焼きたて‼︎ザ・パン
ガーネサは、白虎フーラニの女性である。
重要なことだからもう一度言っておこう。『女性』である。
彼女の実家は畜産業を営む家で、結構力仕事の家業ゆえ、筋骨隆々の種族であるフーラニの中でも、一際大柄なのが彼女の家の代々の特性だった。
そんな家族の中、家業は長男の兄が継ぐことになり、次男と長女だったガルカンとガーネサは、幼少時からなりたがっていた料理人とパン職人の道を歩もうと、故郷を後にして王都に上京したのであった。
到着した王都で、兄妹はそれぞれの道を歩み始め、二人とも腕を上げてガルカンは王宮の料理人に、ガーネサは貴族街の結構大きいパン屋の職人になっていた。
兄のガルカンが王宮の末端料理人から、とある貴族家の料理長に栄転したと聞いて、勤務先のせいでほぼ会えないでいた兄に会いに行ってみようかと思っていたある日―
「新しくパン屋の店主になった元店主のどら息子に、お尻を触られた?」
「うっす」
「あらまあ、破廉恥な」
そばで話を聞いていたビアラ夫人が、不愉快な内容に顔を歪めた。
「しかも、あろうことか、相手は男が好きだったのに、勘違いして君を…と?」
「そうっす」
あまりにも馬鹿馬鹿しくて逆に笑えない話だったけど…あんな猛々しい姿でも女性だ。結構辛い経験だったに違いないだろう。
「それは…気の毒なこーー」
「で、あのクズを半殺しにして店を首にされたっす」
「あ?」
「あまりにもイラついていたんで、憂さ晴らしにボコってやったらボロ雑巾になって」
「あの?」
「どうせこうなることだったら、血祭りに上げてやったら…」
「いやいや、ダメだろうそれは!
ガルカンくん?なんなの君の妹?
パン職人というか、狂戦士の心構えだよ!?」
そんな妹のそばで縮こまっていた(それでも大きいけど)ガルカンが、消えかかるような声で返答した。
「…故郷の村では、武闘派娘として有名でした…」
「いや、そんなことは…
…もうどうでもいいや」
なんか、あの図体にして妙に小心な性格だったので、ガルカンのことを変わった性格だとばかり考えていたが………
どうやら、兄妹揃って結構変わった人物のようだった。
「それで?そんな兄妹が、なんで『私の屋敷で』言い争っていたのかな?」
ここは気圧されないように、少し強く出た方が良さそうだと思ったセレステが、わざと『不機嫌を演じて』言った。
「それが、あの、さっき出された菓子パンのせいです」
「うん?」
菓子パンなら、ラインバルトに指示してガルカンの部屋に出してやったロールケーキとチーズタルトのことだろうか。
「ロールケーキとチーズタルト?あれがどうしたというのだ?」
「それがあの菓子パンの名前っすか!
パン職人の自分でも初めて見るものなので、兄に聞いてみてもわからないというから…
持ってきてくれたメイドさんに聞こうとしたら、兄に止められて揉めていたっす」
「そ、それはお前、その強面で、鼻息まで荒くして聞き出しに迫ったら、メリアレさんが怖がるだろうから……」
「ぬわんだとぉぉ!!」
メリアレとは、厨房メイドの一人で、小柄で可愛いシバ・カニセイドだ。
そう、『シバ』である。
結構強かな性格だから、多分怖がるどころか、ガーネサの強面にも負けず、いがみあっていたかもしれない。
まあ、それはそれで騒ぎになっていたんだろうけど。
「彼女に聞いても、無駄だっただろうね。
それは私が用意したものだから、使用人たちは名前などわかるはずもない」
それを聞いたガーネサが、目を見開いてセレステに視線を向けた。
まるで獲物を狙う猛獣のような視線で、流石のセレステもビクッと固まるような視線だった。
「レギス閣下様がっすか!?」
「…いや、どれか一つにしてくれない?
全部つけたって、偉くなる訳ではないからな」
「あ、はい」
「で、その甘味…菓子パンがどうしたというのかな?」
セレステがそれを言うや否や、ガーネサがくわっと身を乗り出していった。
「教えてください!」
「うわ、近い近い!何を?」
つぶらな瞳でいつもしょんぼりとしているガルカンは可愛いと思うセレステだったが、今のガーネサは猛獣丸出しだからあんまり接近されると、猫派の彼だって萎縮してしまう。
「あの菓子パンを売っている店のことっす!」
「それがわかったら、どうする気だ?」
「弟子入りするっす!あんなすごい菓子パンを作れる職人に!」
「あ…」
『猫のおやつ』で確認したことだけど、このトゥシタには、『嗜好品』の類は不足している。
文明の発達具合の割には合わないような気がしなくもないが、それだけ質素な文化なのか、でなければここまで来る途中でよそ見する暇はなかったのか…最近ここに来た部外者のセレステとしては知るよしもない話であった。
それは甘味…スイーツの方も同然で、パンは食事のためのもので、お菓子の類はほとんど存在しないに等しかった。あのビアラ夫人でさえ、ロールケーキひとつで感心していたのが、その何よりの証拠だろう。
「悪いが、それは出来ない相談だ」
「なぜっすか!?」
抗議するかのように、ガーネサが少し声を荒らげた。
セレステの後に侍立しているラインバルトがさっきから怒りを込めて睨みつけているのに、怖いもの無しというのか。
実際、「詳しい話を聞いてみたいから、多少の無礼は目を瞑ってやれ」というセレステの指示さえなかったら、すでにその無礼な態度を叱るか、咎めに介入したに違いない。
「それはな、この世界にない店のものだからだ」
「え?」
「……ガルカンくん、君も君だ。
これは異世界のものだと、君から一言言ってやっていたらこんなことにはなっていないだろう?」
「面目ございません……」
叱られたガルカンとしては弁解も余地もなく、いつもに増してしょんぼりとなって両耳は後ろにいっぱい倒れてしまい、ヒゲも垂れて、つぶらな瞳は今にも泣き出さんばかりにうるうる……
『くっそおおおおおお!可愛すぎる!!!!』
断言しよう。
猫派の人にとって、目の前にこんなしょんぼりした顔の超大型猫が縮こまっていたら、モフ…ゲフンゲフン、多少の過ちぐらいは許さずにはいられないと。
「あ…兄は悪くないっす!
オレが、説明する暇も与えず飛び出していたから…
お貴族様のお屋敷でお騒がせして、すいませんっした!」
「ほう?」
あんなに怖いものなしに息巻いていたのに、自分のやらかしたことが、兄に飛び火すると思ったらすぐ謝りに出る。気が短く、荒いところがあって、口は悪くても、基本的に兄思いの根のいい子のようだ、とセレステは思った。
「まあ、わかればよろしい」
「お館様、あれでは謝罪になりません」
さっきから無礼者を殺気立てた視線で睨みつけていたラインバルトが、それで許してしまいそうなセレステを見て割って入った。
使用人の取締役でもある彼としては、使用人風情が雇い主の屋敷で騒ぎ立てるなどあり得ないことだと思っているはずだろうけど、その雇い主の本人であるセレステはと言うとー
「なぁに、それぐらいにしておけよ。
別に悪いことをした訳でもないし、よくある兄妹喧嘩だろうが。
ガルカン以外のこの屋敷のものとやりあっていたら、それは確かにいただけないだろうけどね」
「…わかりました」
納得はしていないようだが、主君にして雇い主のセレステがそう言うなら従う、と言うかのように、ラインバルトは従順に下がった。
「あの…レギス…様?」
「レギス・セレステだ。レギスと呼ぶか、セレステと呼ぶか、君の好きにしなさい」
「はい…
セレステ様、その…、その異世界にはー
どうすればいけるんすか?」
「うん?さっきの弟子入りの話か?」
「はい!」
「いや、さっきも言ったがね、出来ない相談だよ。
ちょっと行ってくるだけなら、私が連れていってあげられるけどねー
パン職人に弟子入りなど、できないよ」
「な、なぜ…」
「あそこはな、アンテロのいない、私のような人間ばかりの世界だよ。
私の家にだけ留まるならいいけど、外には出られない。
ラインバルトも、叔父に聞いただろう?」
「はい。確かメンゲン卿も、お館様の向こうの屋敷から出られなかったと」
行けないことはない、と言う話を聞いて、ガーネサがそこをなんとか、といいたそうな顔をしたが、セレステははっきりと言い捨てた。
「できないものはできない。
仮に君を向こうに連れていってもだ。
あちらでは珍獣扱いされて、捕獲されてあんなことこんなことされるオチしか待っていない。
私としても、家族同然に思っているガルカンくんの妹である君には、あんなことになってほしくない。
気の毒だが、諦めてくれ」
「でも」
ガーネサが何か言い出そうとした時、ガルカンが制止した。
「もうやめてよ、ガーネサ。
お館様は、お前のことを考えてああおっしゃっているんだよ。
いや、お前のことだけではない。ぼくのこともだよ。
今日お前が起こした騒ぎだけでも、クビになっておかしくない狼藉だ。
なのに、あんなに優しく説得してくださっている。
お前の意地を張っているところではないと言うことぐらい、わかっているんだろう?」
場の空気が、静まり返った。
その静寂を破ったのは、セレステの一声だった。
「おおおおお……
あのガルカンくんが、あんなに長い文章を噛まずに言えた!
ラインバルト、明日は太陽が西から昇ってくるのか?」
「何をおっしゃいますお館様。
プラバサは元々西から昇りますが?」
「…え、そうだったの?」
せっかくの格好いい場面を台無しにされたガルカンと、それを聞いて感動しかけていたガーネサは、ポカンとした顔でセレステを見ていた。
「まあ、ガルカンの言う通りだ。
ガーネサくん、君の気持ちはわかるけどね、地球には連れて行ってあげられない。
諦めなさい」
「…はい」
兄の説得でわかってくれたのか、ガーネサはすごく落ち込んでいるようには見えるけど、諦めると答えてはくれた。
「それで?働いていた店でクビになった…となると、これからどうする気かね?
兄に会いにきたのは、その相談か?」
セレステがこれからのことを聞くと、ガーネサが力なく答えた。
「次のパン屋を探してみようと思うっす…」
「そうか。
…落ち度は相手にあるとはいえ、店主を半殺しにしたパン職人を雇ってくれる店があれば、の話だろうけど」
「っ!」
ちょうど、その件でガルカンと二人で悩んでいたところだった。
それをセレステに見破られ、兄妹はぐうの音も出せなくなっていた。
「就職できなかったら、故郷に戻る気だった?」
「はい…」
「ふうむ…
ビアラ夫人、彼女の働いていたあのパン屋って…」
「結構名の知れたところです。
あそこで働いていたのなら、腕は確かなんでしょうね。
でも、新店主があんな破廉恥なことをする者だったとは…」
「まあ、お手柔らかに」
「ええ、嫁に注意させておくだけにします」
二人が何を言っているのか、ガルカン兄妹は全然理解できずにいたが、後ろにいたラインバルトは頭が痛そうな表情をしてセレステに話しかけた。
「お館様、それは寛大すぎます」
「まあ、いいじゃないの?うちで焼きたてのパンが食えるのって」
「…確かに」
まだポカンとしている兄妹に、セレステがニヤニヤしながら話しかけた。
「ガーネサくん…いや、嬢と呼ぶべきか?」
「お、お好きにどうぞ」
「じゃあ…ガーネサくん?
うちで働いてみない?」
「…え?」
思考が追いつかず、ガーネサの目が点になっている。
「聞いた通りだよ。
うちの専属パン職人になってみないか?
給料はこのラインバルトと相談することにしてー
頑張ってくれれば、賞与で地球のパティシエ、お菓子職人のレシピを与えよう」
「ま、マジすか!」
また身を乗り出していっているけど、今度はその目は喜びと、レシピへの欲望でメラメラ燃え上がっている。
「君に嘘をついて、私に得はないよ?」
「あざっす!やります!」
「…とりあえずは、その言い方をなんとかしないと…」
また頭痛そうな表情をそう呟くラインバルトに、セレステが言った。
「いいんじゃないの?オレっ子も希少価値のあるキャラだよ?」
「何をおっしゃいますやら…」
能天気な主君のせいで頭痛を感じているラインバルトの向こうで、ガルカン兄妹が抱きしめ合って(主にガルカンが)涙を流しながら喜んでいた。




