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◆3-2 スケッチブック


***

コーエン・アルミナイトは、アトリエ街の外れにあるアパルトマンにいた。

献上靴の締め切りまで、残りわずか。

時間もないので、明日からアトリエに泊まり込むつもりでいる。

そのため、荷造りの最中だった。


「アトリエなんかで寝泊まりせずに、うちに来りゃいいじゃん。昔はそうだったんだからさ」

アズソールは陽気に誘ってくれた。

もちろん、アズソールの誘いはうれしい。感謝もしている。


だが、自分はアズソールの息子ではない。


――もう、大人だ。


これ以上迷惑はかけられない。

一人暮らしを始めたとき、そう決めたのだ。


「……荷物、ほとんどねえな」

コーエンは、驚いたように自分の鞄を見つめた。


こんなに、少なかっただろうか。


コーエンは、思わず自分の部屋を見回した。

作業机とベッド、小さなキッチン。

棚には合花布、革、糸、工具、ガラス瓶、針。書籍。

ものが少ないわけではない。職人道具は多くある。

しかし。


――「コーエン・アルミナイト個人」の持ち物が、驚くほど少なかった。


服は数着。家具も調理器具も最低限。

唯一、自分のものだと言えるのは――。


『スケッチブック』くらいだった。


薄茶けた表紙の安物。

子供の頃、父からもらったのだ。

コーエンは、ふいにページを開いた。

不思議な模式図や、系統図がびっしりと描かれている。


「ヘタクソ……」


コーエンは、苦笑した。

線は捩れ、形は歪。あちこちに、インクがにじんでいる。

自分が描いたとは思えないほど、下手だ。

それも当然だ。

子供のころ、父の真似をして描いた図だから。

意味など分からずに。


ろうそくの火だけが燃える薄暗い部屋で、父はよく書き物をしていた。

直線。曲線。植物の絵。数字。

コーエンは、父の描くあたたかい線が好きだった。

写して遊ぶだけで、幸せな気分になった。


突然、全部、なくなってしまった。

この、『スケッチブック』以外。


今の、毎日は幸せだ。

靴づくりが、大好きだ。

アトリエのみんなのことは、大切だ。

でも――。

いつも何かに渇いている。


作っても。作っても。

満たされない。

何を作れば、満たされるのだろう。


振り下ろし方の分からない拳を抱えたまま、明日もまた、靴を作る。


コーエンはスケッチブックを鞄に入れた。

無意識だった。

そしてそのまま、アパルトマンの扉を閉めた。

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