第2話:家庭教師は最新のフィットネス
あのピリ辛で美味しかった黄金のスープ事件から、あっという間に二年の月日が流れました。
私が七歳になったある日、お義母様は朝からいつも以上に赤いリボンをぴんと立たせ、フンスと鼻息を荒くして私を呼び出しました。
「シルフィア、あなたに素晴らしい家庭教師を連れてきたわ。これからの時代、貴族たるもの武術や魔術の心得がなくてはね。実戦形式の過酷な特訓よ。これで十二歳までにステータスを上げましょうね、ふふふ……」
お義母様の後ろに控えていたのは、目が全く笑っていない、全身からどす黒い殺気を放つ細身の男でした。
お義母様が亡国の闇ルートを使い、巨額の裏金で雇ったプロの暗殺者、コードネーム、無影の刃。これまで数々の要人を訓練中の不慮の事故に見せかけて葬ってきた、冷酷無比な男です。
(ふふふ、毒がダメなら物理よ。特訓中の痛ましい事故でこの小娘が突然死すれば、誰にも他殺だなんてバレずに領地スキルが我が子に引き継がれるわ。さあ、容赦なくあの子をズタズタにしておしまい)
お義母様の見学席が用意され、私と男が二人で訓練場で対峙します。
男はニヤリと冷酷に微笑むと、挨拶もそこそこに、衣服の袖から本物の真剣、それも光を反射しない暗殺用の黒い短剣を抜き放ちました。
そして、七歳の子供相手とは思えない超高速の踏み込みで、私の首を真横からハネる軌道で刃を振るってきたのです。
常人なら刃が見えた瞬間に命を落とす、プロの一撃。
しかし、私の頭の中には、いつものようにポップなチャイム音が響き渡ります。
『おっ、いきなり激しいねー。そのまま立ってると首が飛んじゃうよ。右に一歩ずれて、そのまま後ろにゴローンって転がってみよう。そっちの方が風が気持ちいいよ』
「はーいっ」
私は脳内カンペのアドバイス通り、右足を一歩踏み出し、そのまま芝生の上を後ろに向かってゴロゴロと楽しそうに転がりました。
ヒュンッ……。
男の放った必殺の刃は、私がさっきまでいた空間を虚しく切り裂きました。私の髪の毛一本にすら触れていません。
男は短剣を構えた形のまま、驚愕で目を見開きました。
(な、何だと。今、完全に殺気は隠していたはず。それを、まるで最初から分かっていたかのように紙一重で、しかもあんなふざけたローリングで回避しただと)
芝生の上をゴロゴロと転がり終えた私は、起き上がってポンポンと服の泥を払うと、目を輝かせてお義母様を振り返りました。
「わあ、お義母様、この先生すごいです。動きが速くて、まるで遊園地のアトラクションみたい。最新のフィットネスですね」
「え、あ、ええ。そうよ、シルフィア。しっかり鍛えてもらいなさい……」
(ちょっと無影の刃、何を手加減して遊んでるのよ。一撃で仕留めなさいって言ったでしょうが)
お義母様が扇子をギリィと噛み締めながら目配せすると、プロの暗殺者としてのプライドを傷つけられた男の顔が、怒りで真っ赤に染まりました。
「クソッ、舐めるなよ小娘がぁぁぁ」
男は本気になりました。
身体強化の魔術を足に纏い、残像を残すほどのトップスピードで縦横無尽に駆け巡ります。そして、あらゆる死角から、心臓、喉、眉間を狙って黒い刃を突き出してきます。
しかし、私の危機管理能力による脳内カンペは止まりません。
『はい、次は左にステップ』
『今度はしゃがんで、右手を前に突き出してみよう』
「よいしょっ、そりゃっ」
私はアドバイスに従って、ダンスを踊るようにマイペースに体を動かしました。
男の攻撃はことごとく空を切り、彼が必死になればなるほど、私の体幹とフットワークは完璧に噛み合っていきます。本人は最新のダンスエクササイズに汗を流している気分です。
そして、特訓開始から三十分が経過した頃。
男はすべてのスタミナと魔力を使い果たし、ぜぇ、ぜぇ、と激しく肩で息をしながら、膝をガクガクと震わせていました。対する私は、ちょっと息が弾んだ程度でピンピンしています。
『あ、先生が疲れ果てて隙だらけだよ。今つまずいた拍子に、思いっきり右手を前に出してみて』
「うわっとっと」
私は本当に足がもつれたフリをして、前のめりにバタリと倒れ込みました。
その際、バランスを取るために勢いよく突き出した私の小さな拳が。
ドガッ。
疲労困憊で動けなくなっていた男の顎へと、完璧な角度のカウンターとしてクリーンヒットしました。
アッパーカットを食らったような形になった男は、白目を剥いて真上に浮き上がり、そのままドサリと芝生に倒れ込んでピクリとも動かなくなりました。
危機回避に成功しました。経験値を獲得します。
スキル、物理超回避を獲得しました。
スキル、魔力超循環を獲得しました。
レベルが25に上がりました。
私の肉体とステータスは、神級隠蔽の効果によって実数値が隠されつつも、またしても裏側で爆上がりしていました。
目を白黒させて倒れる暗殺者を見下ろしながら、見学席のお義母様は、泡を吹きそうになりながらわなわなと震えていました。
(な、なんなのあの子。私が大金を叩いて雇った最強の暗殺者を、笑顔で、無傷で、しかもただのつまずきで返り討ちにするなんて。――あ、そうか、分かったわ)
お義母様の手の中で、扇子がペキリと音を立てます。またしても激しい脳内修正が完了したようです。
(あの暗殺者、プロのくせに七歳の幼女を本気で殺すなんて寝覚めが悪いとか言って、わざと攻撃を外して、最後はわざとらしく気絶して任務を放棄したんだわ。なんてプロ意識の低い男なの。お馬鹿な私、あんなケチな闇ギルドを信用するんじゃなかったわ。次はもっと、血も涙もない冷酷な本物のバケモノを連れてこなくっちゃ)
お義母様は自分の人選ミスに怒りを燃やし、倒れた男の顔面をヒールで思い切り踏みつけながら、フンッと去っていきました。
その頃、王都の王宮・地下司令部。
「報告します。例のシルバ男爵家の令嬢シルフィアが、たった今、レベル25に到達。さらに物理超回避を発現させました」
「何だとおおおっ。騎士団の精鋭でも数年かかる領域に、わずか七歳で到達したというのか」
「しかも、隠密裏に送り込まれた隣国の凄腕暗殺者が、彼女の邸宅の庭で顎の骨を粉砕されて気絶しているとの情報が入っております」
「バカな。あの幼女、暗殺者を逆に返り討ちにしたというのか。一体どんな過酷な英才教育を施せばあんな怪物が育つんだ。シルバ男爵家、恐るべし」
王宮の重鎮たちは、裏システムに刻まれる、暗殺者を軽々と返り討ちにする七歳児のデータに、今度こそ国家崩壊の危機を感じてガタガタと震え上がるのでした。
「お義母様、今日も楽しいフィットネスありがとうございましたー」
すっかりお腹が空いた私は、お義母様への感謝を胸に、食堂へとスキップで向かうのでした。




