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◆2-9 ランス石

 

***

 コーエンたちは、シュベルトバイゼン伯爵のもとへ赴いていた。

 伯爵邸で騒ぎを起こしてしまったのである。

 ことの経緯を伝えるのは当然だった。


「そうだったか」


 伯爵は、苦笑交じりにそういうと、イベットの方へ視線を送った。

 厳めしい声で低く告げる。


「ルイシア嬢。私は、息子の任官式用の靴を作れと命じたはずだ。次の歳から、官吏のお役を頂戴することになっていたからね」

「……」


 イベットは、頭を下げたまま答えなかった。

 伯爵は、静かに次を促す。


「なぜ、軍靴を?」


「……アーネスト様のランス」


「ランス?」


「アーネスト様のランスが、きれいだったんです……足を痛めていたなんて、思えないほどに」


 イベットの声は少し震えていたが、迷いはなかった。


「だから、その時思ったんです。――ああ、この人も、諦められない人だって」


 少し間をおいてから、イベットは伯爵の方をまっすぐに見た。


「……ロージェスト様だけじゃなくて、アーネスト様も」


 伯爵は、イベットの方から目を逸らさなかった。

 まっすぐに向けられた瞳の奥が、わずかに揺らいだように見えた。


「それが、痛いほど、分かる。じゃあ、何か方法があるなら、ウィズダムにできることがあるなら、最後まで、見つけたいと思ったんです」


 イベットは、感情につまりながらも、一息に言いきった。

 伯爵は、黙ったままだった。

 そして、沈黙ののち、ふう、と小さく息を吐いた。


「全く困った息子たちだ」


 伯爵は、ずっしりとした声音で、続ける。


「アーネストのみならず、ロージェストも。上に立つ者は、感情に惑わされてはいけない。それでは、人はついてこない……しかし」


 そこで、言葉を止めると、静かに笑った。


「……先回りし過ぎるのは、違うね。あいつらは、私じゃない」


 伯爵は、穏やかな視線をコーエン達に向けた。


「君たちは“可能性”をくれたんだ。でも、それだけで十分だ。そこからは……あいつらが、考えるだろう」


 そうして、短く頭を下げる。


「心を尽くしてくれたウィズダムに、感謝する」


 コーエンたちは、伯爵邸を背に歩いていた。

 最寄りの駅までは一里ほどある。

 伯爵は車を手配すると申し出てくれたが、三人とも断った。

 なんとなく、歩きたい気分だったのだ。


「……フォルコ兄さん、コーエン、ごめんなさい。私、巻き込んでしまって」

 不意にイベットが頭を下げた。


 コーエンは視線を逸らす。

「別に。気にしてないよ。仕事だから」


 しおらしいイベットというのは、どうにも落ち着かない。


「イベットが謝る必要、ねえよ。どっちかっつーと、こいつの方が問題だと思うぜ」

 そういって、コーエンを横目で見る。


「……何がでしょうか」

「行いの全部だよ」


 コーエンが苦笑すると、隣のイベットも笑った。


「そういや、伯爵にもらった贈り物、何だろうな。実は俺、ずっと気になってるんだが」


 イベットが、よく言った!とばかりにフォルコの方を向く。


「兄さん、私も気になっていたの!乗り合い車が来るまで、まだ随分ありそうだし、見ちゃう?」


 イベットがキラキラと目を輝かせた。


 シュベルトバイゼン伯爵は、コーエン達が館を後にするとき、お礼として贈り物をくださったのだ。手のひらに乗るくらいの小さな小箱。

 外側には翡翠色のやわらかな紙がかけられている。

 実に美しい装丁であった。


「開けてみよ、コーエンはやく!」

 イベットは、コーエンの背中をたたいた。


「わかったから、叩くな。痛い」


 三人は、小箱を覗き込んだ。

 そこには。

 一つの石が入っていた。

 花結晶でも鉱物でもない、薄藍色の石。


「……石?」

 フォルコが眉をしかめる。


「何これ?」

 イベットは首をかしげる。


「石……いや、これは」

 コーエンは石を箱から取り出して、夕やけの空に向かって手を伸ばす。

 そして、光に当てながら、石の角度を変える。


「……すごい」


 青。オレンジ。緑。青。

 光る。光る。

 何色でもない、光る色。


「おお、きれいなもんだな。角度によって色が違う」

 フォルコが関心したように言った。


「これ……ランスに似てる。アーネストさまの」

 イベットがぽつりと言った。


 コーエンは、頷いた。

「ああ。これ…ランスの原石だ」


 イベットが、目を細めながら言う。

「フォルコ兄さん、コーエン。この石、水みたいね」


「……水?」

 コーエンは問い返した。


「水面が、光を受けて揺らめくみたい」

「言われてみれば、そう見えるな」

 フォルコが頷くと、イベットは、嬉しそうに笑った。

「きれいね」


 その言葉を聞いた時だった。

 コーエンの頭の中で、散らばっていた部品が、一つずつ噛み合う。

 水紋。

 光。

 色。

 そして。

 最後の一片が、音もなく収まった。

 ――これだ。

 胸の奥が静かに高鳴る。

 今すぐ工具を握りたい。

 作りたい。

 これなら作れる。


「イベット、最高だよ」


 思わず口からこぼれた。

 コーエンは前を向いたままだった。

 だが、その声には珍しく熱があった。

 イベットは、コーエンの横顔を見つめた。

 夕日が、紫がかった灰色の瞳を照らしている。

 いつもは無機質に見えるその目が。

 今だけは、ほんの少し赤く燃えていた。

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