割れそうなほど痛い。

 熱でもあるのか、視界が潤んできた。

 ここはどこだ。

 何が起きた。

 コーエンは、こめかみを押さえながら、うずくまる。


「熱でもあるのですか」

 少女はうずくまるコーエンを平然と覗き込んでくる。

「人間は熱に弱いのですね」

 リリーの甘い香りが、鼻を突く。

 その香りだけで頭痛が増す気がして、コーエンは思わず目を逸らした。


「王女様……なぜ、このような場所に……」

「死にかけのリリーみたいな声ですね。かわいそうに」

 エピフィラムは立ち上がると、牢の中を意味もなく歩いた。


「私のお師匠様で、旦那様のコーエンが、こんなところに閉じ込められていたら心配でしょう?」


 コーエンは、すべて違うんだが……と突っ込みたくなったが、言葉を飲み込んだ。

 エピフィラムが振り返ったからだ。

 ぎこちない笑顔で。

 まるで、『笑顔とはこう作るものなのでしょう?』と誰かに教わったまま真似しているような。


「――まあ、冗談ですが」

 一瞬で真顔に戻ると、彼女は事務的に続ける。


「レオニダスのクソ親子から伝言、正確には横流しです」

「……それは公爵と、シグリッド様のことでしょうか?」

 コーエンは、覇気のない声で確認したが、無視された。

「明日からマテリアル・カンパニーに来いと」

「私も馬鹿ではありません。そこまで徹底的に喧嘩を売る気もないので。止めはしません」

 そういって、エピフィラムは肩をすくめる。

 コーエンは頭を抱えた。

 昨日、衛兵を半殺しにしたのは誰だっただろう。

 記憶違いだろうか。


「まあ、処遇については直接クソ親子から説明があるでしょう」


 エピフィラムは、どこから取り出したのか、手の中で花びらを捏ね始めた。

 柔らかな花弁が形を変え、みるみる刃物のような鋭さを帯びていく。


「ですが、私からは一つだけ」

 コーエンの首元に、刃物と化した花びらを、背後からそっと突き付ける。


「レオニダスに浮気してはいけませんよ」

 人間のものとは思えないほど、冷たい息がかかる。

「たとえ、彼が――リリーが、どれほど魅力的だったとしても」


 コーエンは、王女の手を取って下ろし、正面に向き直らせた。

「王女様、冗談はよしてください」


 エピフィラムは、正面から真顔で言った。


「あなたには責任があります。母様の…私の、靴を直してしまったから」


 今までの真顔とは少し違う、何かにすがるような表情だった。


「後戻りは、させません」

 エピフィラムは、吐き捨てるようにそう言うと、踵を返した。


 コーエンは不意に、彼女の足元を見た。

 そして、目を見張った。


「お、王女様。その靴――」


 あの靴だった。

 三十分で修理した、あの靴。


「いい靴でしょう」

 エピフィラムは振り返る。

「マーガレット母様から受け継いだものです」

「その靴は、一体……」


「絶縁靴」


 面白そうに彼女は言って、胸元の白いリリーのコサージュを引き抜くと、ライターで勢いよく炙った。

 みるみるうちに、激しい白い光が生まれる。

 コーエンは、とっさに叫んだ。

「おい!何やって……!」

 止める間もなく、音を立てて爆発した。


 もくもくと、煙が辺りを覆う。


 うそだろ。

 死ぬ気か。

 しかし。

 コーエンは、信じられないものを見た。


 煙の奥に――

 エピフィラムは何一つ変わらぬ姿で立っていた。

 不敵な笑みを浮かべながら。


「あなた、リリーの秘密を知りたいでしょう」

 エメラルドの瞳が細くなる。

「なら、夜に私のところへ来なさい」

 最後に、茶目っ気たっぷりに付け加えた。


「お忍びでね」



政治ゴリラ同士の戦いが始まりました。

コーエン、がんばれ。

次回、イベットが気づいてしまいます。

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