◆3-6 靴納めの儀
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セントバルク大聖堂。
ハノイット建国の時代からずっしりと世を見守る、由緒ある大聖堂。
儀式は、その大礼拝堂で執り行われた。
身体ごと吸い込まれそうなほど、遥かに高い天井。
重厚な石造りの空間は、色鮮やかなステンドグラスの光で満たされている。
陽光は砕けて床に落ち、幻想的な色彩の影を揺らしている。
コーエン・アルミナイトは、揺らめく光を浴びながら、
片膝をつき、深く頭を垂れていた。
「アトリエ・ウィズダム所属、コーエン・アルミナイト。前へ」
司祭の声が静寂を震わせた。
「は」
コーエンは、恐る恐る顔を上げた。
桃色、空色、菫色、鈍色、藍――。
視界の先は、まるで巨大な花畑だった。
はるか先の席まで埋め尽くす、各地の貴族たち。
その一輪一輪は、こちらを値踏みする目を持っている。
興味、疑念、侮蔑、憐憫。
無数の視線が、コーエンの肌を無秩序に突き刺す。
その視線の中でも、とりわけ鋭いものがあった。
社交界に疎いコーエンも、刃物のような視線に気づかぬわけはなかった。
レオニダス公爵様。
国家研究組織『マテリアル・カンパニー』を率いる、ハノイット随一の大貴族。
その名を知らぬ者など、この国にはいない。
コーエンは背筋に冷たいものを感じ、危うく身震いしそうになった。
(落ち着け。今すべきことは、靴を納めることだけだ)
小さく呼吸を整え、壇上へ視線をやる。
最奥の玉座に控えるのは、フォンテス陛下とロゼリア王妃。
名実ともにハノイットの最高権力。
視線を右に滑らすと、公爵子息で新郎、シグリッド・レオニダス卿。
左側には、エリカ王女が静かに控える。
コーエンの額から、冷たい汗が流れた。
いつものコーエンなら、彼らの衣装を喜んで観察していただろう。
素材、縫製、技法。
王族の婚礼衣装など、普段お目にかかれるものではない。好奇心などいくつあっても足りないくらいだ。
――だが今日は違った。
誰がどこにいるのか把握するだけで精一杯だった。
とにかく喉が渇いて仕方ない。
一秒でも早く、立ち去りたくてたまらない。それくらい、居心地が悪かった。
コーエンは乾いた喉に、無理やり唾を飲み込んだ。
ゆっくり立ち上がり、花結晶の床を踏んで前へ進む。
深く一礼して、丁寧に献上箱を差し出すと、再び頭を垂れる。
「献上品を、あらためよ」
司祭の声に、壇の上から、ゆっくりと人が動く気配がした。
跪くコーエンの耳に、雅やかな靴音が近づいてくる。
「ハノイットの一級職人より、献上靴を預かる」
甘く鋭い声がコーエンの頭上に落ちる。
俯いたままでも、その色香の正体は自ずとわかった。
――シグリッド・レオニダス卿だ。
シグリッドが静かに箱を開くと、周囲から音が消えた。
職人にとって最も苦しい――作品を値踏みされる時間だ。
息が詰まる。視線が刺さる。
コーエンは、堪えるように冷たい汗を握った。
「……素晴らしい」
恍惚に浸るような声が、はらりと落ちた。
コーエンは予想外の言葉に、思わず顔を上げた。
そして、息を飲んだ。
――豹だ。
コーエンには、そう見えた。
美しく吊り上がった瞳。
その目には、炎の熱と氷の冷たさが同居している。
まるで、気まぐれな肉食獣のように、危うい。
それが、シグリッド・レオニダスの第一印象だった。
コーエンは、動きを封じられたかのように、目を逸らすことができなかった。
シグリッドはそんなコーエンを見て、わずかに笑った。
そして美しい手つきで献上靴を包み上げると、檀上へと戻る。
深紅の献上台に靴を置くと、静かに跪いた。
エリカ王女は、侍女に支えられて立ち上がり、シグリッドの元へ歩み寄る。
そして献上台の前で足を止める。
シグリッドは跪いたまま、王女の方をまっすぐに見つめる。
「私は貴方に愛を、この国に永遠の忠誠を誓う」
王女の頼りなく細い肩が、ピクリとほんの少し動いた。
「共に歩む証として、この靴をお受け取りください」
シグリッドは、靴を包み上げるようにして、王女に捧げる。
「私は……この靴を履き、あなた様と、ハノイットのために、歩みましょう。」
消え入りそうな細い声で、王女はシグリッドの誓言に応えた。
エリカ王女は、献上台の上に、自信なさげに自らの足を差し出すと、シグリッドは丁寧に靴を履かせた。
靴を履いた王女の姿が、皆の目に映った瞬間。
会場からは、ただ息を呑む音だけが漏れた。
青。
その鮮烈な”青”に、誰もが目を奪われた。
そして、その靴はぞっとするほど……ぴったりだった。
最初からエリカ王女の一部だったかのように。
淡く消え入りそうだった王女は、くっきりとした青い輪郭線を帯びて浮かびがった。
まるで静かに燃える、青い炎のように。
シグリッドは、エリカの手を引き、自然にエスコートする。
エリカが歩くたびに、その靴は光を浴びて色を変える。
深い青、揺らめく青、優しい青。
薄銀の静かな王女は、いつもはどんな色にも溶け込んでしまう。
でも……今は違う。
すべての色が彼女の『青』に跪くようだった。
シグリッドと王女は、コーエンのそばをゆっくりと通りすぎた。
その時。
コーエンは、少しだけ、王女と目があったような気がした。
本当に、一瞬だ。
そのまま、二人は観衆の前で完璧な礼をした。
静寂が走る。
そして、次の瞬間。
大聖堂が揺れるほどの拍手が湧き上がった。
歓声でも、揶揄でもない。
ただ純粋な賛美だった。
まるで魔法にかけられたように、誰もが靴に魅せられていた。
*
コーエンはようやく肩の力を抜いた。手が震えている。
でも、胸の奥で小さく息を吐く。
――よかった。
これで、すべて終わった。
だが。
なぜだろう。
エリカ王女のあの視線だけが、妙に心に残り続けていた。




