◆3-3 ルディックスの偵察者
***
イベットに会いに行こう――
密かに思いを固めた矢先。
オルビス・マクラーゲンは、大きく眉を寄せた。
ルディックスの上役から、予想外の提案をされたのである。
「え、ウィズダムの視察ですか? なぜ僕が――」
「君は勉強熱心だからね。任せるなら適任だろう?」
「今回は、誰からの――」
そう言いかけて、オルビスは、むっつりと口をつぐんだ。
聞かずとも分かる。大方、ルディックスの援助者の気まぐれだろう。
上役はおきまりの笑顔を浮かべると、オルビスを鼓舞した。
「コーエン・アルミナイトの技術をしっかり学んでおいで。献上靴の情報もあると、なおいいね。いいかい。君は期待されているんだよ」
「……はい」
オルビスの返事は小さかった。
――彼の技術を学ぶなど、本心では受け入れ難かったのだ。
それでも。
オルビスは、「期待」という言葉を裏切れない。
結局、自分を押し殺し、命令に従うことにしたのである。
*
アトリエ街のはずれにある『アトリエ・ウィズダム』。
オルビスは、レンガ造りの建物の前で、ふと立ち止まった。
一体、自分はどのような顔で、振る舞えばよいのだろうか。
上役は”視察”と言った。
でも、ウィズダムからすれば、”探り”にしか見えないのではないだろうか。
靴納めの儀を目前に、ルディックスが視察にやってくる。怪しく見えるに決まっている。
――イベットだって。
オルビスの来訪を快く思わないだろう。
浮かんでくる不安を振り払うように息を吐くと、オルビスは、勢い任せに扉に手をかけた。
その瞬間。
なぜか、扉の方から、するりと勝手に開いた。
「マクラーゲン様!久しぶりですね!」
琥珀色の目が、オルビスを見上げていた。
――そこにいたのは、イベット・ルイシアだった。
オルビスが驚く間もなく、イベットは、くるりと工房の奥を振り返ると、大声で叫んだ。
「棟梁、アリアナさん!いらっしゃいました。マクラーゲン様です!」
すると、受付の奥に広がる工房が、突然ガヤガヤし始めた。
「いらっしゃったぞ。ルディックスさん。あ、あれ棟梁どこだ?」
「茶、茶だ、やべ忘れてた」
「片づけてって言わなかったっけ」
「隅に寄せておいだぜ」
イベットは、「あれだけ言ったのに……」と顔をしかめた。
だが、すぐに笑顔に戻った。
「向こうのガヤは聞かなかったことにしてね。マクラーゲン様」
視察開始わずか数秒。
オルビスの警戒も、不安も。
既に斜め上を滑っていった。
*
「改めて、ルディックスから来ました、オルビス・マクラーゲンです」
オルビスは、慇懃に右手を差し出す。
棟梁アズソールは、その手を景気よく握り返すと、豪快に笑った。
「いやあ、ルディックスさんから”視察”の依頼があったときは驚いた。ま、せっかく来てくれたんだ。まずはかけてくれ」
そこには、手製だと思われる、木製の机と椅子がこじんまりと置かれていた。
応接スペースにしては実に簡易的。
――ルディックスとは大違いだ。
そう感じつつも、一礼して腰を掛けた。
「君のことは、イベットから聞いている。アカデミーの同期なんだってな」
アズソールが陽気に笑ったので、オルビスも笑みを浮かべる。
「はい。卒業以来ですので、三年ぶりかと」
「相当優秀なんだってな。イベットが、誇らしげに自慢していたぞ」
オルビスは、意外そうに顔を上げたが、慌てて首を振った。
「そんな滅相もない」
「別に謙遜しなくていいぞ」
アズソールは、からから笑うと、話を本題に移した。
「で、うちの何を見たい?小規模な工房だからな、ルディックスさんからしてみれば、退屈かもしれないぞ?」
オルビスは少し考えると、丁重に願い出た。
「……皆さんの “作品” を見せていただきたく。できれば、一級職人の例の靴も」
アズソールは、少し驚いたようにオルビスを見ると、ニヤリと笑った。
「おもしれえこと言うじゃねえか。だが、最後だけはできねえ相談だ」
そこへ、イベットがティーカップを盆にのせて運んできた。
「紅茶がなかったので……ハーブティーです」
カップを並べて、液体を注ごうとしたとき。
「ちょうどいい、イベット」
アズソールは突然席を立つと、揚々と言った。
「オルビス君に、うちの作品を見せてやってくんねえか」
イベットが、驚いて手を止めた。
「え、私でいいんですか?」
アズソールは満足そうに頷くと、
「おじさんよりも歳が近い方が楽しいだろ。じゃあ、よろしく」
そういってウインクを一つとばすと、鼻歌でも歌い出しそうな勢いで部屋を出て行った。
*
オルビスは、イベットに連れられて、展示室に通された。
「ここが……ウィズダムの展示室か」
オルビスは歩きながら、ゆっくりと視線を巡らせる。
派手ではないが、温かみのある空間。
革靴、ブーツ、ハイヒール。
高さの違う木造りの台に、様々な靴がバランスよく配置されている。
台に付けられた乳白色のリリー灯は、ことさら仕上がりを美しく見せていた。
「マクラーゲン様」
「イベット、“様”付けじゃなくていいよ」
「じゃあ……オル。誰の作品をまずは見たいの?」
「まずはアズソール棟梁かな。名物職人だ」
「いいわ。せっかくだから、最新作を見せるわ」
そう言ってイベットは、部屋の中心の方へオルビスを案内した。
「これよ」
そういって展示台の前で立ち止まった。
その先には、見たこともない光沢のハイヒールがあった。
まるで、漆黒の夜に満月が浮かんでいるようなデザイン。
オルビスは、展示台に吸い込まれるように見惚れた。
滑らかなのに、大胆で強い光沢。
見事な調和。
「すごい……」
思わず声がこぼれた。
そんなオルビスに、イベットは誇らしそうに言う。
「棟梁の最新技法だって」
オルビスは、顔を上げると、上気気味に問う。
「最新技法!一体どうやって」
「花油を混合して作ってるんだって。私もよくわかってない。マテカンに手順書を書いてくれって直談判したらしいわよ」
「それはすごいな」
アズソールほどになれば、マテリアル・カンパニーの研究官吏すら動くのか。
手順書を書かせるなど、自分には到底できない。
オルビスがふいに視線を外すと、隣の展示台に目が留まった。
オーソドックスな合花革の靴。
赤みのある茶色は艶やかだが深みがあり、浮いた感じがない。
しっかり、どっしり地に足の着いた、靴。
「……上手くなったね。イベット」
オルビスは、ぽつりと言った。
説明されなくても分かる。
この靴はイベットだ。
――でも。
オルビスの知っているイベットの作品ではなかった。
昔より、格段に上手くなっていた。
作品に少しばかり、意思があるように見えたのだ。
イベットは照れたような、誇らしいような顔をすると、
「さすが、オル!私の靴、わかってるんだね。成長したでしょ!」
オルビスは、静かに笑うと、頷いた。
*
「ところで、イベット。僕は、一級職人の作品を見たいのだけど。その……献上靴を」
オルビスは、シンプルに切り出した。
作品に心奪われて、自身の役目を忘れるほど愚かではない。
すると、イベットは明らかにむっつりとした顔をした。
「さすがに見せられないわ」
オルビスは、やはりそう言われるかと肩を落としかけたとき、イベットはあきれたように笑った。
「だって、未完成だもの」
オルビスはつい、イベットの顔を二度見した。
「未完成?」
「うん」
「献上靴だろ!?いいのかよ!?」
オルビスは唖然とした。
式までもう二週間しかないのに、あの一級職人は一体何をやっているのだ。
オルビスの驚きをよそに、イベットは何のためらいもなく返答した。
「大丈夫よ。コーエンだもの」
イベットの琥珀色の瞳が、熱を帯びた。
胸が、どくん、と鳴る。
――ああ。
また、この目だ。
何かを追いかけるイベットの目。
アカデミーで競い合っていた頃と、何一つ変わらない。
でも。
オルビスが好きなこの目は、いつだってコーエン・アルミナイトを見ている。
*
オルビスとイベットが工房に戻ると、突然、見習い奉公の少年がイベットに飛びついてきた。
顔面蒼白である。
「イベット姉さん。大変だ!」
イベットが、目を見開く。
「何かあったの?テオ。困った顔して」
「どうしよう……サグさんとこの納品ができないかも」
「え?」
「コーエン兄さんを、呼んでもいいかな……その、緑になっちゃったんだ。靴が」




