◆3-7 青の余韻
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諸貴族たちは、大聖堂の大礼拝堂から、王宮の大広間へと移動していた。
「舞踏会」に参加するためだ。
これは、婚約式の最後を飾る大セレモニー。
王族と各領地の貴族たちが一堂に会し、踊りと社交を楽しむ。
その裏で、家の威光を示し、縁談を探り、友好関係を築く。
華やかな宴でありながら、その実、沈黙の戦場。
しかし、今日ばかりは違った。
誰もが、語らずにはいられない。
エリカ王女と「青の靴」を。
その美しさを思い起こす時だけは、虚飾も駆け引きも忘れ、心のままにため息をつくのだった。
会場には軽やかなメヌエットが流れる。
青の余韻に浸った諸貴族たちは、陶酔したような面持ちで、ステップを踏んだ。
*
メヌエットが、遠くで聞こえる。
濃紫の幕で仕切られた貴賓室には、会場の賑わいは届かない。
グレイス侯爵、リッカルド・アルカートンは、重たい幕を持ち上げ、薄暗い部屋の中に視線を巡らした。
橙のリリー灯が、おぼろに揺らめいている。
そして、その傍に、鋭い目元を持つ壮健な男の影が、静かに映し出されていた。
「ご無沙汰しております、レオニダス公爵様」
「グレイス侯爵、久しいな。息災そうで何よりだ」
リッカルドは、席を勧められるまま、公爵の前に静かに座した。
公爵が目くばせをすると、使用人はリッカルドの前にワイングラスを差し出した。
「まずは旅の疲れを癒してくれ」
公爵は手ずからワインを注ぐと、グラスを掲げる。
「ああ。痛み入る」
そう言って、リッカルドもまた、グラスを掲げた。
二人でワインに口をつけた後、公爵は話を切り出した。
「あなたが、足を運んでくれるとは思わなかったよ」
リッカルドはグラスを手元に置くと、「はは」と小さく笑った。
「可愛い姪の晴れ舞台だ。しかも、相手は君のご子息ときた。来ぬ訳にはいかぬだろう」
「招待状など、いつもは見向きもされぬくせに」
「皮肉なことを言う。北の領地は、そう何度も留守にするわけにはいかないからね」
乾いた笑いを浮かべるリッカルドに、レオニダス公爵は、一段と声を低くした。
「……変わらぬ状態か。グレイス領は」
リッカルドは静かに応答する。
「近頃は正面から攻撃されるようなことはなくなった。ただ……奴らも頭を使うようになった。楽観視できる状態ではない」
「あの時のようなことは二度とあってはならぬ。我がレオニダスと、グレイス家の仲だ。情報は速やかに共有してくれ」
「……ああ」
リッカルドが低く答えると、公爵は、言葉の真偽を探ろうとでもするように鋭い視線をよこした。
リッカルドは、正面からその目を見返した後、いかにも自然に別の話をする。
「ロゼリアは、どうしてる」
リッカルドの問いに、公爵は事務報告でもするように伝える。
「……王妃は息災だ。近頃はお心も安定しておられる。安心してくれ」
リッカルドは静かに目を瞑り、小さく息を吐いた。
「あれには、可哀想なことをしたからな。少しでも……いや、いい。ありがとう、ダンカード」
そうして、二人は無言でワイングラスを傾けた。
やがてリッカルドは、口調を変えた。
「ところで、ダンカード……いえ、レオニダス公爵」
「何だ」
「公爵家は、面白い手札を見つけられましたな」
「……手札?」
「あの職人のことだ。実に面白い」
リッカルドは、乾いた表情に一筋だけ興味の色を浮かべた。
「驚いたよ。あのような『青』、マテリアル・カンパニーの研究官吏でも簡単には出せまい。実に異質な職人だ」
レオニダス公爵は僅かに笑った。
「何が言いたい」
「コーエン・アルミナイト。無名の彼を選んだのには、何か目的があるのだろう」
「大した理由はない。倅……シグリッドの気まぐれだ」
リッカルドは、くっく、と喉の奥で笑う。
「あなたの意思がない、なんてことはないだろう?彼を利用して......何を始める?」
公爵はリッカルドの問いにわずかに目を細めると、低い声で言った。
「何も。貴殿が気にすることは何もない」
そうして、聞こえるか聞こえぬかの声音でこぼした。
「私は懐かしいだけだ……キャンベルの置き土産だからな」
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「ひゃっ!」
イベットは、若芽色のドレスの裾を踏んづけ、大胆によろめいた。
「おい」
転びかけた腕を、アズソールがとっさにつかむ。
「危ねえな。お前、何回目だよ。いい加減なれろ」
「こんなきらびやかなもの、着る機会ないのよ!私庶民だもの!」
イベットは、慣れないドレスの裾を憎々しげに睨みつけた。
イベットとアズソールはこの日、王宮の舞踏会に参加していた。
――一級職人コーエン・アルミナイトの代役として。
「だいたい、主役が不在っておかしいでしょうが!なんで王宮も認めてんの!?」
イベットの真っ当な反発に、アズソールは肩をすくめた。
「靴さえ納めりゃ、あとは自由ってことだろ」
「そうかもしれないけど……!」
イベットは、俯いて言葉を飲み込んだ。
(……どうせなら自慢したかったのよ。コーエンの靴はすごいでしょ、って)
急に黙り込んだイベットに、アズソールは言う。
「いいんだよ。あいつなんか”伝説の職人”くらいで」
そういって、アズソールは小気味よく笑う。
「さっき噂で聞いたが、磨けば光るお方だって、ご令嬢方に人気らしいぞ。『青の貴公子』とか呼ばれたな」
「……はあ!?何それ!」
イベットは顔を上げ、全力で顔をしかめた。
「……棟梁」
「なんだ?」
「こうなったら売り込んでやりましょう!あいつの都合のいい噂を、売上に変えるのよ!ええ、それがいいわ!それくらいやらないと、割に合わないわ!」
イベットは、その目をギラギラと闘志に燃え滾らせた。
アズソールは、「おお、その意気だ」と軽快に笑った。
「……ただ、気は抜くなよ。あいつら貴族は、全員魔物だ」
そう言って、少しだけ声を落とす。
「何かあれば、すぐに俺に言え。いいな」
「……はい!」
イベットは威勢よく答えた。
**
コーエン・アルミナイトは、花結晶の冷たい廊下を歩いていた。
大広間では今ごろ舞踏会が始まっているのだろう。人影は、見当たらない。
傾き始めた太陽が長い窓から差し込み、橙色の筋を落としているのみであった。
――疲れた。
儀式が終わって、礼装から解放された瞬間、一気に緊張がほどけてしまった。
身体は重いし、妙に現実感が薄い。睡眠不足が祟っただろうか。
舞踏会に顔を出さないのは、さすがに失礼だったかもしれない。
でも、今のコーエンには、社交的に振舞うだけの余裕が残っていなかったのだ。
花結晶の扉に夕陽が反射し、幻想的にきらめく。
コーエンはそのまぶしさに目を細めつつ、重たい扉に手をかけた、その時。
背後で、クスっと笑う声がした。
「帰るのかい?コーエン・アルミナイト」
背筋が凍りついた。
甘く、鋭い、声。
ありえない。
なぜ、ここに?
心臓が激しく波打つ。
そして、ゆっくりと振り返る。
そこにいるのは――。
「シグリッド・レオニダス卿……」
舞踏会にいるはずの男が、夕日の差す廊下に、一人で立っていた。




