↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/32

◆3-7 青の余韻

 

***

 諸貴族たちは、大聖堂の大礼拝堂から、王宮の大広間へと移動していた。

「舞踏会」に参加するためだ。


 これは、婚約式の最後を飾る大セレモニー。

 王族と各領地の貴族たちが一堂に会し、踊りと社交を楽しむ。

 その裏で、家の威光を示し、縁談を探り、友好関係を築く。

 華やかな宴でありながら、その実、沈黙の戦場。


 しかし、今日ばかりは違った。

 誰もが、語らずにはいられない。

 エリカ王女と「青の靴」を。

 その美しさを思い起こす時だけは、虚飾も駆け引きも忘れ、心のままにため息をつくのだった。


 会場には軽やかなメヌエットが流れる。

 青の余韻に浸った諸貴族たちは、陶酔したような面持ちで、ステップを踏んだ。


 メヌエットが、遠くで聞こえる。

 濃紫の幕で仕切られた貴賓室には、会場の賑わいは届かない。


 グレイス侯爵、リッカルド・アルカートンは、重たい幕を持ち上げ、薄暗い部屋の中に視線を巡らした。

 橙のリリー灯が、おぼろに揺らめいている。

 そして、その傍に、鋭い目元を持つ壮健な男の影が、静かに映し出されていた。


「ご無沙汰しております、レオニダス公爵様」


「グレイス侯爵、久しいな。息災そうで何よりだ」


 リッカルドは、席を勧められるまま、公爵の前に静かに座した。


 公爵が目くばせをすると、使用人はリッカルドの前にワイングラスを差し出した。


「まずは旅の疲れを癒してくれ」

 公爵は手ずからワインを注ぐと、グラスを掲げる。


「ああ。痛み入る」

 そう言って、リッカルドもまた、グラスを掲げた。


 二人でワインに口をつけた後、公爵は話を切り出した。


「あなたが、足を運んでくれるとは思わなかったよ」


 リッカルドはグラスを手元に置くと、「はは」と小さく笑った。


「可愛い姪の晴れ舞台だ。しかも、相手は君のご子息ときた。来ぬ訳にはいかぬだろう」


「招待状など、いつもは見向きもされぬくせに」

「皮肉なことを言う。北の領地は、そう何度も留守にするわけにはいかないからね」


 乾いた笑いを浮かべるリッカルドに、レオニダス公爵は、一段と声を低くした。


「……変わらぬ状態か。グレイス領は」


 リッカルドは静かに応答する。


「近頃は正面から攻撃されるようなことはなくなった。ただ……奴らも頭を使うようになった。楽観視できる状態ではない」


「あの時のようなことは二度とあってはならぬ。我がレオニダスと、グレイス家の仲だ。情報は速やかに共有してくれ」


「……ああ」


 リッカルドが低く答えると、公爵は、言葉の真偽を探ろうとでもするように鋭い視線をよこした。

 リッカルドは、正面からその目を見返した後、いかにも自然に別の話をする。


「ロゼリアは、どうしてる」

 リッカルドの問いに、公爵は事務報告でもするように伝える。

「……王妃は息災だ。近頃はお心も安定しておられる。安心してくれ」


 リッカルドは静かに目を瞑り、小さく息を吐いた。

「あれには、可哀想なことをしたからな。少しでも……いや、いい。ありがとう、ダンカード」


 そうして、二人は無言でワイングラスを傾けた。

 やがてリッカルドは、口調を変えた。


「ところで、ダンカード……いえ、レオニダス公爵」

「何だ」

「公爵家は、面白い手札を見つけられましたな」


「……手札?」

「あの職人のことだ。実に面白い」


 リッカルドは、乾いた表情に一筋だけ興味の色を浮かべた。


「驚いたよ。あのような『青』、マテリアル・カンパニーの研究官吏でも簡単には出せまい。実に異質な職人だ」


 レオニダス公爵は僅かに笑った。


「何が言いたい」

「コーエン・アルミナイト。無名の彼を選んだのには、何か目的があるのだろう」

「大した理由はない。倅……シグリッドの気まぐれだ」


 リッカルドは、くっく、と喉の奥で笑う。


「あなたの意思がない、なんてことはないだろう?彼を利用して......何を始める?」


 公爵はリッカルドの問いにわずかに目を細めると、低い声で言った。

「何も。貴殿が気にすることは何もない」


 そうして、聞こえるか聞こえぬかの声音でこぼした。

「私は懐かしいだけだ……キャンベルの置き土産だからな」



**

「ひゃっ!」


 イベットは、若芽色のドレスの裾を踏んづけ、大胆によろめいた。


「おい」


 転びかけた腕を、アズソールがとっさにつかむ。


「危ねえな。お前、何回目だよ。いい加減なれろ」


「こんなきらびやかなもの、着る機会ないのよ!私庶民だもの!」


 イベットは、慣れないドレスの裾を憎々しげに睨みつけた。


 イベットとアズソールはこの日、王宮の舞踏会に参加していた。

 ――一級職人コーエン・アルミナイトの()として。


「だいたい、主役が不在っておかしいでしょうが!なんで王宮も認めてんの!?」


 イベットの真っ当な反発に、アズソールは肩をすくめた。


「靴さえ納めりゃ、あとは自由ってことだろ」

「そうかもしれないけど……!」


 イベットは、俯いて言葉を飲み込んだ。


(……どうせなら自慢したかったのよ。コーエンの靴はすごいでしょ、って)


 急に黙り込んだイベットに、アズソールは言う。

「いいんだよ。あいつなんか”伝説の職人”くらいで」


 そういって、アズソールは小気味よく笑う。


「さっき噂で聞いたが、磨けば光るお方だって、ご令嬢方に人気らしいぞ。『青の貴公子』とか呼ばれたな」


「……はあ!?何それ!」

 イベットは顔を上げ、全力で顔をしかめた。


「……棟梁」

「なんだ?」


「こうなったら売り込んでやりましょう!あいつの都合のいい噂を、売上に変えるのよ!ええ、それがいいわ!それくらいやらないと、割に合わないわ!」


 イベットは、その目をギラギラと闘志に燃え滾らせた。

アズソールは、「おお、その意気だ」と軽快に笑った。


「……ただ、気は抜くなよ。あいつら貴族は、全員魔物だ」


 そう言って、少しだけ声を落とす。

「何かあれば、すぐに俺に言え。いいな」


「……はい!」

 イベットは威勢よく答えた。



**

 コーエン・アルミナイトは、花結晶の冷たい廊下を歩いていた。


 大広間では今ごろ舞踏会が始まっているのだろう。人影は、見当たらない。

 傾き始めた太陽が長い窓から差し込み、橙色の筋を落としているのみであった。


 ――疲れた。


 儀式が終わって、礼装から解放された瞬間、一気に緊張がほどけてしまった。

 身体は重いし、妙に現実感が薄い。睡眠不足が祟っただろうか。


 舞踏会に顔を出さないのは、さすがに失礼だったかもしれない。

 でも、今のコーエンには、社交的に振舞うだけの余裕が残っていなかったのだ。

 

 花結晶の扉に夕陽が反射し、幻想的にきらめく。

 コーエンはそのまぶしさに目を細めつつ、重たい扉に手をかけた、その時。


 背後で、クスっと笑う声がした。


 「帰るのかい?コーエン・アルミナイト」

 

 背筋が凍りついた。

 甘く、鋭い、声。

 ありえない。

 なぜ、ここに?


 心臓が激しく波打つ。

 そして、ゆっくりと振り返る。

 そこにいるのは――。


「シグリッド・レオニダス卿……」


 舞踏会にいるはずの男が、夕日の差す廊下に、一人で立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。