15 コスモナイト(8) ※この回は性的表現が含まれます。
ずいぶんと、イリノアは臆病だ。
変化を恐れている。
変化の先に、絶望が待っていたことがあったのだろう。それも一度や二度ではないはずだ。過去が足かせとなり、いまだにイリノアの心を縛っている。
だけど。
正直に言うと、私は人の過去を気にするだけの余裕なんてない。自分のことで精一杯なのだ。
(私にだって過去がある。今だっていろいろなものに縛られている。不幸自慢するなら、私は負ける気しないのよ)
でも、私は前を向いている。
立ち止まりたくはない。
早く、自由になりたいから。
人の過去を気にかけてあげる余裕なんてないのだ。
イリノアは私にとって必ず役に立つ存在となる。その確信だけで、十分だった。
「期待するのはあなたの勝手。私には関係ない」
「お前が来なければ、何も変わらないんだよ!ここで何とかやってきた、これからも同じさ。期待して絶望して、死ぬなんて結果だけは避けられるっ」
「それでどうなるの?今まで通りにここで生きていくなら、これから先もずっと、言われるままに足開いて、触らせて、気持ち悪くても感じているふりするの。そうやって体を売って、お金はすべて店に吸い取られて。どんなに頑張っての借金は減らない。増える一方よ。未来なんてどこにもない。あるのは絶望だけ。だったら」
私は声に力を込めた。
勝手な言い分よ。
私は自分のためにあなたたちをたきつけている。
だから。
「どうせ絶望の中にいるなら、今までと違うことをしてみたっていいじゃない。夢を一つ見るくらいじゃ何も変わらないなら、見ればいいじゃない」
「叶わない夢は見ない方がいいんだよ。お嬢ちゃんのように恵まれた立場にいると分からないかもしれないけどね、私たちみたいなのは、夢を見ることが命取りになるんだよ」
私の顔から、笑みが消えた。
「私は・・・恵まれてる?」
「十分恵まれてるだろ。綺麗な服を着て、好きに金が使えて」
何も感じない無の「世界」に立つ私は、絶望すら感じられないのに。
「男を従えて、こんなところで夢を語れるんだから」
私の体ではない「ミリア」では、死ぬことすらできないのに。
「絶望なんて、感じたこともないだろう」
何も感じられない恐怖を、あなたは感じたことがないでしょう。
「お嬢ちゃんのお遊びに付き合ってられるほど、私たちは暇じゃないんだよ」
笑いがこみあげてくる。
くっくっ、と笑い出す私を、イリノアは怪訝そうに見た。
「私の目には、あなたの方が恵まれているように見えるわよ」
だってあなたは、飲み水も食べる食事も、腐っていないじゃない。
毎日鞭で打たれで、背中をたわしで擦られることもないじゃない。
五感全てが正常に機能しているじゃない。
言いかけた言葉を、飲みこんだ。
ああ、マロウが傷ついたような表情を浮かべている。
私なんかよりずっと、私のことを気にしてくれるから。
(これ以上は、ここで掘り下げない方がいいわね)
「もう、コスモナイトのオーナーは私よ。あなたが私の仕事を引き受けてくれないのなら、他を探すわ。どんな人が来るか分からないけどね」
「今度は、脅しかい」
「あなたが何のために言っているのか、理解できるわ。彼女たちにも、分かってるみたいだし」
少し離れた場所から私たちを見るだけの女たち。みな、イリノアに信頼を置き、イリノアの決定を待っているようだった。
「あなたはここを離れられない。彼女たちを残してここから一人で逃げるなんてできないんでしょう。なら、別の誰かに役目を奪われるより、あなたがやった方が彼女たちも喜ぶんじゃない?」
きっと、平凡な日常を選ぶチャンスは、あったはずだ。それなのにこの場末の娼館に居残り続けているイリノアは、きっと、死ぬまでここにいるのだろう。これ以上の最悪を防ぐために、女たちを見守り続けるのだろう。
私は、そんなイリノアの優しさにつけ込むのだ。
「一体何をさせようっていうんだい」
「焦らないで。まずはすべての権利書と借用書の回収よ。一枚残らずにね。それと引き換えにオルドが50万テールを支払うわ。それで、ここは私のものになる。イリノアにはその取引を手伝ってほしいの。あと、コスモナイトの建物を修繕しなきゃね。みんなのベッドを新しくしなきゃ」
「本当にやるのかい」
「もちろん!約束したからね」
私が笑うと、イリノアはあきれたように言う。
「ベッドがいくつ必要なのか知ってるのかい」
「知らないけど、大丈夫よ。今はお金があるから」
オルドの抱える布袋を指さして、言った。
「しばらくお店はお休みしましょう。ベッドが届くまでに店の中をきれいに掃除して、肌のお手入れもさぼっちゃだめよ」
そういうと、少しだけ、娼婦の女たちの雰囲気が弾んだ。
「新装開店までにやることはたくさんあるの。休めるなんて思わないでね」
私の言葉に、イリノアはまだ警戒をしている。
だけど、何も言わなかった。私の依頼をやらないとは、言わなかった。
だからきっと、彼女は私の望む結果を出してれるだろう。
そのために私がすべきことは、彼女たちにまた絶望を与えないように、このコスモナイトの環境を変えていくことだ。
それに必要なお金を惜しんではいけない。
この場を任せようとしているオルドは、何やら思いつめた表情で、奮起していた。
彼の中にも、きっかけと、変化が起こっている。
オルドとは、近いうちに話し合いが必要となるだろう。
人というパーツが、少しずつ、増えていく。
思い描く「先」が、少しずつ形になり、広がっていくのだと、感じ取れる。
焦らず、確実に。
後のことをオルドに任せて、私とマロウは店を出た。




