◆4-1 月下の姫君
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「して、エピフィラム王女様は、何がお望みなのでしょう?」
シグリッドは華やかな笑顔を浮かべる。
「先ほど言いました。あなたの捕獲だと。耳が悪いのですか?」
「冗談はさておき。何か目的があるから、このような所までいらしたのでしょう?管理塔からめったに出てこないあなたが」
エピフィラム王女は、すっ、と気まぐれな猫のように目を細める。
「あら、あなたの粘着質な性格のせいで、私のお師匠様で旦那様が困っていたから、人助け。悪いかしら?」
「いい加減にしてくれないかい?」
「大きく分けたら三つ」
まったく表情は変わらないのに、声だけが面白そうに転がる。
王女は指で指し示す。
「一つ、妹の晴れ舞台くらい、お姉様だって涙を流したいと思うでしょう?」
「二つ、あなたの浮気の制裁。養育ばかりを押し付けられて、ああ、理不尽」
「三つ――」
そういって、エピフィラムはコーエンの肩に手を添える。
ぞくりとするほど冷たい手。
「この職人に会いたかった」
耳元でそう言った。
吐息で首筋が凍りそうだった。
シグリッドは、目を細める。
「この職人の処置は私が一任する。王女様が担うべき仕事ではない」
「レオニダス卿は、いつも私の言うことを聞いてくれないの」
エピフィラムは眉を下げる、ようなそぶりをする。
「何が言いたいのです」
「私は、話相手が欲しいのです」
「サズカがいるでしょう」
「たまには男と話したいではありませんか」
「そのような下賤な発言はよしてください」
「じゃあ言葉を変えましょうか。この職人と、マザー・リリーについて語りたいのです」
場の空気が固まる。
リベルトは、様子をうかがうように、シグリッドとエピフィラムを交互に見る。
コーエンはその場の空気にのまれる以上、どうすることもできなかった。
まとまらない考えが空転する。
マザー・リリーについて語る?
この王女様は、何を?しかも養育ってなんだ。管理棟って?
エピフィラムは、上目遣いでシグリッドに詰め寄る。
「いいでしょう?だって…あなたの目的は、“ハノイットの武器”にすることでしょう?私と、この職人を。じゃあ、武器同士、仲良しの方が効率がいいじゃない」
エピフィラムは小さな唇を持ち上げた。
「折半」
エピフィラムがシグリッドのもとに歩み寄る。
「折半です、この男の処遇は、私とあなたで折半。レオニダス卿。それがいい」
「面白いことを言われる――」
言い終わらぬうちにエピフィラムが重ねる。
「私、マザー・リリーの育成、疲れちゃった。面白いことがなければやる気がなくなっちゃう。デポンも、アンテノイドも、みーんな枯らしてしまおうかしら」
シグリッドが一瞬顔をこわばらせた。
「それは穏やかではない。民が困ってしまう」
「そうでしょう。では、私の要求をのみなさい。レオニダスのお坊ちゃま」
しばらく冷たい沈黙が垂れ込めた。
エピフィラムとシグリッドの視線は、激しく火花を散らした。
シグリッドが、先にため息をついた。
「いいでしょう」
エピフィラムが表情のない顔をわずかに動かした。
「ただし」
「あくまで折半だ。昼間は彼を、我らがマテリアル・カンパニーにいただこう」
今度はシグリッドが、エピフィラムの方に歩みよる。
「所詮、あなたのお役目は夜でしょう。月下の姫君よ」
そういって、シグリッドはほほ笑んだ。
「皆が寝静まった後に、どうぞ」
エピフィラムとシグリッドの視線は再び冷たく絡み合った。
シグリッドは、倒れた衛兵と、吹き飛ばされた花びらの残骸を見やった。
「それより王女様、私の配下の衛兵にずいぶんなことをしてくれましたね。どうするつもりです」
エピフィラムは、眉を下げる。
「あら、人の体にはリリーの恵みは使ってはなりませんの。よくご存じでしょう」
「言われなくても分かっている。どう落とし前をつけるんだと聞いている」
「あなたが悪いのよ、だからあなたが何とかなさい」
エピフィラムは、不敵にほほ笑むと、
「リベルト、坊ちゃまを手伝ってあげてくださいね。カンパニーのみなさんにもぜひお声がけを」
そういって、踵を返した。
リベルトはまた顔を白くした。
**
コーエンは、しばらくの間、地下牢に幽閉された。
牢と言っても、ずいぶんと清潔なもので、アトリエの仮眠室と何ら変わりない。
むしろそれ以上に快適な空間であった。
寝具には黴臭さもないし、食事も与えられる。
処遇が決まるまでの間はここにいろ、ということなのか。
妙に現実感がない。
頭が重い。
すぐそこに、耳を澄ませばアトリエの音が聞こえるようである。
反応炉、断裁音、縫製音…
コーエンの意識は遠くなった。
**
カン、カンッ。
澄んだ音が聞こえる。
まどろみを突き抜けるような、透明な音。
カン、カンッ。
もう少し眠っていたいと思いながらも、何かを打つ音が次第に意識を覚醒させる。
コーエンは、重たい瞼を開いた。
「母さん、おはよう」
艶やかな栗色の髪の女性がほほ笑む。
顔は陽光で照らされて見えないのに、微笑んでいることだけが分かるのが不思議である。
「おはよう。まったくお寝坊さんね。さあ、ごはんはできているわよ。お父さんを呼んできてくれるかしら」
「うん」
父さんは、畑にいた。
微笑みながら、豆の枝に優しくふれている。
背中しか見てないのに、なぜ微笑んでいることが分かるのだろう。
「父さん」
「ほら見ろ、コーエン。おいしそうな豆ができた。成功だぞ」
「母さんが、ご飯だって」
「今更豆をもっていっても怒られてしまうな」
そういって、父は笑った。
父に手を引かれて、家路につくと、突然、空が暗くなった。
ぽつり、とコーエンの頬にしずくを垂らした。
*
雨は、やまなかった。
次の日も、その次の日も。
土は無残に流され、どこが川なのか、どこが地面なのか、わからなくなってしまった。
太陽が出なくなった。いつが夜なのか、いつが昼なのか、わからなくなってしまった。
畑から作物は姿を消した。
母さんは、笑った。でも、肌は真っ白だった。
父さんは涙を流した。
なぜだろう、後ろ姿しか見ていないのに、涙を流していることだけが分かるのだ――。
コーエンの目から、冷たい涙がこぼれ出た。
**
「コーエン」
揺れる声が聞こえた。
甘い香りがする。
「コーエン」
遠かった意識が少しずつ浮上していく。
「……お師匠様?」
その瞬間。
額に冷たいものが触れた。
「!?」
目の前にエメラルドの瞳。
漆黒の髪。
透き通るように白い肌。
氷のような冷たい手が――自分の額に触れている。
「ひいっ!な、なんだ!?」
コーエンは、慌てて身体を起こした。
「っつ!」
頭がガンガンする。
今にも割れそうなほど痛い。
熱でもあるのか、視界が潤んできた。
ここはどこだ。
何が起きた。
コーエンは、こめかみを押さえながら、うずくまる。
「熱でもあるのですか」
少女はうずくまるコーエンを平然と覗き込んでくる。
「人間は熱に弱いのですね」
リリーの甘い香りが、鼻を突く。
その香りだけで頭痛が増す気がして、コーエンは思わず目を逸らした。
「王女様……なぜ、このような場所に……」
「死にかけのリリーみたいな声ですね。かわいそうに」
エピフィラムは立ち上がると、牢の中を意味もなく歩いた。
「私のお師匠様で、旦那様のコーエンが、こんなところに閉じ込められていたら心配でしょう?」
コーエンは、すべて違うんだが……と突っ込みたくなったが、言葉を飲み込んだ。
エピフィラムが振り返ったからだ。
ぎこちない笑顔で。
まるで、『笑顔とはこう作るものなのでしょう?』と誰かに教わったまま真似しているような。
「――まあ、冗談ですが」
一瞬で真顔に戻ると、彼女は事務的に続ける。
「レオニダスのクソ親子から伝言、正確には横流しです」
「……それは公爵と、シグリッド様のことでしょうか?」
コーエンは、覇気のない声で確認したが、無視された。
「明日からマテリアル・カンパニーに来いと」
「私も馬鹿ではありません。そこまで徹底的に喧嘩を売る気もないので。止めはしません」
そういって、エピフィラムは肩をすくめる。
コーエンは頭を抱えた。
昨日、衛兵を半殺しにしたのは誰だっただろう。
記憶違いだろうか。
「まあ、処遇については直接クソ親子から説明があるでしょう」
エピフィラムは、どこから取り出したのか、手の中で花びらを捏ね始めた。
柔らかな花弁が形を変え、みるみる刃物のような鋭さを帯びていく。
「ですが、私からは一つだけ」
コーエンの首元に、刃物と化した花びらを、背後からそっと突き付ける。
「レオニダスに浮気してはいけませんよ」
人間のものとは思えないほど、冷たい息がかかる。
「たとえ、彼が――リリーが、どれほど魅力的だったとしても」
コーエンは、王女の手を取って下ろし、正面に向き直らせた。
「王女様、冗談はよしてください」
エピフィラムは、正面から真顔で言った。
「あなたには責任があります。母様の…私の、靴を直してしまったから」
今までの真顔とは少し違う、何かにすがるような表情だった。
「後戻りは、させません」
エピフィラムは、吐き捨てるようにそう言うと、踵を返した。
コーエンは不意に、彼女の足元を見た。
そして、目を見張った。
「お、王女様。その靴――」
あの靴だった。
三十分で修理した、あの靴。
「いい靴でしょう」
エピフィラムは振り返る。
「マーガレット母様から受け継いだものです」
「その靴は、一体……」
「絶縁靴」
面白そうに彼女は言って、胸元の白いリリーのコサージュを引き抜くと、ライターで勢いよく炙った。
みるみるうちに、激しい白い光が生まれる。
コーエンは、とっさに叫んだ。
「おい!何やって……!」
止める間もなく、音を立てて爆発した。
もくもくと、煙が辺りを覆う。
うそだろ。
死ぬ気か。
しかし。
コーエンは、信じられないものを見た。
煙の奥に――
エピフィラムは何一つ変わらぬ姿で立っていた。
不敵な笑みを浮かべながら。
「あなた、リリーの秘密を知りたいでしょう」
エメラルドの瞳が細くなる。
「なら、夜に私のところへ来なさい」
最後に、茶目っ気たっぷりに付け加えた。
「お忍びでね」
政治ゴリラ同士の戦いが始まりました。
コーエン、がんばれ。
次回、イベットが気づいてしまいます。




