特許料
それは、ありえないほど柔らかく、ふわふわなパン生地だった。
もちろん、トゥシタの製パン技術でも柔らかいパンぐらいは作れる。
しかし、それは食パンぐらいの話で、ジェノワーズ、いわゆるスポンジケーキの製法は開発されていなかった。
だからこそ、社交界の女王であるビアラ夫人すら簡単なロールケーキで驚いていたわけで、田舎貴族のヴェランなら、いうまでもない。
『いや、パン生地もだが、このクリームはどうだ。
柔らかい泡立てに、上品な甘さ…砂糖を入れ過ぎて舌が痺れるような感じはしない。
むしろそれを、このほろ苦いお茶の味が甘さを引き立ててくれて…』
地球の前近代社会では、『高価な香料や砂糖を、とにかくふんだんに積み込むことこそが富の象徴であり、高級料理』だと思われた時期があった。
似たような風潮がここトゥシタにもあって、高級お菓子となるととにかく、まだ高価である砂糖をふんだんに使うのが普通だった。
『しかし、この抹茶ロールケーキなるものはどうだ。
砂糖はむしろ控えめに入れて、お茶の苦味でそれを引き立てて、上品な甘さに練り上げている』
「よほど気に入ったようだな」
微笑ましそうに笑いながら話しかけるセレステに、ヴェランはふと我に返った。
さっき出されたロールケーキの皿には、クリームの粒一つの残っていなかった。
「あ…こ、これは…
恥ずかしい限りです。かつて経験したことのない味だったので…」
「ああ、いいよ。
うちのパティシエの自信作だ。気に入ってもらえたらこちらも嬉しい。
そこ、ヴェラン家の執事殿。
君にも味わってもらって、感想が聞ければいいな」
「わ、私めでございますか。
私めなどが、ご主人様と同じものを…」
「なあに、胡散臭い異世界人の出すものは食べられないと?
なら君のご主人様を止めるべきだったろう〜?」
もちろんセレステとしては冗談のつもりで言っているが、下の者としてはそうは受け入れられない。アレフの老執事は、仕方なくラインバルトの差し出す皿を受け取って、主人の後ろに侍立したまま、フォークで口に運んだ。
もぐもぐと最初の一口を口にしたら、そのあとはもう無言でパクパク、夢中になって食べることに集中していた。
先代からこの家に支えてきた老執事の、初めて見るその姿に、ヴェランは驚きながらも、心の片隅でこう考えていた。
『私も、ああ熱中して食べていたのか』
そして執事もまた、食べ終えてから我に返って、ビクッとしては
「これは、見苦しいところをお見せしました」
と、謝罪していた。
「いや、いいんだ。
美味しいものを美味しいと感じることに、罪などないよ。
二人が夢中になっていたと伝えたら、うちのパティシエもさぞ鼻が高くなるだろう。
美味しいか、美味しくないのかなど、聞くだけで無粋だろうな。
さあ、次の話があるからな、二人とも、お茶で口を直してくれないか?」
「は、はい」
セレステが何を意図しているかはわからないが、確かに口の中をさっぱりしたいという気持ちはあった。執事が入れ直したお茶を、二人が口にした。
「む」
何か、合わない。
もちろん、口の中に残っているケーキの味を流し込んで、さっぱりするという目的にはあっているけど、何か、『味の合わせ』という面では、無理がある気がした。
これでは、このケーキにお茶を添えることはできない。
その考えに気づいたかどうか、セレステがヴェランの執事に話しかけていた。
「執事殿?悪いが、新しいお茶の道具を用意してもらえぬか?
こちらから出したいものがあってな」
『どうしますか?』と、自分の主人の指示を求める老執事の視線に、ヴェランは軽く頷いてみせた。新しいお茶の道具とお湯を用意しに執事が出て行った後、セレステがまた、ラインバルトに指示した。
「抹茶ケーキではない方も出せ。そして紅茶を淹れる準備も」
『コウチャ?』
茶葉の名産地の領主である自分さえ、聞いたことのない『茶』の名前に、ヴェランは思わず緊張していた。
初めて味わった菓子パンの次は、自分さえ知らないお茶を見せつけて、この異世界人は何をしようとしているのか。
「お待たせしました」
ヴェランの執事が用意してきたお茶道具を渡されたラインバルトは、さっきの箱から出した紅茶の缶を開け、紅茶を淹れる準備をした。
「この香りは…」
しつこいようだが、ヴェランは茶葉の名産地の領主である。
領地の主産業である茶葉に関して、並ならぬ知識を持っていて当たり前だ。
なのに、今ラインバルトが開けた缶から漂う茶葉の香りは、彼の知識を裏切るようなものだった。
茶葉を入れたティーポットにお湯を注いだ瞬間、さらに強く募る『紅茶』の香りは、ヴェランたち二人、茶葉の産地の人たちをさらに混乱させていた。
「これは…花の香り?それに、ほんのりと発酵臭が…」
「ほう、さすがは産地の領主。よくわかるな。
では、今回はこの…ケーキをお茶請けに、この紅茶を味わってほしい」
と、ヴェランと執事の前に、二切れのロールケーキと、今し方入れた紅茶を注いたティーカップが、出された。
「これは…?」
それは、ヴェランたちの知っているお茶とはまるで別物だった。
黒に近い、赤黒いその色はとても「茶の色」とは思えないものだったが、その花の香りが、嗅覚を刺激していた。
「さあ、遠慮せず味わってくれ。
抹茶を入れていないケーキもあってな…
紅茶で口を潤しながら食べるといいよ」
「…じゃ、お言葉に甘えさせて」
とてもお茶とは思えないそれを、一口。
お茶より苦味が増しているように感じるが、微かな酸味と、ほんのりとした甘味を同時に感じる。
その上、花の香りが気持ちいい。
そこで、ケーキを一口。
さっきのとは違う、『マッチャ』なるものが入っていないという白い方を。
「…あっている」
お茶とは違う『コウチャ』の苦味、酸味、甘味の混ざった味が、ケーキの甘く脂肪を感じる味とよく調和している。
フォークを皿におろしておいたヴェランは、セレステに深々と頭を下げた。
「負けました」
「え?なになに?
私たち、なんか勝負してたのか?」
そんなセレステの後ろから、ラインバルトが無表情で突っ込みを入れてくる。
「お館様。お真面目に相手されないと、マルク・ヴェランが不憫すぎます」
「いや、ラインバルトくん、君ね?
最近なんか私を悪者扱いしていない?
あれか?先日コクピットで漏らー」
「お館様…ッ」
さっき、ハーヤ・ナクマから降りる時から感じていたが、この主従はなんか変わった所がある、とヴェランは感じていた。親しすぎるというか、身分の差をあまり気にしていないように見えるというか。
「まあ、とにかくだ。
貴殿が何に負けたと感じるのか、察しがつくがな。
別に、勝負しにきたわけではない。
むしろ、貴殿の力を借りたいと思ってきたのだよ」
「力…ですか?」
このような差を見せつけて、何を言っているのか。
ヴェランは、セレステの次の言葉に耳を立てていた。
「そうだ。
この紅茶と貴殿のお茶…地球式に、『緑茶』と言わせてもらおう。
何も、その両者に優劣などあるわけではない。
むしろ、緑茶なくして、紅茶は存在しえぬ」
「と、おっしゃいますと?」
「さっき、貴殿は感じていたはずだ。
うっすらと、発酵臭を」
確かに、紅茶の缶を開ける時から、ヴェランは発酵臭を嗅いでいた。
「…まさか?」
「流石に、察しがいい。
そうだ。この紅茶はな、緑茶の茶葉に、もう少し工夫を加えて加工したのだ。
そして、この『抹茶』もな…」
ラインバルトが手際よく箱から出して渡したもう一つの缶を、セレステがヴェランの前で開けてみせた。
「これは…?」
紅茶とは全く違う、いや、茶葉ですらない緑の粉が詰めてある缶。
しかし、そこから漂うのは、強烈なお茶の香りだった。
「これが『抹茶』だ。
普通の淹れ方とは違うけど、お湯に溶かして飲んだり、料理に入れて茶の味を出したり…
そう、そのプレーンのロールケーキに、この抹茶を入れたのが最初の抹茶ロールだ」
二つとも、茶葉の産地の領主であるヴェランとしても、初めて見るものだった。
しかも、飲むためではなく、料理にお茶の味を加えることができるなど…
「つまり、これら全部、茶葉から…」
「私が何で稼いでいるかは、貴殿も聞いているだろう?
地球から持ってきた、この世界にはまだ発達していない嗜好品の専売でだ」
僻地のヴェラン領地にも、セレステの噂ぐらいは届いている。
領地のフェリノイ、カニセイドの領民の中には、『レギス様の幻のおやつ』という、なんか誇張された噂が流行っているぐらいだった。
「では、このコウチャと、マッチャなるものも、地球から仕込んできてその専売に…?」
「うん?いやいや、なんでそうなる。
専売でも十分以上に稼いでいるのに、他人の食い扶持にまで手を出すほど、私は悪辣な人間ではないよ。
さっき言ったではないか。貴殿の力を借りたいと」
「では…」
『茶葉の栽培しか能のない僻地の領主に、借りられる力などあるものか?』
そう思っているヴェランに、セレステが言った。
「貴殿には、強力な武器がある。
あの茶畑だ」
「…はい?」
「すでに、貴殿は良質の茶葉を生産している。
私は、そんな貴殿に…
紅茶と抹茶の製法を、提供できる」
「な…」
特産物の技術は、どの領地でだって、門外不出の秘伝としているのが普通だ。
なのに、技術を提供する、と?
「まあ、大臣の方々にも話したことだがね。
私のような地球人の寿命は、アンテロに比べれば短い。
私の残る寿命をかけて、地球の技術をトゥシタに伝えて、この世界を少しでも豊かにしたいと思っている。
この、茶葉の加工技術もだよ。
もちろん、私は専門の人ではないから、本職の技術ではない。
それに環境も差もあるから、大体の概要だけを伝えて、こちらで研究して、消化して自分のものにすることになる。
それでいいなら、地球から資料を持ってきてあげようと思うがな」
ヴェランとしては、得しかない話だが、それゆえ信じられない話でもある。
後ろに待機している老執事に、目をやる。
『受け入れるべきだろうか?』
『拒む理由はありません』
先代からの執事だから、ヴェランのいい相談役でもある執事も、そんな目配せをしてくる。
「とてもありがたい話ですが…
一つだけ、質問させてください。
そのことで、レギスはどのような利益を?」
「うむ、実にいい質問だ。
利益しかない、都合の良すぎる話に飛びつくような、愚か者ではないのが実にいい」
素直に賞賛と受け入れるべきか、判断ができかねるセレステの言葉に、ヴェランは次の言葉を待っている。
「貴殿と、貴殿の領地民には、私が提供する情報を元に、紅茶と抹茶の技術を自分のものに消化してもらおう。
そして、その技術が確立すれば、貴殿はその技術の特許を申請するのだ」
「特許…?」
「この国に特許制があるのは、すでにわかっている。
その技術を特許登録しておけばな…
真似た商品を取り締まることも、技術を提供してその権利の配当を要求することもできるぞ?」
特許。
確かにそれは盲点だったと、ヴェランは感じた。
もし、今のお茶の製法に特許があって、それが他人のものだったら、この領地の産業はどうなっていたんだろう。
「では、レギスは…」
「うむ。その特許料の2割だけを、配当としてもらえればいいなと思うな」
「…本当に、それだけでいいんですか?
売上でも、受益でもない特許料の、しかも2割?」
「ええと、2割で高いと思うのか?そこは話し合いを…」
「決してそんなことではありません!
技術の情報を下さるのに、配当額が少なすぎると…」
「いや、実際に研究して自分のものにするのは貴殿と貴殿の領民だ。
研究のきっかけを提示するだけで2割は…うむ、言っといて横暴かな、と思うが」
そんなセレステの話を聞いているヴェランは、実に困惑な気持ちだった。
新しい産業を提示してくれて、欲しがるのがたったそれだけだなんて有り得ることか、と。




