アレ
「はああ……」
西南への航行中のテンゲル。
その先端に立っているセレステは、やっと一仕事終えたという解放感で、大きく溜息をついていた。
「親善訪問だとばかり思っていたのにな、政争に巻き込まれるわ、反逆を止めるわ、女王から勲章をもらうわで…
なんなの?もう」
独り愚痴をこぼしていたセレステに、いつの間にか後ろに来ていたナデントがツッコミを入れた。
「…ノリノリで傲慢貴族を演じられていたくせに、今更なにを?」
「うわあ!
ちょ、ヒトの考えにツッコミ入れるの、やめてもらえませんか?」
「丸聞こえでしたよ。なにが考えだ」
「あ」
考えることが自分でも気づかずに言葉になってしまうのは、脳が疲れた時の症状ともいうから、気を付けなければいけないと感じたセレステだったが…
「しかしですね、外務大臣殿?」
「はい?」
「なんであの二人がここにいるのでしょう?」
そういうセレステが指さした先には、オディーリネ王女と、ムアがテンゲルの草原で散歩にでも出てきたかのようにゆっくり歩いていた。
「なんでって…
ケイレスでの日程を終えてバリアーダに行くと言ったら、オデットリネ陛下がいい機会だから、ケイレスの使節も同行させて欲しいと仰ったではないですか?」
「そうでしたね?」
「もちろん、スプラ・ヌベスの利用料とかその他諸々の経費はちゃんと払ってくださるとも仰っていましたね」
「はい。こちらはどうせ行く道だから、経費は別にいただかなくても構わないと言いましたけど」
「いや、それでは一方的にお世話になるだけだからいけないと、女王が仰いましたね。
まだお若いのに、はっきりとした方でした」
「まあ、そんなお方だから私もやられましたけど」
宰相の助言があったかもしれないけど、あの若いというか、まだ幼い女王の堂々とした振る舞いやはっきりとした発言は、彼女はもう一人前の為政者だということを感じさせていた。
「その使節団の団長としてオディーリネ副王を任命し、『この際、他国のことも見てきなさい。籠の中の姫様に留まってはいけません』と仰ったとか。
大したお方です、女王は」
「そういえば、そんなことがあったような。
…それはいいとして、あのムア殿は?」
「あ、それはですねー」
***
「この際、臣の至らなさを痛感いたしましてございます。
こんな無能が、大臣の座に留まるべきではないと存じ、辞任の儀を…」
女王姉妹の前で平伏し、内務大臣を辞める意志を上奏するムア。
そんな彼を見下ろす女王の目は、冷たかった。
「何卒、辞任をお許し願いたく…」
「ならぬ」
卑屈なまでに聞こえるムアの上奏を、女王は一言で切り捨てた。
「昨日までのそなたの所行は、わらわとてわかっておる。
しかし、そなたにはそんな考えをするだけの自信があったことも、またわかっておる。
そのそなたも、不忠を働く前に制圧された。
己の犯せし罪を、辞任ぐらいで許されると思うのは…
図々しいにもほどがあると、思わぬか?」
言葉の重みが、全身を縛りつくように感じる。
こんな女王を、私は幼く脆弱だと勘違いしていたのか。
ムアは、自分が何をしでかしたのか今になって初めてわかる気がした。
「許さぬ。逃がさぬ。
そなたはわらわの臣下だ。
その才も、命も、わらわのものぞ。
違うか?」
「その通りでございます」
辛うじて答えたムアは、今自分が息をしているのかすら、疑いたくなった。
『私は、こんなお方を『気弱な小娘』などと、勝手に?』
そんなムアの考えなど気にせず、女王が言い続けた。
「だが、何の咎めなしでは示しがつかぬ。
よって、そなたから内務大臣の座を剥奪する。
よいな?」
「ははっ」
どうせ、辞任を乞いに来たところだった。
「内務大臣の座には、外務大臣を移動させる」
それも、大体察していた。
勤王派だった外務大臣が、フェリデリアに助けを乞うことに噛んでいないはずがない。
その労いとして、大臣筆頭である内務大臣の座をいただくというのは、当たり前なんだろう。
「して、外務大臣の座が空席になったな。
ロートバル・ムア、聞くがよい。
そなたを内務大臣から降格させ、外務大臣に任ずる。
これから国のため、己が力の限りを尽くせ。
これがそなたへの罰ぞ」
「ははあ、ありがたき幸せ!」
確かに、大臣筆頭である内務大臣だった彼を、外務大臣にするのは降格で、普段の彼なら侮辱だと捉えていただろう。
しかし今日の彼は死罪をも覚悟していた。
それを、降格だけで許してもらえ、これからも国のために働けと命じられた。
「では新たに外務大臣になったそなたに、初仕事を命じようぞ。
『女王の友』殿に、我がままを聞いてもらった。
此度の我が国での使節行が終わった後、バリアーダに行くと言っていた。
その旅路に、我が国の使節団の同行を、許してくれるとな。
その使節団として、バリアーダに行ってくるがいい」
「ははー!このムアめ、必ずや!」
「ああ、そして使節団の代表は副王を遣わそう。
異存ありや?」
「ございませぬ!」
***
「―だそうです」
「…怖いですね、王族って…」
「まあ、イラガンデ殿の入れ知恵もあったでしょうけど…
あれは、生まれつきの王材ではないと、できませんよ」
「はははは…」
乾いた笑いが、セレステの口から漏れ出た。
「そしてですね…
多分、彼を外国に遣わしておいて、国内では彼の派閥への粛清が。
命までは奪わずとも、罪状の明白な何人かは降格や転封ぐらいは逃れまい」
何かあるだろうとは、セレステもうすうす感づいてはいた。
だが、あのか弱そうな少女の女王が、あそこまで怖い支配者だったとは。
有能なゆえ、自分を過信して周りを見誤ってしまい、今の苦境に陥ってしまったムアに、正直同情する気がした。
「うちの陛下も、あんな支配者なんでしょうか…」
ふと、かわいい(相当語弊があるということには気づいていないセレステだが)ラシオンも、あんな怖い支配者なのか、と心配になったセレステがぽつり言った。
「いや、陛下は…
見えるそのままのお方ですよ。
朗らかで、大らかで、闊達で、たまには可笑しくて、心優しいお方。
たまには、そんな陛下にも非情な決断を必要とする時がなかったとは言えませんが…」
なにか、ナデントが言いよどむ。
セレステにはその間が、耐えられなさそう気がする。
「あなたがいてくれて、陛下に苦しい思いをしていただかずともよい」
「え?」
何の意味か、分からない。
セレステは、そう当惑していた。
「あなたという未知なる力…
陛下に逆らう者たちにとって、未知なる恐怖とでも言いましょうか。
それがどれだけ陛下以下王室の支えになって、力になってくれているのか。
あなたご自身は、分かっていなかったでしょう?」
「いや、未知なる恐怖…って……」
まさか、這い寄る黒い王とか、海深くに眠り続けるあのお方のような?
「いやいやいやいや、人聞きの悪い!
それは、アリメカリセスがそちら系列に見えなくもな…
って、ええええええ!?」
何か一人でぶつぶつ言っては、奇声をあげるセレステを見て『忙しいヒトだな』と思うナデントだったが、それでも一言付け加えるのを忘れなかった。
「…何を一人で騒いでいらっしゃるかはわかりませんが…
それだけ、王室の面々があなたに頼り、大切に思っているというだけですよ。
そしてあなたのそのわけのわからなさが、今のように外国をも牽制してくれるほどだから、私としても仕事がはかどりますしな」
「なんか、得をするのはあなただけのようですけど!?」
そんなセレステの抗議(?)に、ナデントが不敵に笑いながら答えた。
「まあ、いいではないですか?結果的に、我が国のためになることですし」
その時、セレステが騒ぐせいでこちらに気づいたか、オディーリネ副王とムアがこちらを見て一礼するのが見えた。たぶん、こちらの会話の邪魔にならないように、こちらに来る気はないようだったが、セレステが思わず、挨拶のつもりで大きく手を振ったら…
‐ ビクッ
ムアが怯むのが、遠くからも分かるほどだった。
「ほら」
「いや、だから私が何をした!?」
セレステにとっては理不尽以外の何物でもないことなんだろうけど、その無自覚で相手に恐怖を植え付けるいまの彼のことも、悪くはないと思うナデントだった。
あんなのは、意識してやろうとすればむしろうまくいかないものだから。
「…違います、マイロード」
「うわあああ!
な、なんだアリメカリセス、君か。
なにが違うって?」
「…いいえ。
もうすぐ、バリアーダの領空に進入します。
国境での入国許可に向かわれる準備を、と報告に来ました」
「あ、ああ…そうか。
わかった。搭乗用ドローンの準備を…」
「いいえ、今度はハーヤ・ナクマで行かれる方がいいと思います」
ケイレス入国の時、ドローンだけでも国境警備隊が慌てていたのを思い出したセレステは今回もドローンで出ると思っていたが、それをアリメカリセスにきっぱりと否定され、怪訝な気持ちになった。
「なんで?」
「下を、見下ろしてください」
「…下?」
不可視フィールドという落下防止対策があるとわかっていても、やはり生身で上空2000ⅿを感じるのは気が引けたので、無意識で見下ろしていなかった下だったが、セレステはアリメカリセスの勧める通り、下を見下ろした。
「…………
なあ、アリメ?
今、私の目がおかしくなっていないならな…」
「はい」
「なにか、現実にいてはいけないようなやつが…見えたけど?」
「マイロードのおっしゃる現実は、地球の常識でしょう。
ここはトゥシタです」
「…はっきりいってくれる。
じゃ、あれ…って…」
見下ろした下の空を、ゆっくりと、優雅に飛んでいる巨大な生き物。
長い頸に、皮膜で出来た1対の巨大な翼、4つ脚、太くて長い尻尾。
その全身を覆う、黒光りのウロコ。
どこからどう考えても、あの超メジャーなファンタジー生き物が、そこを飛んでいた。
セレステが何を見て戸惑っているのか気になって傍に来たナデントが、下を見下ろしてセレステが目撃したのを見ては、事も無げに言い出した。
「なんだ、アレでしたか。
そういえば、レギス・セレステはアレが初めてでようね。
エイヴィアもケイレスで初めてご覧になったから、驚くのも無理ではない。
アレは熱帯で生息する生き物でして、温帯気候のトゥシタでは見かけない。
普段は大人しいやつらだから、南部では奇獣として飼われることも多いとか…」
「あ、はい。ご親切な説明をありがとう…
じゃなくて!どこからどう見てもあれじゃないですかあれ!」
「はい、アレですよ?」
「……?」
なんか、話しが全然かみ合わない。
まさか…
「あの生き物の名前が、アレ…?」
「え?ご存知だったのでは?
はい。おっしゃる通り、あれの名前はアレです」
「………………
んなバカなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」




