世界が動き出す日
「まさかと思ったが…こんな…」
あり得ないと思っていた実験結果の前に、腰を抜かして地面に座り込んだセレステは力無くこう呟いていた。
「レ、レギス・セレステ!大丈夫ですか?これは一体?」
***
遡ること4時間前。
8匹のザイデを譲ってもらったセレステは、それぞれ2匹ずつ、4つの比較群に分けて実験に入っていた。
第一群:ナイパという木から採取した透明な樹脂
第二群:ホバという木から採取した、琥珀色の樹脂
第三群:ビニール(レジ袋)
第四群:プラスチック(ペットボトル)
実験のために、急遽地球に行ってきたセレステだった。
「…お館様、いくら樹脂が摂取できる虫でもそれは…」
「念のためなんだ。食わないならそこまでのことだ」
とはいえ、セレステはビニールとプラスチックに、ある期待を抱いていた。
『期待した結果が出なくても、少なくともこれを『食べて処理できる』か確認するだけでやってみる価値はあるとおもうがな…』
そう。もしザイデがビニルとプラスチックを食べられるなら、毎日セレステがゲートで消している膨大な量のビニールとプラスチックのゴミを、処理させることもできるだろう。
それぞれの箱に、試料と共に入れられたザイデたちは、環境の変化に適応すべく周りを見ているのかと思ったら、一緒に入れられた試料、餌に気づいたらしく、そちらに歩み寄った。
意外なことに、元々この世界のもので、餌にもなっていた2種類の樹脂だけではなく、初見のはずであるビニールとプラスチックにも、迷うことなく食らいついていたのだ。
「おお、食ってるくってる」
「まさかと思いましたけど…」
「これはこれは、私も驚きました」
セレステとラインバルトだけではなく、コミス・アギスと農場主も、初めてみる地球の物質を、美味しそうに齧っているザイデを見て感心していた。
「これは合成樹脂…いわば、ヒトの作りし樹脂というものでね。
天然の樹脂とは幾分か似ているものだから、もしかしたら…とは思ったけど、本当に食うとはな」
地球でもプラスチックを分解する微生物の存在は、確認されている。
多分、ザイデもその類の生物か、腸内にそんな微生物が生殖しているかも知れない。
そんな会話を交わしているそばで結構な量を食いつくしたザイデたちは、満腹になったのか、エサから離れて、身を丸くしてそのまま動かなくなった。
「これは?」
「エサを食べると、ああして動かなくなります。
多分、体力を温存するための行動でしょう」
「それでは、捕食者の標的になるのでは?」
「流石に自然では見えないところに隠れますけどね、養殖種は呑気というか、警戒心がないようです」
蚕の蛾だって、人間に飼われて飛べないように退化していたから、まあそんなこともあるんだろう、とセレステは思った。
「よし、第一段階の実験目標はこれで結果が出たわけだ。
ビニールとプラスチックを食べられるかが気になっていたが、見事に食べてくれたな。
これだけでも大きな収穫だ。
次は、どのような糸を吐き出すかだが.こればかりは待つしかないな」
それからは特にやることもないので、作業者たちの邪魔にならないように一旦領主館に戻ろうか、とも思ったが、それはそれでコミス・アギスに迷惑になる気がして、そのままザイデの飼育場の視察を続けることにした。
「ほう、では製糸に向いていないので飼育はしていないが、ザイデに似たような生態を持つ昆虫がいると?」
「はい。グラファという蟲ですが、こいつの吐き出すものは糸にしては硬すぎて、刃物でもなかなか切れませんし、むしろその糸に指を裂いたりしますので、商品性がほぼありません」
『いや、それってまさか…』
とんでもない可能性が脳裏をよぎったが、口にするのはまだ早い。
とりあえずはザイデの実験結果を待つべきだった。
「しかし、窓があんなに開けっぱなしでは…
寄生生物とか、小鳥などに襲われたりはしないか?貴重なザイデが」
それを聞いた農場主―ザエリネは、驚いたような顔になった。
「おっしゃる通りです。
よく、ご存知でいらっしゃいますね」
「ああ、まあ。
金網を張ったりも出来るだろうけど、それでは寄生昆虫は防げないし。
だからと言って窓を閉めておいたら、今回は風通しが悪くなって、カビや腐敗などが。
違うか?」
「そ、その通りでございます」
どうしてこの、王都からいらっしゃったご貴族様が、ザイデ養殖の悩みを分かっておいでか、とザエリネが驚いているところ、コミス・アギスがめざとく割って入った。
「ほほう、さすが博識なお方だ。
もしかしたら、その解決策もご存知でしょうか?」
遠回りで『教えてください』と言っているような言い方だが、セレステとしても今日色々と手伝ってもらった答礼として、これぐらいのヒントはあげてもいいのでは、という気がした。
「網目の細かい金網が作れないならね…
糸で、目の荒い布を編んでみたらどうだ?
それはそれは、雨に濡れても腐らない、ナイフでも簡単には切り出せないような、そんな糸が、あるではないか」
「え?そんな糸が…
あ!」
何の話だろう、訝しんでいたザエリネは、次の瞬間セレステが何を言おうとするのかに気づいた。
「グ、グラファの!」
「そうだ。普通の布としては使えなくてもね、網のように編んで、網戸の代わりに使えると、そう思わないか?
加工性を考えると…もう少し柔らかい糸と混ぜて編んでもいいだろう」
今ザエリネが覚えている気持ちこそ、『目からウロコ』という言葉が相応しいだろうか。
硬すぎて、鋭いから使い道がないとばかり思っていたグラファの糸から、そんな使い道を見出してくれるとは。
さすがに、『異世界人』であるだけの、トゥシタのヒトとは違う考え方だと、ザエリネも、アギスも感心していた。
「―貴領の製品として他領に売り捌く、そういうこともできるだろうね?コミス・アギス。
一つぐらい、手土産になったのだろうかな?」
それを聞いたアギスが一瞬、ビクッとしたが、すぐ笑みながら返答した。
「いやいや、何から何までお見通しでしたか。
さすがは高名なレギス・セレステ。私などでは到底及びませんな。
これでは…ザイデの実験から何が現れるか、ますます楽しみです」
「いや、そう煽ててくれてもな。
本番のザイデの実験が失敗、ということもありうるから」
セレステは何も得られない可能性を言っているが、アギスの目には期待の光が満ちていた。
そういうセレステも、ビニール・プラスチックごみの処理ぐらいはできるだろう、と淡い期待を持っていたわけだがー
飼育場から農場の手伝いが走ってきて、実験用のザイデが、糸玉を作ったと報告した。
実験台に戻ってみた一行の目の前に、4種類の糸玉を放置して、また餌を齧っているザイデたちがいた。
第一群は半透明に見える糸玉。
第二群は白い糸玉。
第三群も白い糸玉。
第四群は半透明な糸玉。
4つそれぞれ、セレステには妙に既視感のある光沢をしていた。
「…まさか」
第一群の糸玉を持ち上げ、その糸口から、透明な糸を引き出す。
軽く力を入れてみたら、パキッ、と小気味ようく折れた。
「…まさか、これ…
アクリ……ル」
模型作りの時、何度も触ってみたあのアクリルの感触に、恐ろしいほど似ていた。
第二群のは、すごく細く、そうでありながら強靭で、しなやかな光を放つ糸。
「…ストッキング…」
…ナイロンだ。
第三群は…プラモ好きのセレステとしては、見紛うはずのない質感だった。
「スチレン…だよなこれ」
最後のは、滑らかで、どこか油染みた質感。
「…冗談なら、よしてくれよ…」
膝から崩れ落ちるように、セレステはよろめいて、飼育場の地面に座り込んだ。
「セレステ閣下?」
「お館様!」
周りが騒ぎになるが、そんなことなど、セレステの耳に入ってこない。
「どういう世界なんだよ、本当…」
***
「もう大丈夫ですか?」
放心状態のままラインバルトを肩を借りて、飼育場から出てきてSUVの座席に腰を下ろされたセレステは、しばらくして元気を戻した。
「ああ、すまん。
あまりにも驚いたのでね…」
「何か、問題でも?」
心配そうに聞いてみるアギスに、セレステはどこか虚脱感の漂う顔で答えた。
「問題?
…うん、問題だね。大問題だ」
「と、おっしゃいますと…」
何か、深刻な問題が起きたのか、とアギスの顔が曇る瞬間。
「…材料の革め…いや、革新だ!」
「はい?」
「さっき、君たちも見たんだろう?
私が地球から持ってきた、あの水に濡れない、漏らさない透明な瓶。
あれを…こちらで生産できるようになる!
しかも、環境への悪影響もなしにだ!」
最初皆んなは、セレステが何を言っているのか、理解できなかった。
しかし、徐々に、今何を聞いていたか思い出した。
あの、魔術でもかかっているかのような不思議な瓶を、この世界で?
特に、軍の経験があるラインバルトにとっては、その言葉の重さが違う。
鉄製や革製の、重く、水に嫌な臭いが移りやすい水筒が…
「コミス・アギス」
「は、はい」
「…悪いが、この発見は当面の間は他言無用にしておいてくれ。
こればかりは、最優先で国王陛下に奏上すべき事案だ。
それだけの価値のある発見なのだ。
貴殿にも、わかるな?
さっきの瓶…それだけではない」
「承知いたしました」
「近いうちに…国王陛下謁見の機を、設けよう。
これは貴殿の領地だけのものではなくなるだろうけど…
できるだけ、貴殿が利権を確保できるよう、計らおう。
…確言はできぬが…貴殿の領地は、軍需事業の要になるかもな」
アギスの眼光が、鋭く光った。
今日までも、彼の領地は質のいいシルク、絹織物の産地として名を馳せていた。
しかし、それ以上の飛躍の可能性が、今提示されたのだ。
「承知いたしました。
では、王命が下る日まで、謹んで待たせていただきましょう」
その日までは、何も口外しないーとは、あえて言わない。
農場の者は控えさせて、レーテスとアギス家のコーチマン、リデサテを少し遠くで他人の接近をマークするように待機させたので、この事実を知っているのはセレステとアギス、そしてラインバルトだけだ。
「何、そう長くはかからないだろうよ。
新しいのを好まれる陛下だし、大臣…特に商工大臣と、魔術師長ならすぐにでも確認しにきてみたいと騒ぎ出すんだろう。
それまでの辛抱だ」
「何がですか?私は何も知りませんがー」
けろりと、本当に何も知らないという顔をして見せるアギス。
「…全く、食えない人だ。
だが、それでいい。
では、そろそろ戻ろうではないか。
今日はあまりにも色々あって、さすがに疲れたな」
「では、私の領主館でお泊りに…」
「いや、貴殿を送ってあげて、昨日の兄弟を連れて王都に戻る。
貴殿には、本当に世話になった」
そういうセレステの顔には、普段の彼からは感じられない疲れ気味が現れていた。
多分、身体的な疲れではなく、あまりにも驚いたせいで、精神的に疲れているんだろうけど。




