08 露わになる傷跡(6)
背中に二人の視線が集中するのを感じた。
私の背中に刻み込まれた傷跡が、何によってできたのかも、きっと想像できているだろう。
その傷は、腰から足のふくらはぎまで続いている。
長い間絶えず刻み込まれた傷跡は、一生消えることはない。
ガシャンッと、割れ落ちる音がした。
振り返ると、床に割れた食器や調理器具が散乱していた。
マロウが手近にあったものを腕で払い落としたのだ。
「くそっ」
マロウが怒りのこもった声で唸る。
ゼトアが私の前に立ち、私の肌に触れないように、脱いだ寝巻を肩まで引き戻した。
「もう、十分です」
そう言って、ボタンも丁寧にとめてくれた。
「愚息はまだ未熟なもので、騒がしくて申し訳ありません」
ゼトアが苦笑する。だが、目は笑っていなかった。
私は視線をそらす。
何を言われても、居心地が悪いだけだ。
そんな私の心情をゼトアは察してくれる。
「さて」と言い、一歩、下がった。
「気を取り直して、コーヒーを淹れていただけないでしょうか」
「えっ」
「あの香りを実際に味わう機会を失うことは、私にとっての多大な損失です」
ゼトアは人のよさそうな笑みを浮かべた。
お湯を沸かしなおす。
ゼトアが鍋の持ち手に布を巻き付けてくれた。
必要ないのにというと、困ったように苦笑された。
丁寧に、集中して、コーヒーの粉にお湯を注いでいく。
その作業を、ゼトアがじっと見つめてくる。
マロウは、離れた場所から私の顔をじっと見つめていた。
手元が震えないように、そのことだけに神経を注ぎ、私は二人の視線を意識しないように意識した。
淹れたてのコーヒーをゼトアに渡すと、ゼトアは香りを十分に堪能し、ゆっくりとコーヒーを口に含んだ。
目を見開き、まじまじと、手者とのカップの中を凝視する。
その反応がマロウと同じで、おかしかった。
「信じられません、これが、あのコーヒーなのですか」
こうやって誰かを驚かせられるのは、楽しい。
私がうなずくと、ゼトアはもう一度「信じられない」とつぶやいた。
ゼトアがまっすぐ私を見つめて、
「世の中にはまだまだ知らないことがあるものですな。お嬢様のおかげで、このゼトア、死ぬ前にこうして知ることができ、感謝申し上げます」
うやうやしく、頭を下げた。
「そんなっ、こんなのべつに大したものじゃないし、私に頭なんて下げないでっ」
私はこの宮殿の中で誰よりも軽んじられている存在なのだから。
「何をおっしゃいます」
ゼトアは大げさに驚愕した様子を見せる。
「このコーヒー一杯だけでも、十分に、私がお嬢様に敬意を払う理由になりますよ。それほどに、お嬢様の淹れてくださったコーヒーは素晴らしいものでした」
コーヒーの香りと味を思い出すように、ゼトアは天井を見上げ、目を閉じ、深く息を吸い、吐き出す。
ゼトアのその所作は演技じみていた。
だけど、それでも嬉しくなった。
大げさな言葉の中に、少しでも、コーヒーを気に入ってくれた気持ちが見えたから。
「ミリア」ではない、私を、認められたような気がして、嬉しかった。
ピコンッ。
音が鳴る。
私にだけ聞こえる合図の音。
ゼトアの頭上に浮かぶグレーのプレートに青字の文が追記された。
『ミリアがヴィスコス公爵家を出る時、マロウと共にヴィスコス公爵家での職を辞す。そして、ミリアと行動を共にし、ミリアの専属執事として仕えることとなる』
驚いた。
ゼトアの訝しむ視線にも気づかないほど、私はゼトアのグレーのプレートを凝視した。
青字の文は、変化した未来。
私の行動で変わっていく、私の未来。
(ヴィスコス公爵家を出る・・・)
その部分にくぎ付けになった。
私はここから、抜け出すことができるということ?
この「世界」での未来に対して、初めて現実味を感じた。




