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◆2-6 拳


***

――数日前。


「ほう。これは美しい仕上がりだ。君は合花革(ごうかがわ)の扱いが上手だね」

「イベットの作品をお褒めいただき、光栄です。伯爵」


アズソールが丁寧に頭を下げると、伯爵は穏やかに笑った。

「君は良い弟子を取った」


伯爵は、イベットの作品を見て、目を細める。

「“手”が温かいのがよく分かる」


イベットは思わず顔を輝かせた。

三日かけて仕上げた甲斐があった。

名高いシュベルトバイゼン伯爵に、自分の作品を認めてもらえたのだ。

胸に抱えた合花革(ごうかがわ)の小物入れを、そっと抱き締める。

出来が良かったので、実は二つ作っていた。

もう一つは自分用だ。

――あいつにも自慢してやろう。

そんなことを考えていた。


窓の外から、澄んだ金属音が響いた。

「それにしても、何度拝見しても見事ですねえ。ランス騎士隊の訓練は」


アズソールが窓の外へ目を向ける。

美しいものを見ているときの顔だ。


「少し前までは伯爵ご自身が指揮を執られていたのでしょう?」

「いつの話をしているんだい」

伯爵は楽しそうに笑った。


「今は長男のロージェストだ。優秀な奴だ。少々真面目すぎるが、それも悪くない。」

「伯爵のご子息方は皆優秀でしょう。武術ならアーネスト様だ――」


「あいつは、もう、ランスは使えない」


伯爵の顔は、笑っていなかった。


「こだわり続けても、苦しいだけだ」


妙に平坦な声だった。

イベットは思わず息をのんだ。

誰も、何も問わなかった。


伯爵は、重くなった空気を変えるように、自ら話題を変えた。


「そうだ、アズソール。少し相談したいことがある」

「伯爵の頼みとあれば、何なりと」

「ルイシア嬢」

伯爵はイベットへ微笑んだ。

「私はアズソールと少し話がある。よければ裏庭を見てきなさい。今は睡蓮が見頃だ」

「睡蓮ですか」

「美しい花だよ」


伯爵の言葉に偽りはなかった。

庭の池には大輪の睡蓮が咲き、水面の上を静かに漂っている。

イベットはしばらく見惚れながら歩いた。

すると。

不意に鋭い風切り音が聞こえた。

空気を裂くような音だ。

音のする方へ進み、青ツツジの陰からそっと覗いた。


そこにいたのは――

一人の青年だった。


小柄な体でランスを振るっている。

切っ先が陽光を受け、宝石のように輝いた。

あまりにも動きが速いから、きらめきが残像となって空中に残るほど。


「綺麗……」

思わず声が漏れた。

ランスにはシュベルトバイゼン家の紋章が光っていた。

(もしかして、あれが…アーネスト様?)


イベットが身を乗り出した時だった。

青年の体が大きく揺れた。

次の一歩で踏ん張れず、派手に地面へ転倒した。

ランスが手を離れ、乾いた音を立てて転がる。

「くそっ……!」

アーネストは拳を握りしめた。

「なんでだ……!」

勢いよく地面を叩く。


イベットは息が詰まるような思いがした。

なぜだろう。

初めて見るはずの人なのに。

地面を叩く拳が目に焼き付いて、その場から離れられなかった。


階上で影が揺れた。

イベットは気づいていなかった。

ロージェスト・レヴィックが、窓の外を見つめていることに。

その瞳の奥で、何か暗いものが揺れていた。

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