◆3-8 英雄か罪人
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「残念だけど、その扉、今日は開かないよ」
シグリッドは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
コーエンは、反射的に膝を就き、頭を低くした。
しかし、視線だけはシグリッドの姿から逸らすことができない。
「なぜ、私がこんな場所にいるのか?とでも言いたげな顔だね」
シグリッドは、コーエンの前で足を止める。
「君が逃げようとするからだよ。これだけ皆を魅了しておいて、随分思わせぶりじゃないか」
まるで幼い子を諭すように眉を下げて、美しく微笑した。
「一つ聞かせてもらおう」
シグリッドは、すっと目を細めると、コーエンを見下ろした。
「君は、手順書を見ていないだろ?」
コーエンの心臓が大きく跳ねた。
「……は?」
「あんな青、手順書通りにやっただけじゃ出せないからね」
コーエンは、何を言われているのか理解が追いつかなかった。
――王族への献上品だぞ。
手順書を見ずに作る馬鹿など、どこにいる。
そんなもの、罪人が自ら首に縄をかけるようなものだ。
「そんなはずは。確かに手順書を使って……」
コーエンは、言いかけで口をつぐんだ。
――手順と手順の微妙な隙間。
そこは自分が埋めた。
それだけだ。
そんなもの、だれでもやるだろう?
「そんな顔しないでくれ。脅しているわけじゃない」
シグリッドは、穏やかな声で、獰猛に微笑む。
「君は、読めるんだろう?リリーの反応特性を……その手で」
その言葉に、コーエンは、指先をわずかに震わせた。
「ずっと探していたんだ――十年前、これを作った少年をね」
そういって、シグリッドは懐から、銃を取り出した。
細いボディが、ぬるりと黒く光る。
――十年式リリー銃。
北部グレイス領で突如として出回り、消えた、幻の銃。
コーエンは、自分の手が震えていることに気づいた。
忘れたはずだった。
忘れようとしていた。
それでも、その黒い光は悪夢のように、閉じ込めた記憶をこじ開けてくる。
シグリッドは、冷たく、そして恍惚とするように言う。
「軌道がずれず、雨でも威力が潰えない。これには戦慄が走ったね。公認の技術では、こんな代物、作れない。実に素晴らしく、実に危険だ」
コーエンは、不気味なものを見るように、シグリッドを見返した。
「コーエン・アルミナイト――いや、コーエン・キャンベル」
シグリッドは、コーエンの前で片膝をついた。
冷たい指先が、そっと顎を持ち上げる。
「君を二度も逃すほど、レオニダスは甘くないよ」
コーエンは、その手を強く振り払うと、数歩後ずさる。
心臓がばくばくと激しく鼓動し、思考がまとまらない。
「あなたは、何を……何を望んでいるのですか」
シグリッドは、少しだけ目を見開くと、
くっく、と喉の奥で愉快に笑った。
「君を、レオニダスのものにしたい。それだけだよ」
「……は?」
「簡単だろ?一級職人なんて称号を与えてやったんだ。君がレオニダスの所有物になっても、だれも違和感など感じないさ。むしろ、大出世。ウィズダムも喜ぶだろうね」
「無理、だと言ったら……?」
シグリッドは、少しだけ考えると、
「その時は、これを使おうかな」
そう言って、懐へ手を入れる。
取りだされたものを見て、コーエンは息を止めた。
茶けた表紙。
擦り切れた角。
見間違えるはずがない。
コーエンの、スケッチブックだった。
「何で、それを……?」
「何で……ああ、私がこれを持っている理由かい?ルディックスからの共有だよ。これ、愚かな公爵が、全て燃やしたはずなんだけどね」
シグリッドは、ぱらぱらと中身を開き、楽しそうに微笑んだ。
「禁学の書。まさか君の手元に残っていたとは」
シグリッドの言葉を聞いた途端、コーエンの顔から血の気が引いた。
――この感覚を知っている。
パチパチと爆ぜる炎。
雪のように舞う、灰色の塵。
身体の一部が抜け落ちて、冷たくなるような感覚。
「顔面蒼白だね。君が私に逆らわなければ、もちろん不問にしてあげるよ」
――まるで悪夢だ。
逃げるか?
逃げてどうなる?
コーエンの思考は追いつかなかった。
それなのに、右手だけは勝手に動いた。
かつて何度も繰り返した手順をなぞるように。
後ろ手で、ポケットの中を探る。
そして、“白リリーの端切れ”を抜き出す。
もう持ち歩く必要はない。そう思っていたのに。
白リリー。
制御を間違えると、不安定な軽質ガスを吐く。
それに火が入れば――爆発する。
コーエンは、その理屈を考えていたわけではない。
身体が覚えていただけだ。
コーエンは、カチリ、とライターを押した。
――その時。
「衛兵。押さえろ」
シグリッドの声が響く。
次の瞬間だった。
背後から突然、兵が現れた。
コーエンは床へ引き倒される。
無理やり両腕をねじ上げられ、冷たい枷がはめられた。
シグリッドはゆっくり歩み寄ると、コーエンの手から白リリーを取り上げた。
「白リリーなんて持っていたのか。怯えたふりをして油断も隙も無い」
クスっと笑って、引き倒されたコーエンの前髪を、掴み上げる。
その冷たい瞳が、眼前に迫る。
「早く答えな」
コーエンは、理解した。
多分、もう、帰れない。
フォルコの豪快な笑い声。
サンティスの軽口。
イベットの小言。
アズソールの背中。
全て、もう。
胸の奥がきりりと痛んだ。
「僕は――」
その時だった。
空気が、揺れた。
*
突然、緑の閃光がその場を覆う。
同時に雷のような衝撃が背中に走った。
―!?
目がチカチカする。
辺りはよく見えないが、自分の手が自由になっていることは分かった。
拘束されていた枷が、粉々に砕けている。
一体、何が起こった。
シグリッドが、唖然としている。
コーエンは、おそるおそる、彼の視線の先を振り返った。
衛兵二人が――、仰向けに倒れていた。
死んではいない。指先が痙攣している。
そして──
目を疑った。
衛兵の上に、一人の“少女”が乗っかっていた。
真っ黒の地味なドレス。
その裾から出た白い足を、優雅に組んでいる。
コーエンは本能的に理解した。
こいつは危険だ。
彼女は、衛兵の肩を軽く叩いた。
「おーい、大丈夫ですか。よかった、死んでませんね。殺したかと思いました」
少女は、衛兵の無事を事務的に確認すると、
くるりと方向を変え、シグリッドの方を見据えた。
「レオニダス卿、舞踏会を抜け出して、男に浮気ですか。悪趣味ですね。妹がかわいそう。お姉さまは心が痛い」
コーエンは、信じられないものを見た。
レオニダス卿――この得体のしれない男が、苦笑している。
そして、少女は忘れていたかのようにコーエンを見ると、こちらへ歩いてくる。
エメラルドの瞳。
漆黒の髪。
無機質な白い肌。
恐ろしいほど整った顔立ち。
――人間じゃない。
コーエンは背筋が寒くなった。
思わず後ずさる。
すると、少女は突然、手を差し出した。
「光をぶち込んですみませんでした。お詫びに握手でも」
「……は?」
事態が読めない。
読めなさすぎる。
「だって、あなたでしょ──」
「エピフィラム様!」
少女の言葉をかき消すように、いかつい軍服の、ひょろ長い男が駆けつけてきた。
「何をしておられるのですか!順序は守ってくださいと、あれほど……!」
室内を見回した男は、顔を青くした。
何が起こったか察したらしい。
「リベルト。早かったですね。」
「あなたは……何をやらかしたのです?」
軍服の男は、青を通り越して白くなっていた。
エピフィラムと呼ばれた少女は、首をコトンと傾げた。
「レオニダス卿を捕獲に来たのですよ。ご令嬢方がうるさいので」
エピフィラムは、無表情で淡々と語る。
「あと、この衛兵、リリーの密売疑惑があるとあなたが言っていましたよね。ですので、実験台にしました」
「じ、実験台?」
軍服男の顔が引きつる。
「新しいリリー技術の実験台です。とてもきれいな緑色が出せるようになりました。一部、刺激としびれをもたらすエネルギーに変換してみました。 罪人を効率よく捕らえられます。ほら、この通り」
エピフィラムは、手のひらに謎の花びらを広げると、そいつが緑色の火花となって突然爆ぜた。散った火花が衛兵の上に降りかかる。
コーエンはもう、何が何だかわからなかった。
誰か説明してくれ。
混沌とした空気を打ち切るように、シグリッドが咳払いをした。
「して、エピフィラム王女。あなたの本当の目的は何ですか。
王女。
この不気味な女が、この国の王女だというのか。
コーエンは本気で、気絶してもいいと思った。
エピフィラム登場です。
こんなに訳のわからない女にするつもりはなかったのですが。
それにしても、シグリッド、舞踏会帰れ。




