◆2-7 シュベルトバイゼンへ
***
――三日後。
「いらないと言っているだろう。何度来れば気が済む」
苛立った男の声が、応接室の扉越しに廊下まで聞こえてきた。
コーエンは、フォルコと並び、その扉の前で待機していた。
もちろん忍び込んだわけではない。
「同僚が部品を忘れたので届けに来ました」
そんな理由を用意して、堂々と正面から館へ入ってきた。
「申し訳ございません。ですが――」
イベットの声だ。懸命に説明しようとしているが、最後まで言わせてもらえない。
「それに、これは、合花革じゃないな」
アーネストが鼻で笑う。
妙に演技じみた笑い方だと、コーエンは感じた。
「ただの動物の皮だろ。貴族相手にリリー素材以外のものを持ってくるなんて、アズソールもとんだ弟子を取ったものだ」
「それは……違って」
「何度も言うが、靴などいらない。『節目の靴』など……くそくらえだ」
大きなため息が聞こえ、会話は一方的に打ち切られた。
隣でフォルコが、小さく耳打ちした。
「おい、コーエン。さっき話した通りだ」
「……はい」
フォルコは非常に不安そうな顔をした。
「おい、お前、余計なことは言うなよ?」
「……多分」
二人が戸口の前でごそごそと相談をしていると、室内でガタリと椅子が引かれる音がした。アーネストが立ち上がったらしい。
足音が扉へと近づいてくる。
「あ、やべ」
フォルコが小さく呟いた瞬間、扉が開いた。
小柄で、眦の上がった、俊敏そうな青年。
――リスのようだ。
コーエンは場違いな感想を抱いた。
これが、アーネスト・レヴィックと初めて顔を合わせた瞬間だった。
*
「誰だ。そこで何をしている」
アーネストは、不審者を見るような鋭い視線で二人を見た。
周りの空気が、妙にひりひりする。
「お、お初にお目にかかります! イベットの兄弟子にあたります、フォルコ・ヘーゲルと申すもんです」
フォルコが慌てて、不自然なほど深く頭を下げる。
アーネストは、廊下に佇む怪しい二人組を一瞥した。
近くで見ると、やけに目つきが鋭い。
「勝手に上がり込むのはよしてくれ。使用人には後で厳しく言っておく」
「ごもっともでございます……が!」
フォルコが慣れない敬語を使ったせいで、最後の「が!」だけが妙に力強く廊下に響き渡った。
なぜそこで力んだ、と思いながらも、コーエンは立ち去ろうとするアーネストの前へ回り込んだ。
我ながら絶妙に邪魔な位置取りだ。
「棟梁から聞いています。アーネスト様のお気に召すものをお届けできていないと」
極めて事務的に頭を下げる。
「ここにいるイベットは未熟者で、本当に未熟者で。我々は、その謝罪に参りました」
(……次、何をいえばいいんだっけ)
コーエンが記憶をたどっていると、ふいにイベットの姿が目に映った。
驚いた顔をしているものの、空気からは殺気が滲み出ている。
コーエンは、咄嗟にフォルコの方を横目で見やった。
フォルコは必死に口をぱくぱくさせながら、自分の腕時計を激しく指さしている。
そうだ、まずは進めなければ。
「フォルコと私で、ここ数日寝ずに作りました。お詫びの品です。お時間を長く頂戴するつもりはありません。手短に済ませます」
アーネストの返事を待たず、フォルコが手際よく献上台を引き寄せ、その上に一足の靴が入った箱を置いた。
アーネストは露骨に顔をしかめた。
「何だこれは」
「お詫びの品です。あなたの誤解を解くための」
アーネストの眉が、ぴくりと跳ね上がった。
「……誤解? 何のことだ」
アーネストは、鋭い目つきでコーエンを睨み返す。
コーエンは、その視線を真顔で受け止めた。
「イベットが渡したかったものは、節目の靴などではありませんよ」
そういって、コーエンは静かに箱の中身を取り出した。
“それ”を見た瞬間、アーネストの顔色が変わった。
「何のつもりだ……これは」
アーネストは、ひきつった表情で、箱の中身を見た。
それは――
「シュベルトバイゼンの軍靴」だった。
「イベットは、それをあなたに渡したかった。伯爵からの差し金でも、なんでもありませんよ。これは……」
アーネストが突然、容赦なく箱を蹴り飛ばした。
「勝手なことをしないでくれ!」
床に転がった箱から、靴が寂しげな音を立てて転がり出た。
「何が分かる!節目だとか、まだやれるとか。好き勝手言う。所詮他人事だからな!この軍靴も何もかも、最悪だ」
しん、とその場が凍りついたように静まり返った。
その時――
コン、と短く、だが酷く重い音で扉が叩かれた。
その場にいた全員の肩がびくりと跳ね上がり、振り返る。
ゆっくりと開いた扉の向こう。
皆が、薄暗がりから姿を現した人物を見た。
コーエンとフォルコは、驚いたように顔を見合わせた。
アーネストは幽霊でも見たかのように茫然と立ち尽くした。
「……兄上」
ロージェスト・レヴィックが、そこに立っていた。
最初から、この近くで事の顛末を見守っていたかのような、静かな佇まいだった。




