08 露わになる傷跡(1)
いつもの厨房、いつもの時間。いつもと違うのは、私が作る慌ただしい物音だ。
私は今、コーヒー豆をすりつぶすことに奮闘中だった。
この「世界」にはミルが存在しなかった。
検索機能で調べてみたが、何も情報が出てこなかったから、存在そのものが影も形もないのだろう。
どうやってコーヒー豆を粉にするか考えていたが、すりつぶす以外の方法が思いつかなかった。
昨日のマロウをまねして、借りたすり鉢でコーヒー豆を擦りつぶそうとしてみた。だが、うまくいかない。炒った豆は硬くて、潰すこともままならなかった。
「代わるか?」
マロウが聞いてきてくれたが、私は一度断った。私がマロウにコーヒーを淹れるからだ。最初から最後まで、自分の手で作りたかった。任せられない、というのが本音だ。
だけど、豆をすりつぶすことができず、時間ばかりがすぎていき、私は敗北を受け入れた。
昼間に負った火傷のせいで、力が思うように入らないのも原因だろう。
右手にまかれた包帯が、感覚を鈍らせて、しっかりとすり棒を握れない。もともと力もないこの体では、コーヒー豆にすらまけてしまう。
そういえば。
マロウはこの手の包帯について、何も聞いてこなかった。
厨房に来た時に、マロウの視線が私の右手に注がれたことは分かってる。でも、マロウは一言も、言わなかった。気にはしているだろうけど、聞かれたくない私の気持ちをくんでくれたようだった。
冷たく粗暴さを感じさせる態度とは反対の、優しさを持つ男だ。
もう一度代わるかと聞かれて、私はすり鉢をマロウに差し出したのだった。
マロウはあきれたように、笑った。
こうして笑みを見せてくれるようになり、マロウとの距離は確実に縮まっている気がする。
マロウは手際よく豆をすりつぶしていく。
「どれくらい潰せばいい?」と聞かれて、「粉になるくらい」と答えると、嫌そうな顔をされた。
徐々に豆は細かく砕かれ、さらに細かくすりつぶされていく。さすが調理人だ、手際がいい。それに、仕事が正確かつ丁寧だ。
コーヒーの豆が徐々に粉状になっていく。ふと、マロウは手を止めて、不思議そうにすり鉢の中を見つめた。
何か異変でもあったかと不安になった。
「これが、あのコーヒーなのか」
マロウがぼそりと呟いた。
私は、嬉しくなり、心が躍った。
コーヒー豆はしっかりと焙煎すれば、挽いたときに香が立つようになる。
コーヒーの香ばしく、深みのある香りは、飲む時を想像させて、五感をくすぐるのだ。
だから私は、豆を挽く瞬間がとても好きだった。徐々に香が深まるその変化に、心が満たされた。
今の私は、その香りを感じることはできないけど。
マロウの様子を見る限り、豆の焙煎は成功したようだった。
(驚くのはこれからよ)
私はほくそ笑む。
丁寧に粉になるまですりつぶされたコーヒーの粉を受け取って、私は次の準備に取り掛かる。
当然コーヒーを淹れる器具などない。簡単なドリップ式でしか淹れられないが、それでもこの「世界」では上出来だろう。器具や淹れ方にこだわるのは、これからゆっくり方法を考えればいい。
ソース用の小さなこし器は、片手用の持ち手がついている。その中に薄い綿の布を敷き、セットができた。
お湯を沸かしていると、マロウが私の後ろで腕を組み、何やらぼそぼそとつぶやきながら考えこんでいる。
「その潰した豆はどうするんだ?」
我慢できずに聞いてきたが、私は答えない。驚く顔が見たかったから。
口元が緩むのが隠せない。
綿の布を敷いたこし器の中にコーヒーの粉を入れると、マロウは目を丸くする。
「煮ないのか?」
「そう!コーヒーを煮るなんて、絶対だめよ」
私は沸騰したお湯の少量を粉に注いだ。それから心の中でゆっくりと20を数える。この蒸らす時間が重要なのだ。本来はタイマーできちんと30秒を図りたいのだが、今はそれができない。この「世界」で時計は嗜好品の一つだからだ。しかも、正確な秒針を刻むほど精巧な作りではないようだった。プレートの検索機能で調べて分かったことだ。
だから、誤差を考えて20のカウントに決めていた。
しっかりとコーヒーの粉とお湯がなじんだら、ゆっくりと、少量のお湯を注いでいく。お湯の糸が途切れないように、円を描くように。
綿の布はしっかりとフィルターの役割を果たしてくれている。
コップにたまっていく珈琲からは、きっと、コーヒーの香りが立ち上っていることだろう。
自分でそれを感じられないことが、とても残念だった。




