14 カラス婦人(5)
レオルド・オブリス・サロンに入った瞬間から、サロンのスタッフの視線をいくつも感じた。ルーレットの台にマロウが座り、その後ろに私が立つ。その周りに立つスタッフたちは、私たちの退路を塞ぐように配置されていた。前回の仕事ぶりから、すでにブラックリストに載っているようだ。
(これも想定内だけどね)
私とマロウは動じないが、物々しさにオルドが落ち着かない様子を見せる。
「仕事中よ」
私がささやくと、オルドははっとして、咳払いをした。内心は挙動不審だが表情だけは平静を保っている。
「上出来」
私の言葉に、オルドが鼻を鳴らした。
今日は短期決戦だ。
時間をかけずに、嵐のように。周囲が圧倒されているうちにとんずらするのだ。
最初の賭け金は100テール。
高倍率のピンポイントを的中させる。勝ち取った金額のすべてをまた賭ける。それを三回繰り返せば、計算上は目標額に到達する。
的中を目の当たりにしてオルドは興奮したが、三回連続で的中させると、黙り込んでしまった。額に汗が浮き上がっている。
「あなたの番よ」
耳打ちすると、ごくりと唾を飲み込んだようだ。
今日、全額を回収できないという意味をようやく理解したようだ。
オルドは胸に手を添えた。私の渡した封筒を確かめたようだ。
その封筒が、オルドの命綱になる。ここを生きて出るためには、使い方を間違えてはいけないのだ。
「あとは、よろしくね」
私は扇子を閉じると、オルドに渡した。
オルドは私を見て、受け取った扇子を握りしめた。
マロウを見ると、マロウはすでに出口に意識を向け、行路を計算しているようだった。
(大丈夫。マロウについていけば大丈夫)
私は動じる様子を隠し、マロウの腕に手をまわした。マロウにエスコートされる女性を演じるために。
「もうお帰りですか」
背後から声がかかった。
(だめ。急いで振り返ったらだめよ。もったい付けて、ゆっくりと)
私はゆっくりと、心の中で5つ数えた。次の5つでゆっくりと振り返る。
体の機能がマヒしているおかげで、体温が上昇しようと下がろうと、私は汗をかけない。だから、見た目見た目は平然としているように見えるだろう。
さすがというべきか、マロウは焦った様子は全くなく、飄々としている。
私は無言で、越えの主を見た。
上質な生地で作られた服をまとった壮年の男だ。もともと細めなのか、瞳孔が見えず、口元に浮かべた笑みはどこかインチキ臭い。感情を読み取りずらい男だった。
「私、当サロンの支配人を務めております、キクロスと申します。お見知りおきを」
貴族風にお辞儀をして、キクロスがにんまりと笑んだ。
だがこの男は、貴族ではない。サロンのオーナーは貴族だが、キクロスは盗みを繰り返し、詐欺を働いてい働いていた子悪党だ。巧みな話術と狡賢い思考が気に入られて、このサロンの管理を任されているだけに過ぎない。
「今宵一番の幸運を手にしたお客様を、貴賓室へお招きしたくお声をかけさせていただきました。いかがでしょう、まだ夜は終わりませんよ。ぜひ楽しまれていってください」
伺いを立てるような言葉をいいながら、強制するような空気を醸し出す。周囲にはサロンのスタッフが取り囲み、じりじりと包囲を狭めてきていた。
貴賓室へ入ってはだめだ、と分かっている。さらに高レートでの賭けができる特別質だが、その分負ければ一夜にして全ての私財を失うほどにリスクは高くなる。そして、絶対に勝たせてはもらえない悪魔の部屋だ。
(まあ、私は負けないけど。かといって、勝ったら勝ったで、命をねらわれそうだし)
そんな危ない橋を渡る度胸はない。平然としているように見せても、私は庶民なのだ。今日稼いだお金だって、本当は震えがくるほどに怖くて仕方がないのだ。
「今日はおしまいにするわ」
そっけなく私は言った。
「この後の手続きはそこの男にまかせてあるから、よろしくね」
私はオルドを指さして言う。
「そうおっしゃらずに、ぜひご招待をお受けください。珍しいワインもご用意しておりますので」
声が上ずっている。
このまま私たちを返したら、キクロスはきっと、サロンのオーナーに粛清されるのだろう。自分の数時間後を予想すれば、焦るのも当然だ。
(それに私が付き合うわけないじゃない)
こっちも、焦っているのだ。早くここを出ないと、痛手を負うのが私たちになってしまう。
「おしまいよ」
「このままお帰り頂くわけにもいかないのですよ」
キクロスの言葉に、私は声を立てて笑った。よくドラマで見るお嬢様の高笑いをまねてみたけど、うまくできているかは微妙なところだ。
「終わりかどうか、決めるのは私よ」
私はキクロスに近づき、その顔を見上げた。
キクロスからは、仮面をかぶった私の眼だけが見えただろう。
「私の夜も、あなたの明日も、終わりにするかどうかは私が決めるの」
「・・・何を言ってらっしゃるのか」
「ここの支配人でいることは、楽しい?」
私の質問に、キクロスは警戒を強めていく。質問の意図が分からないのだろう。
「ここはあなたにとって大切な場所?」
「いったい、何を言いたいんだ」
うわべだけの真摯な態度も忘れてしまったように、キクロスの口調が変わった。
「あなたはあれと話をするべきよ。私を引き留めることは、得策ではないわ」
オルドに視線が集まる。
オルドはへらへらと笑っていた。
(覚悟が決まったみたいね)
いい仕上がりだ。
私は踵を返し、歩き出す。後ろからマロウが付いてくるのを感じながら、周囲にも、オルドにも目を向けず、ゆっくりと、速度を変えず、出口へと向かった。
キクロスは迷っているだろう。私をこのまま返せば、きっとサロンのオーナーの怒りに触れることになる。だが、私の言葉にも何かしらの意味を感じている。どちらが有益か、判断できずに焦っているはずだ。
その焦りが、隙になる。
オルドがうまくやってくれることを願って、私はサロンを出ていった。




