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◆1-1 アトリエ・ウィズダム


***

ハノイット国の中心地、セントラル。

城下町の一角に、この国の芸術が集う場所がある。


――紳士服、鞄、絵画、ガラス食器。


人々は、このエリアを『アトリエ街』と呼ぶ。


ここに、小さな靴工房が静かに根を下ろしていた。


その名は、『アトリエ・ウィズダム』。



「ああ!」


工房の掃除をしていたイベット・ルイシアは、突然叫んだ。


「なんだ!?イベット、突然」

フォルコ・ヘーゲルは、思わず作業台を磨く手を止め、声の主を振り返った。


「見て!フォルコ兄さん!」

イベットは、ズカズカとフォルコの元へ歩み寄ると、目の前に針箱をどすん、と置いた。


「またよ!また誰か、針を持ち出しているの!」


フォルコは、イベットの差し出した箱を覗き込むと、わずかに眉をひそめた。

確かに、一本分だけ隙間が空いている。


「ああ、コーエンじゃねえか?昨日、どうしても仕上げたいものがあるとか言ってたからな」

「やっぱり犯人はあいつね!持ち出さないでって前も言ったのに!」


「そういや、設計図も持って帰ってたぞ」

「……なんですって!」


イベットは苛立ちを堪えるように、こぶしを握る。


「持ち出し禁止!残業禁止!こうやって、アトリエの備品はなくなるのよ……こうなったら鍵をかけてやる!」


イベットの剣幕に、フォルコは苦笑した。

「まあまあ、イベット。そう怒るなって」


その時、背後から馴染みの声がした。


「あら、二人ともおはよう。今日は一段と賑やかね」


帳簿を片手に現れたのは、店主のアリアナ・ウィズダムだ。

いつものように花の水を替え、予定表に目を通す。

ゆったり動いているのに、一つも無駄がない。


「フォルコ。午前中に新しいアポイントが入ったわ。はい、これ資料」


次にアリアナはイベットへ向き直った。


「昨日遅くまで対応してくれたそうね。今日は早く上がっていいから」

「いいえ奥様。私は仕事をしている方が、休んでいるみたいなものですから、おかまいなく」


フォルコは相変わらずの妹弟子に、苦笑いをした。


「そういえば、サンティスとコーエン、遅いわね」


 そう言ったそばから、裏口のドアが豪快に開いた。


「おはよう!いや〜悪い、ギリギリになっちまった!鳥が鳴いててよ、気持ちよくて寝すぎた!」

「おはようございます……すみません。作業してたら朝になってまして」


長身の男と、細身の青年だ。

背の高い方は、さわやかに汗をぬぐって無駄な笑顔を振りまき、

細身の方は、風で煽られたのか、灰色の猫毛が泳いでいる。


「あら、サンティス。コーエン。あと五分で始まるわよ」


イベットの目が吊り上がる。


「コーエン!」


イベットは、待ってましたとばかりに、距離を詰める。


「針!持って帰ったでしょ」

「うん」

「うんじゃないでしょ。前も言ったわよね?もう!鍵かけるわよ」

「……その鍵、多分、壊せるやつだね」

「……なんですって!」


イベットの相変わらずの剣幕に、コーエン・アルミナイトは、苦笑いを浮かべた。


「さあ、みんな揃ったかしら?」

アリアナは、メンバーがそろったのを確認すると、厳しい表情を作った。


「一つ、連絡があります。うちの取引先の一社が……“製造法違反”で捕まりました」


サンティスが大きな目をさらに開いた。

「まじかよ。またか?」


フォルコも、静かにつぶやいた。

「最近、そういうこと増えたよな」


イベットが厳しい声で問う。

「なんで分かったんですか?」


「抜き打ち監査よ。客に紛れていたらしいわ」


フォルコはげえ、という顔をした。

「恐ろしい話だな、どこでどう監査されてるかわかりゃあしない。うちも気を付けないと」


「フォルコ兄さん!ウィズダムは大丈夫よ。だって、奥様がしっかり管理してるもの」


イベットが胸をはると、サンティスが笑った。


「イベットちゃん。そこは、奥様と”棟梁”で頼むな!」


その言葉に、アリアナが笑顔で反論した。

「いいのよ、アズソールは今頃、どこかでのたれ死んでいるはずだから、それよりコーエン。あなた気をつけなさいね?」


「……何がですか?アリアナさん」


コーエンの問いに、なぜかイベットが返す。


「自覚ないの?あんた。手順書通りに製造しないと、疑われるって話よ。製造法違反だ!って」


コーエンは、そんなことか、と言わんばかりの平坦な声で返した。


「……ああ、見てるよ。手順書。補ってるだけで。最近反応が弱いだろ?リリーの」


「そんなこと言ってるの、あんただけよ。気を付けてよね、ほんとに」

イベットは、じとりとコーエンをにらんだ。


アリアナは、手を叩いて合図をした。


「さあ、もう機械を動かさなくちゃね」


アリアナが戸棚の鍵を開けると、中から色とりどりの”リリー瓶”がのぞく。


赤、黄色、緑、紫──色とりどりのガスが、収まっている。


「オーダー確認、コーエン」


アリアナが促すと、コーエンがオーダー票を読み上げた。


「サグ・マーケットからオーダー2品。“春先の冷え性対策靴”、“初夏向けのちょっと涼しい靴”」


サンティスは手順書を片手に、瓶を選ぶ。


「W-3機。アンテノイド・リリーの黄色ガス。W-6機はデポン・リリーの無色ガス。間違いなし!コーエン、目的確認」


コーエンはぶっきらぼうに読み上げる。


「アンテノイド種は、自然発熱を促します。寒い日に最適です」

「デポン種は、素材の通気性を良くします。初夏向けです」


イベットが機械の上方から声をかける。


「確認OKね。じゃあ電源入れるわよ」

燃料口に大瓶が設置されると、機械がうなりを上げた。


「変ね」

動きを確認していたアリアナが、小さく眉をひそめた。


「いい動きじゃないか、アリアナさん。何が変なんだ?」

フォルコが返答する。


「いや、最近妙に反応が安定しているのよ。ほら、アンテノイドを使った靴、よくトラブル起こすじゃない。フォルコ、機械いじった?」


フォルコは、首を横に振った。

「いや、俺はいじってないよ」


「たまたまかな……」


フォルコは少し考えると、コーエンに声をかけた。

「お前、何か設定変えたか?」


コーエン・アルミナイトは振り返ると、少しばかり申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん兄さん。機械は変えてないんだけど……」


そういって、コーエンは、黄色のリリー瓶を軽く振って見せた。


「アンテノイドの色が……最近、少し違う気がしたから、いじりました。すみません」


アリアナも、フォルコも目を凝らして瓶を見る。

「どこが違うの……?」


そうして、二人とも首を傾げた。




『禁学の靴職人』、始まりました!


これからコーエンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。


次回、靴を修理します。

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