11 アスラ山(4)
ここにきて、ようやくマロウが話に割り込んできた。
「お前は馬鹿か」
あきれたように言う。
「この前稼いだ全部だろう、それ。預けるにしたって、必要な分だけでいいだろう。あとは自分で持ってろ」
「それじゃ駄目よ」
「何が駄目なんだ、そんな大金を簡単に手放すなんて、気がふれたとしか思えん」
「簡単じゃないっ」
私は思わず声を荒げてしまった。
マロウは驚いたように私を見る。
「簡単なんかじゃない。これは私が今持っている全てよ。このチャンスを逃したら、私はきっとここから逃げられない。ここで死ぬまでゴミのように扱われて終わるのよ。何もしなくても、きっと長くは生きられない」
「・・・ミリア」
「だって私の体は、もう、死んでるも同然でしょ」
乾いた笑いが私の口から洩れる。
マロウの表情がゆがんだ。なんだか私がマロウをいじめているみたいだ。
「でも、私は死にたくない」
そう、私は死にたくなかった。
あの日、私は自分の部屋でどうなったのだろう。
そのことがずっと頭から離れない。深く考えると怖くて、いつも考えないようにしていた。
だけど、どうしても考えてしまう。
一人暮らしの私の部屋で、私を見つけてくれる人はいるだろうか、とか。
二個ほど、まだ届いていない通販の品は、いつ届くだろうか、とか。
次の日の会議はどうなっただろうか、とか。私がいなくても普通に進んだだろうか、私は会社に必要とされていたのだろうか、だれかが、私を探しに来てくれるだろうか、とか。
答えを出すのが怖いから、いつもそこで、思考を中断させる。
一つだけ、確証に近いことがある。
きっと「ミリア」は死んだのだ。
あの声を私に向けた後、どこからもいなくなってしまった。
そして私は、2度死ぬのだろうか。
(そもそも、今の私は生きてるって言えるの?)
足元から這い上がってくる恐怖に、叫びたくなる。
「ミリア!」
肩を掴まれて、我に返った。
指先の震えが止まらない。
「・・・死にたくない」
なんとか声になった言葉、それが今の私の全てだ。
「分かりました」
静かに、ゼトアが言った。
「100テールほどお預かり致しましょう」
「いいえ、全てをゼトアに預けるわ」
「しかし」
「ゼトアが持っていてくれるのが一番安全なの。私の部屋に置いておけば、また盗まれるだろうから」
公爵家のお金はどうでもいい。でも、自分で稼いだお金を盗られるのは許容できない。
「ちゃんと理由があるのよ」
私の言葉にゼトアは神妙な面持ちで頷いた。
「分かりました。確かにお預かり致します」
恭しく両手で布袋を持ち上げる。
「よろしくね」
「はい」
「ボーゼ男爵と連絡を取るにはどうしたらいいかな」
「そこは私めにお任せください」
「分かった。何か知っておくことはある?」
「先ほど指示はいただきましたので、問題はないかと」ゼトアが言葉を途切れさせ、考える仕草を見せた。
「一つご提案があります」
「何?」
「今回の交渉ですが、マロウにやらせてもよろしいでしょうか」
「はあ!?」
突然の提案に、マロウの頓狂な声が上がった。
「なんで俺がっ」
「私はヴィスコス公爵家の執事という顔がある。どこかしかで関係者と接触する可能性もある。手続きの際に身元が割れる危険もある。私の行動とヴィスコス公爵家を繋ぐわけにはいかない。幸い、お前は調理人としても下っ端だから、身元が割れたとしても単独行動と思われるだろう」
「確かに・・・まあ、俺が公爵家の使いなんかをやるとは思われないだろうが」
「今回のことがお嬢様と関係があると知れるわけにはいきません。お金は余分にかかりますが、まずマロウの名義でアスラ山を買い、別の名義を一人挟んでからお嬢様の名義に書き換えましょう」
「そこまでするのか」
「お嬢様の存在は、できるだけ表に出さない方がいいでしょう」
私を見てゼトアが言った。
私が頷くと、ゼトアはマロウに「分かったな」と念押しするように言った。
「あー、分かった!やればいいんだろうっ」
マロウは心底嫌そうに、だが引き受けてくれた。
巻き込んでしまったことが申し訳ないと思う。そんな気持ちが漏れていたのか、「やるからにはちゃんとやってやる」とマロウが言った。
「これでも私の息子ですから、危機回避能力と度胸だけは一般的水準よりも高いです。御心配には及びません」
ゼトアが言った。
マロウはゼトアの息子だ、必要な処世術はゼトアに仕込まれているのだろう。だから、マロウが交渉役になることに不安はない。ただ、
(面倒ごとが嫌いそうなマロウに、押し付ける形になったのが申し訳ないな)
本当にマロウに頼んでいいのか、迷いが残る。そんな私の心情を感じ取ったマロウが、ため息とともに私の名前を呼んだ。
「うまくやってやるから心配するな」
「・・・ごめんなさい」
「謝るより言うことがあるだろう」
「・・・任せていい?」
「おうっ」
マロウの返事に、ようやく、ほっとした。
そのアスラ山の買い付け交渉が、今日、行われているのだ。
マロウは一日休みを取り、朝から出かけている。
「身なりを整えないといけませんから。相手は落ちぶれていても貴族、それなりの服装をしないと相手にされないでしょう」
ゼトアの言葉に納得した。
服装の準備に残りの金貨を使ってくれと言ったが、ゼトアに断られてしまった。「いかようにもできますので」と。裏の裏まで知り尽くしているであろうゼトアに、任せるのが一番だと思い、それ以上は言わなかった。
昼時を過ぎ、まだ帰ってきていないマロウに、気持ちが焦れる。
(どうせ夜にならないと状況を聞けないのに、・・・落ち着かない)
普段ならしないのに、私は書庫に行くでもなく宮殿内を徘徊していた。
(あっ、やばい)
視界がぐらりと歪み、足がもつれた。
誰もいない廊下で、私はうずくまる。
立ち眩みだ。体力も栄養も足りていない「ミリア」の体が、宮殿内を歩き回ったことで限界に達したようだ。
一日の中で自室と書庫、厨房を往復するだけの体では、屋内をただ歩くだけでもこのありさまだ。
(一時間も歩いてないのに)
情けないが、仕方ない。
しばらく休憩してから部屋に戻ろうか。
私は廊下の壁に背中を預けるようにして座り込んだ。
私の部屋とは違い、ほこり一つ見当たらない廊下は、人の手が行き届いた清潔な空間だ。
私は傾いていく体から力を抜いた。そのまま身を任せるように目を閉じる。
少しだけ、休もうか。
誰かに呼ばれた気がしたけど、目を開ける気もなかった。
ちょっと静かにして。
そのまま私の意識は、沈んでいった。




