疫病神
「控え控え!勇者さまのお出ましだ!」
魔法頭はそう叫びながら、大臣の手を引いてセレステの前を早足で歩いていた。
実はセレステという未知の恐怖から逃げ出したいけど、大臣と多数の兵士が一緒にいたので、魔法頭としての責任を手放すこともできない。
今はただ、『勇者召喚、成功セリ』と報告して、それから身を退くことを考えるしかない。
その勇者の中身がとんでもないものであっても、彼にとっては今まで無数に行ってきた勇者召喚と『変わらない』召喚だったと、言い張れば済むことだから。
そして、この勇者は、その恐怖ゆえ――うまく言いくるめられれば、それだけ強力な戦力になってくれるだろう。
その暁には、大当たりくじを引いたと認められ、王から恩賞をいただけるかもしれない。
『それなのに、このブタは――』
勇者が大臣に向かって豚野郎と言ったとき、実に言い得て妙だと感じていた。
太らされ、肉になるしか能のないあの魔物――オークどもの蔑称、『ブタ』。
あれにこの無能をなぞらえた勇者の言葉は、実に痛快な皮肉ではないか。
この緊迫した瞬間にも、このブタは、状況が飲み込めず、あの勇者が目にも見えない技で飛ばしてしまった耳たぶを手で押さえ、痛い、痛いと鳴いているだけ。
その上、狼狽えて足取りもおぼつかず、歩くのを邪魔しているだけだった。
『汚職と金でその座についているだけのクズが!
少し綺麗な女が召喚されたら、悉く宮中の連中のおもちゃにしおって!
召喚実績の帳尻を合わせなければならない、こちらの身にもなってみろ!』
地下の召喚場から出てきて、謁見の間へと移動する途中、この一行の異様さに気づく数多の人々に遭遇していたが、そのたびに魔法頭が『勇者さまのお出まし』と言っていたので、少し怪訝そうな顔をしながらも、大体は気にせず離れていった。
一方、その後をゆっくりと追っているセレステは、このフーマニタの王宮の風景を観察していた。
フェリデリアやケイレスの王宮や街並み、技術力などが、ざっと地球の十九世紀のヨーロッパを思い出させるところがあれば、ここはなぜかその前の時代、十八世紀ぐらいのような気がした。
でも、セレステは西洋史の専門家でもなければ、ここは地球でもない。
大体そんな感じ、というところに過ぎないし、実際のところ違うところも多い。
何より、ここには魔術とか、地球では実在しない技術が存在するから、同じ尺度で文明のレベルを言えない。
『でも…衛生管理って、どうなっているんだこいつら。
ベ○バラの舞台の、あの花の都の宮殿だって
実際は小便の匂いがこびり付いていたとか言われているけど…
地上に上がったと言うのに、この腐った雑巾のような悪臭は何だよ…
少なくとも、ここ王宮だろう?あり得る?』
よほどのことがない限り、他人の体臭なんか気にしなくてもいい、現代日本人の天城大輝。
汗をかかない上に、丁寧に毛の手入れをするアンテロの貴族社会なので、体臭のことは別に気にしていなかったオオテル・セレステ。
そんな彼にとって、フーマニタのワキガや、環境臭は、実にたまったもんじゃなかった。
『マイロード?オゾンパーティー、もう一回やりましょうね!』
上空に待機させておいたラガネマパイサから、どこからどう伝わっているのか、まるで『ファ○リーズ吹きません?』と言わんばかりのノリで、殺伐とした提案が入ってきた。
『そうしたいのは山々だけどな…
うん?待て、お前これ、テレパシーか?』
『みたいなのです。
今、ダルカルヌピカの通訳機能を経由して、マイロードの大脳に直接』
『うわっ、キモっ。
…でも、仕方ないか。
こんな状況では、確かに便利だし。
タルタルソースサラ?アンテナ役、よろしく』
『………』
何か、言いたいことがあるようだったが、ダルカルヌピカは何も言わなかった。
『で、ファ○リーズ大作戦…うん、良さそうだけどね。
一応は様子見だ。そのまま待機』
『はーい』
あれこれしているうちに、二人のフーマニタとセレステは、謁見の間の前にたどり着いた。
巨大で荘重な木製の扉に、華麗な浮き彫りがされているのはどこの王宮だって同じなんだろうけど、その浮き彫りに塗られた金箔が、セレステとしてはちょっと派手すぎる気がした。
まあ、あくまでも好みの領域の問題だろうけど。
「大臣」
「あ、あ?」
魔法頭に手を引かれここまで歩いてくる途中、太った大臣は半ば正気を失ったままで、引かれるまま歩いてきて、魔法頭の呼びかけによってやっと正気を取り戻したようだった。
「そろそろ目を覚ましてください。
謁見の間です。召喚の儀に成功したと陛下に報告しなければ」
「召喚に成功…
あ、あれがか!?
あれは、勇者なんかじゃ――」
「人の前であれ呼ばわりとは、いい度胸だな。
でなければ、左の耳たぶが重くて、頭のバランスが取れないのか?
それでまともに思考できないならな…
いつでも言えよ。ちゃんとバランスを取ってやる」
「ひいっ!」
扉の両側に待機していた侍従たちが胡乱げな目で見ているのもお構いなしに、大臣は両耳を両手で庇い、そのままうずくまってしまった。
頭を横に振りながら侍従たちに何か話しかける魔法頭を眺めながら、セレステはふと、疑問を思い出した。
『私って、こんな性格だったかな?』
いくら敵対勢力とはいえ、相手だって知的生命体だ。
しかも、人間に似ている種族だ。
なのに、耳たぶをレーザーで切り落としておいて、こんな残酷な脅かしまでスラスラといえるなど、普段の自分から想像もできないようなことだった。
『いや、もう乗り出したんだ。
ここまで来て
「あ、すみませんでした。やり過ぎでした」
で済ませることでもないしな。
あそこのあの…鉄の匂い…
召喚と称して、ほぼ屠畜のようなことをしていた連中だ。
同胞意識なんかなくても……
私と同じ地球人が、あんなことをされたんだ。
情けなどかけたら、こちらがやられる。
腹を括るしかない』
直前に召喚された女子学生や、その前に召喚されていた女性たちがどんな仕打ちをされたかを知ったら、多分この王宮は血祭りに挙げられていたんだろう。
そんなことを考えているうちに、謁見の許しが降りたのか、二人の侍従が扉を開けた。
「うっ…」
その室内から立ち上がるのは、暴力とまでいえる香水の匂い。
いや、ただの香水ならまだいい。
いろんな種類の香水が、見境もなく混ざり合っているそれは、むしろ悪臭に近い。
統一性もなければ、趣向というものも感じられない。
ただ雑で、混乱している。
その香水の暴力に、人間の悪臭まで混ざって漂ってくる。
『…やっちゃおうか、ファ○リーズ大作戦…』
いや、まだだ。
一体どんな連中があんなことをしているのか。
とにかくそれを、確かめなければ。
そのためにここまで来たのだ。
その雑な、臭いの暴力が渦巻く謁見室に、大臣と魔法頭の後を追って、セレステはゆっくりと、玉座へと進んだ。
そこには、がっしりとした体躯の、栗色の髪をした、髭面の中年の白人男性が鎮座していた。
どちらかというと武闘派のような印象だが、多分あれがこの国の国王だろう。
『ラシオンもだったけど、この世界って、武力で王を擁立する伝統でもあるのか?
あ、いや…
双子の女王のこともあるんだ。そうではないんだろう。
フェリデリアだって、ダーちゃんのやつがラシオンより強そうだし』
気圧されていないことを示すように、わざとブーツの足音を鳴らしながら、ズカズカと王の正面に進む。
そして、王の前に跪く二人の後ろに立って――
真っ直ぐ王の目を見ながら、腕を組んだ。
「無礼者!」
「卑しい異世界人のくせに!跪かんか!」
− ビュッ
玉座の近くに立っていた、多分王の側近と見える二人の男性貴族が、セレステの無礼を怒鳴ったが、セレステは彼らの頭頂部の髪を一瞬で焼き払うことで答えた。
「うわあああ!」
「きゃあああ!」
室内の貴族たちが悲鳴をあげ、騒ぎ出した。
セレステは、その中でも目に見えて取り乱している男性貴族を何人か、また河童にしてやった。
流石に女性の髪にまで手を出すような鬼畜ではない。
『ダルカルヌピカ、できるだけ高圧的な声、お願い!』
『はい』
役者も揃ったわけで、前座もうまくいった。
「騒がしい。
貴様ら、誰の許しを得て、口を開くか?」
ダルカルヌピカが頑張ってくれたおかげで、それはセレステが聞いてもど肝を抜かれるような、低く、重く、冷たい声だった。
「ゆ、許し…?」
「よくも、王の御前で!」
「王?
そこのくたびれた『玉座』に、
恐怖で身動きも取れずへばりついている――
あの醜い肉ダルマのことか?
あんなのを王として戴いているようでは……
その程、知れたものよ」
それを聞いた王の濃い眉が、ビクッと蠢く。
強健そうな肩が、痙攣する。
握りしめた玉座の手すりが、めりめりと音を立てる。
だからといって、ただちに立ち上がって怒鳴り返すこともできない。
座ったままでは怯えているように見える。
立ち上がって怒鳴り返せば、それはそれで虚勢にしか見えない。
どれにしたって、セレステに恐怖を感じているという証明にしかならない。
だからといって、このまま黙ってはいられない。
「此度の勇者殿は、随分勇ましいようだな。
しかし、礼儀作法がなっていないようだ。
これはどういうことだ、大臣。
面をあげ、答えてみよ」
「は、ははあ!
そ、それが…小臣にも……」
その大臣の異変に、王も気づいた。
「だ、大臣?
そなた、その耳は……?」
その答えは、思わぬ方角から戻ってきた。
「ああ、それか?
しつけがなっていない豚が、ブヒブヒうるさくてな。
少し調教してやったまでだ。
感謝してほしいな?」
「な……」
その太々しさというか、図々しさには、言葉が出ない。
いくら勇者とはいえ、一人で一国の王の御前に乗り込んで、この狼藉。
しかし、考えようによっては、これは大当たりかも知れない。
あの得体を知れない力と、この度胸。
もし、うまく言いくるめて、隷属さえできれば……
「魔法頭」
「はは」
「……勇者殿のステータスは?」
答えが、聞こえない。
「魔法頭?」
「も…
申し訳ございませぬ!
勇者さまのステータスは、確認できませんでした!」
− ざわ
室内が、騒然となる。
「それは、どういうことだ?
鑑定の鏡は?」
また、答えが聞こえない。
「鑑定の鏡は!?」
「わ………」
「わ?」
「割れてしまいました!」
「な……」
先ほどとは比べ物にならないぐらい、室内が騒然となった。
鑑定の鏡。
それは対魔族戦争の先鋒として、聖国から譲り受けたアーティファクト。
至宝とまで騒ぐようなものではないが、国家予算に響く程度には高価な代物ではある。
それが…割れた?
「ああ、さっきのくすんだレンズのことか?
その輩があんな汚いものを、よくも余に向けたので――
懲らしめようと、割ってやった。
それが、何か?」
これは、大当たりなんかではない。
貧乏くじどころか、とんだ疫病神だ。
アランタの王は、そんな不吉な予感に震え上がった。




