14 カラス婦人(6)
サロンから離れるように、夜の人気のない道を歩き続ける。
心臓はバクバクと音を立てて波打っている。
後ろを振り返るのが怖い。誰かが追ってきているだろうか。どこへ向かえばいいのかわからずに、ただひたすらサロンから離れるように歩き続けた。
「ミリアっ」
腕をつかまれて、立ち止まる。
自分の呼吸が乱れていることにようやく気が付いた。
「ミリア」
マロウの声。焦った感じはないから、トラブルにはなっていないはずだ。
振り返ると、渋面なマロウの顔が私を見下ろしていた。
「もう、大丈夫だ」
その言葉で、ようやく、終わった実感が沸いた。
(まだ終わりじゃない。オルドが戻ってくるまで、
「追ってもないから、あいつがうまくやっているんだろう」
「・・・そうね」
あとは結果を待つだけだ。
この「世界」に来てから、待つことが増えた。
今までのように、自分で計画して、自分で動いて、成功も失敗も自分の責任だった。先頭に立って動くことで、待つよりも自分が向かうことで、時間も労力も余裕のない日々の中で、ただ必死に目標を目指すことが出来ていた。
今は、自分が動けないから、動いてもらうしかない。状況が分からずに、待つしかない。
待つことがこんなにも疲れるなんて、知らなかった。怖いなんて、思ってもいなかった。
自分の命運を託すことが怖い。巻き込んでしまった結果を目の当たりにすることが怖い。
「・・・怖かった」
今も、怖くて仕方がない。
足が、手が震えている。
「その割には、ずいぶん楽しそうに挑発していたな」
「・・・必死だったの」
マロウがため息をつく。
マロウの手が、私の頭にのせられた。
「あんま、無理するな」
マロウの声が、なぜか、心を落ち着かせてくれる。
不思議な安心感だった。
似たような感覚を、知っている気がした。
(あれはいつだったか・・・)
ただひたすらに、一心不乱に仕事をしていた時だ。
私は心に一ミリの余裕もなくて、普段なら受け流している母親の小言が、ひどく耳障りで、声を荒げて反論したことがあった。
(・・・そうだ、先輩が飛ばされて、少し後だった)
私も母も感情的になって言い争っていた。
お互い、日々のうっ憤を吐き出しているようだった。
これ以上は言ってはいけない、頭の中に警告音が鳴っていた。
でも、言葉を止めることが出来なかった。
そんな時。
普段は見て見ぬふりしている父が、珍しく、間に割って入ってきた。
「やめろっ」
短く、厳しい口調で言ったのだ 。
どちらを責めるでもなく、私と母を叱るように。
母は父に何かを言い始め、父は何も言わずに母の怒鳴り声を聞いていた。
私は自分の生まれた家なのに、居場所がなくて、そっと、出ていこうとした。
靴を履いていた私の背後に、いつの間にか父が立っていた。
「・・・何」
叱られる、苦言を言われる、そんな予感がして身構えた私に、父は、
「あまり無理するな」
ぼそりと、そう言った。
何に対してのことだったのかは、今も分からない。
仕事のことも、職場での出来事も、何も話していないのに。その辺りも含めて含めての父なりの気遣いだったのかもしれない。あとになって、そう思えるようになった。
あの時は、一言も返すことが出来ずに、私は逃げるように家を出た。
あの時に感じた、胸に生ぬるくて、少しだけ泣きたくなるような安心感が、似ている。
(・・・父親みたい。マロウは私よりも年下なのに・・・変だ)
言葉にはできない気恥ずかしさと感謝を、どうやったら伝えられるだろうか。
私はただ、黙って、頷くしかできなかった。




