ミルクのなる木
「配当の話は後回しにして、とにかく、茶葉の可能性をもっと、『味わって』みないか?」
「味わうって…さっきのケーキ以外に、また何かあるんですか?」
「あるとも。地球から持ってきたものだけどね、こちらでも再現できるものが多い」
セレステの話に合わせて、ラインバルトが箱からいくつか用意してきたものを取り出して、テーブルの上に並べた。
「どれどれ…紅茶クッキーと、抹茶、ミルクティーに抹茶ラテ…
どれも女性の好きそうなものばかりなのは、まあ、スイーツというものだから」
「ミルク?」
『…しまった!』
地球ではあまりにも当たり前のように思っていたので、この瞬間まで気づいていなかったんだが、ミルクは…
牛乳、牛の乳だ。
白亜館でもさも当たり前かのように牛乳や乳製品、バターやチーズを使った料理、特にガーネサが来てからはお菓子作りに使われていたので、セレステも全然おかしいとは思っていなかった。
だが、アンテロの社会で、牛乳とは…
それだけか、今目の前にいる二人は、エルマとアレフ。牛系列のアンテロだ。
『まさか…いやいやいやいや、そんなはずは…』
「レギス・セレステ?どうかしましたか?」
「あ、いや。なんでもない。失礼したな」
「…はあ。
で、ミルクとおっしゃいましたか?」
「あ…うん、でもミルクって…」
なんとか誤魔化そうと、セレステは必死で頭をフル回転していたが、それを知ってか知らないでか、ヴェランは独言るようにいった。
「ミルクか…それは考えてもみていなかったが…
確かにこの『コウチャ』となら…
ネダス、用意してくれるか?」
「はい。ちょうど今朝の採りたてが厨房にあったと思います」
『トリタテ!?』
何事でもないかのような二人の会話に、セレステの脳裏はますますカオスに陥ってしまった。
『トリタテって、まさか、毎朝乳牛系の女性アンテロから…?
いやいやいやいや、なんだこの変態すぎる想像は!』
完全に混乱の渦に溺れているセレステに、主の混迷を見かねたラインバルトが耳打ちをした。
「お館様、どうしましたか?」
「いや、ミルク…って…」
「ミルクに、何か問題でも?」
「…?」
そういえば、この世界のミルクがどのようにして生産されるものか、知ろうとしていないことに今更きづいた。
当たり前のように牛の乳だとばかり思っていて、牛のアンテロのことは全く考慮していなかったのだ。
それなのに、その牛系のアンテロも、ルパシドのラインバルトも全く気にしていないということは…
「お待たせしました」
ヴェラン家の執事、ネダスが推しているトロリーの上に置いてあるものを見たセレステは、さらなる困惑に陥ってしまった。
「…なんだあれは?」
「何って、ミルクの実ですけど?」
「…あ?」
トロリーの上には、注ぎ口の付いてある大きめのボウルと…
…牛乳色の皮をした、楕円型で滑らかな表面をしている、何かの物体がいくつか置いてあった。
「ミルクの…実?」
「はい。ちょうど、いいのが採れましたね」
「ミルクって…木になるものだった?」
「それ以外に、ありますか?」
なんで当たり前なことを聞くのかな、というかのような怪訝そうな視線で見返すヴェランを見ながら、セレステは考えることをやめた。
ヴェラン家の執事が楕円型の実の尖った方を器具で切り開け、その内容物をボウルに注ぎ込むのをぼうっとした目で見ていたセレステは、ふと、あれが本当にミルク…牛乳なのかが気になり、確認してみたいと思った。
「あ、取り込み中失礼だが…
私の知っている、地球のミルクとは少し違う気がしてな。
ちょっと、味見させてもらえないか?」
「もちろんです。
ネダス」
ヴェランの指示に従い、執事ネダスはもう一つの実を切り、その内容物をまだ使っていないティーカップに注いで、セレステの前に丁寧に出した。
「どうぞ」
「あ、ああ…」
注がれる形態も、嗅覚を刺激する匂いも、牛乳のそれに違いない。
舌に触る質感も、濃厚な乳脂肪の味も…
成分調整を経て販売される日本の牛乳より、濃厚な味がする。
「間違いないぎゅ…いや、ミルクだ。
しかも、この濃厚な味…」
地球人の常識に正反対から喧嘩を打ってくるようなものだが、実際自分の感覚で確認している以上、否定する余地もない。
「間違いない、私の知っているミルクと同じ、いやむしろ上回る味かも。
その実のことも気になるが…その殻の中に、果肉もあるか?」
「はい。ミルクの塊のような、クリーム状の果肉が。
痛みやすいので、ミルクを注ぎ出した後はその日のうちに食べなければなりません」
『カッテージチーズかよ!!!!』
実の中に果汁で満ちているのも、果肉がクリームに近い状態なのも、タンパク質度の高い木の実も、地球の果物の中にないことではない。
だから、『硬い殻の中に、果汁が殆どで、少量のクリーム状の果肉があって、それのタンパク質度が高い』というのがあっても、そんなにおかしいことではない。
しかし、それが牛乳とチーズとなると…
『出来過ぎ!』
「セレステ閣下?」
無言でそんなことを考えているセレステを見て、何か不機嫌なことでもあるのかと、ヴェランが心配そうに聞いた。
「あ、ああ。すまぬ。
ちょっと考えごとをな。
ミルクを温めて、濃く入れた紅茶に注いで、飲むヒトそれぞれの嗜好に合わせて砂糖を入れればそれがミルクティーだ。
これも好みのよって紅茶にミルクを注いだり、ミルクに紅茶を注いだり、豊かなバリエーションがあってね」
「そうですか。
ネダス、頼む」
「はい」
特に言っていなかったけど、ミルクを温める用具と、砂糖も準備していたようだ。
「ほう、言われなくても用意していたか。
さすが、できる執事だな。
ラインバルト?ちょっとは見習いなさい」
「…肝に銘じます」
至って丁寧ではあるが、どこか『あなたのいうことか!』と抗議しているような気がして、ヴェランはやっぱり、この主従は変わった関係だと感じていた。
「とにかく、こちらも味わってみるといい。
紅茶を入れたクッキーだ。
それ以外にも、結構様々な使い道がある。
どうだ?貴殿の茶畑が、輝いて見えないか?」
***
その日の夜。
ヴェランは、領主館のリビングで、妻と一緒にミルクティーと紅茶キャンディーを嗜んでいた。
ミルクティーは執事が入れたもので、手だれの執事ならではのことか、すぐコツを掴んで結構美味しいミルクティーを入れられるようになっていた。
「…お忙しいお方でしたわね」
食事の時間に他人の家を訪問する無礼を働いたから、すぐ帰ると言い出したセレステをなんとか引き止めて、大急ぎで昼食を用意させたので領主夫人の彼女までも厨房に立つ羽目になったが、彼女は何も言わず頑張ってくれた。
「ああ、全くだ。
しかし…そんな忙しい御仁だからこそ、この領地に新たな未来を見せてくれることができたかもな」
「ええ。まさか、私たちの茶葉に、こんな可能性があったとは…」
食べ残しを女性に味わわせてはいけないと言って、ロールケーキも、クッキーも、キャンディーも新しいのを多数『複製』しておいて言ってくれたのだ。
研究の参考にと、地球産の紅茶も、山ほど渡してくれた。
『食べ切れなさそうだったら、近所の領主や貴族たちに分けてやってもいいぞ。
うちの茶葉でこんなことができるんだ、といういい宣伝になるだろう』
とも付け加えてくれた。
昔からの茶の産地だから、別に宣伝などする気にもなっていなかったが、これからは違う。
「産地ならではの、新鮮な茶葉の味をわかってくれたのも嬉しかったけど…
『王都の連中にもわからせてやる』と言ったのは、一体どういうことだろう?」
「さあ…あのお方なら、新鮮なうちに運ぶ方法があるんでしょうけど…
流石に、そこまでしてくださる義理はないでしょうね」
「そうだな。この紅茶の製法を教えていただくだけで、うちの領地としては大恩を受けることになるからそれ以上を望んではいけない。
しかし…気になることが…」
「なんです?」
難しい顔をする夫に、ヴェラン・メアが聞いた。
「それが…
『遠いから来れないという連中を、来させてやるまでだ』と」
「あら…なんでしょう?」
***
「ご主人様!」
セレステが再び訪問して、紅茶と抹茶の製法の資料を渡して帰ってから、何日か後のある日。
老執事のネダスがまたもや取り乱した態度で、資料を耽読していたヴェランの書斎に、今度はノックすらせず飛び込んできた。
「なんだ、ネダス、君らしくなー」
「そんな呑気なことを言っている場合か!
早く、早く外へ!」
「…あ?」
鬼気迫る執事の勢いに気押され、ヴェランは何事かと思いながら外に出てみた。
「な、なな、ななな、なななななんじゃありや!」
見上げた空から、巨大な岩盤、いや、大地が徐々に降下してきていた。
「お、落ちる!?」
「いや、それにしては速度が…」
混乱している家臣たちの中で、ヴェランはあることを思い出した。
「ま、まさかあれが噂の…?」
その瞬間、彼らの前に火花散らす扉-というか、結構巨大な、空間の切断面のようなものが現れた。
「やあ、マルク・ヴェラン。
私た。レギス・セレステことマルク・テンゲル」
「れ、レギス・セレステ?
これは一体…?」
「すまん、すまん。
貴殿の領地で味わった、あの新鮮な茶葉の味を自慢したらな…
さるお方が、ぜひ産地の味を味わってみたいと」
慌てていながらも、ヴェランはセレステの話に緊張を覚えた。
あの砕けた態度をとっていながらも、『さるお方』と。
レギス・バシである彼をして、ああ言わせるのは…
「あら、王父卿。
まるで私が無理を言ったような言い方ではございません?」
ゲートから歩き出たのは、軽い服装をしてはいるが、この国で一番高貴な女性ーー
王妃イーシャ、その人だった。
「お、王妃殿下!」
いくら王都に上がる機会がほぼない田舎貴族でも、年に一度ぐらいは王都に上がらなければならない。
普段はいらない虚礼虚飾だと思っていたが…それがあって王家のお顔を覚えておいて良かったと、今この瞬間痛感していた。
片膝をつく彼のそばに、邸宅の中で外の様子を見ていた妻も、いつの間にか駆けつけてきて一緒に膝をついていた。
「お、王妃殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「ええ、よしなに。
いきなりやってきて、困っているんでしょうね。すみません」
「め、滅相もございません!」
「テンゲルのリゾートで休養していたら、お父様…王父卿が、ヴェラン卿の領地で味わった新鮮なお茶の味は格別だったと、自慢話を長々と…
気になって来てしまいました。
ご迷惑をおかけしても、よろしいでしょうか」
「光栄にございます!
ただちに、準備を!」
と言いながら後ろを向いた瞬間、すでにヴェラン・メアと執事がいそいそと走り回りながら茶会の準備にかかっていた。
「あ、王妃殿下のついでに…というのもなんだが、今リゾートで休養している貴族の方々も興味を示していてな…
お茶淹れとテーブルセッティングはうちのホテルのスタッフに任せるから、試飲会用の茶葉を、売ってもらえぬか?呼び値でいいぞ」
「は、はい!」
静かな田舎領地だったヴェランに、王妃殿下ご降臨という一大イベントがあった以降。
テンゲルの周回軌道にヴェランが加わり、旅行のお土産として『産地で購入する新鮮なお茶』が社交界で流行ったのはいうまでもないことで、後日紅茶発祥の地として、近隣諸国にまで有名になったある日、懇意になったヴェランにセレステはこう言っていたと言われる。
「いや、君の紅茶がよく売れるほど、私の懐も潤うじゃん?
それだけのことだよ」




