◆3-1 北の果て
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ハノイットの最北部。
グレイス侯爵領には、今日も灰色の雲が立ち込めていた。
領主アルカートン家の書斎では、二人の男が静かに向き合っていた。
一人は、柔和な雰囲気を漂わせる円熟な紳士、もう一人は執事風の小奇麗な男。
「やはり、君だったか。私は、感謝をしていたのに」
リッカルド・アルカートンは、心底残念そうな顔で、執事風の男を見つめた。
「なんのことでしょう。私の心に、偽りがあるとおっしゃるのですか……? ここまで長くお仕え申し上げたのに、そんなあんまりな……」
「長い方がよかったのだろう」
リッカルドの言葉が静かに重なると、
空気が、冷たく張り詰めた。
「情報を集めるのに、十分な時間だったろうね。どこまで手に入れたのかい?」
リッカルドは男の方へ、一歩近づく。
「手順書かい?それとも武器庫の情報かい。グレイスは、君たちみたいな…外敵には、大いに邪魔者だろうね。」
「…証拠でもあるのでしょうか」
「証拠かい?君、長く仕えてきたのだろう?それならば知っているはずだ。効率的な、裏切り者の始末方法」
執事は、何も言わず固唾をのんだ。
リッカルドは、男の肩に手を置くと、囁くように耳打った。
「最も近くまで潜り込ませるのだよ。すべての足跡を探るためにね」
執事はぎょろりと目を光らすと、リッカルドの手を振り払った。
素早く距離をとり、懐から銃を出すと、自らのこめかみに当て、歪に笑った。
まるで針の先のような、細い沈黙が走る。
数秒にも満たない、ほんの一瞬だった。
パ、パンっ!
執事の銃口が火を噴くより早く、背後から二発の銃声が響いた。
一発は左膝へ、一発は銃を持つ右肘へ。
銃が手を離れ、執事の身体がその場に崩れ落ちた。
「タリオン、お前か。助かった」
リッカルドが振り返ると、そこには軍服姿の青年が、銃を片手に立っていた。
彼は、肩までの流れるような髪をかきあげると、面倒臭そうに言った。
「叔父貴、無理するなあ。いつものことながら煽りだけはかっこいいじゃん、練習したの?」
「減らず口ばかり叩くな。タリオン。私はお前と違って、手荒いことは好まないだけだよ」
「あまり俺に汗かかさないでよ。叔父貴がそんなんだから、仕事がふえるんだよ。泥臭い仕事、嫌いだから」
そうして、タリオンと呼ばれる青年は、くるくると銃をもてあそびながら、倒れた執事の顔を、覗き込む。
「さあ、スパイさん、ここからは僕の仕事だから。色々聞かせてもらうよ?」
「タリオン。くれぐれも、丁重に連行するのだ。死なれては困る。それに、大事な姪の婚約の儀が控えているから、無駄な殺生はよしなさい」
タリオンは、男を拘束しながら小さくつぶやいた。
「あの、エリカが、今やお姫様か。わからないものだな」
「タリオン、私はセントラルに赴く。グレイスを留守にするから、くれぐれも、注意を怠るな」
「……王城に、呼ばれているのか?」
「……ああ。久しぶりに、あいつのご機嫌をうかがうのも悪くない」
部屋には、しとやかな雨の音が残った。
リリーの甘い残臭は、まだ消えていなかった。




