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07 ヴィスコス公爵家の当主(3)

「旦那様」

 また、別の声。

「お時間が」

 その言葉に、男がわずかにうなずく。

 立ち上がり、私を冷たい目で見降ろしてきた。

「ここは騎士たちが訓練場へ向かう道だ。邪魔になることがないように」

 どけと、言うことだろう。

 旦那様と呼ばれた男は、背後に控えていた眼鏡をかけた中年の男に、何やら耳打ちをする。眼鏡の男がうなずくと、もう私を見ることもなく横を通り過ぎ、立ち去って行った。

 私はようやく、男の頭上に目を向けられた。

 そこには、グレーのプレートが浮かんでいる。ピンク色じゃないことに、ほっとした。

 立ち去っていく男と一緒に、プレートも遠ざかっていくため、私は目を凝らして、何とか読んだ最初の記述は、


『ハイル・ヴィスコス 41歳』


 ヴィスコスの名前を持つ男。

 あの男が、このヴィスコス公爵家の当主、ヴィスコス公爵閣下なのだ。


(ミリアを拾ってきた男)


 また、胸が苦しくなった。

「ミリア」の体は、ハイル・ヴィスコスを怖がっていた。

 逆に、アロルド・ヴィスコスには、恋心を抱いていたのは間違いない。

 私は別にアロルドが好きではないし、好きになる要素も感じられない。

 年齢的には、ハイルの方がすっと魅力を感じてしまう。

 私は41歳、ミリアは14歳。この差は、思った以上に大きいようだった。


 そういえばと、周囲を見回すが、ハイルの後ろにいた眼鏡の男の姿もなくなっていた。最後に何か指示を受けていたように見えたけど、何だったのだろうか。

(まあ、いいか。関係ないし)

 私は考えることをやめた。

 地面の転がったままの金網を拾い上げる。これがまだ熱いのかどうかは、私には分からない。火傷をしている掌も、痛みはないから。

 金網を軽く振ってゴミを落とす。

 中の豆は無事なようでほっとした。

 今日の深夜、マロウにコーヒーを淹れてあげよう。

 その予定だけが、私を安心させてくれる。

 焚火の火はまだくすぶっていた。このまま放っておくわけにもいかないから、どうしようかと悩んでいると、背後から土を踏みしめる音がして、私はあわてて振り返った。

 そこにはまた、別の男が立っていた。

 今度は早々に誰なのか確認したくて、男の頭上を視線だけで見た。


『ゼトア 50代後半

 ヴィスコス家には、息子のマロウと共に、1年前から勤めている』


 年齢が曖昧なところが引っかかった。


『亡国イーリアスの宰相補佐官、兼、暗殺部隊隊長を務めていたが、イーリアスの滅亡直前に国を捨て、息子マロウと共に逃亡。各地を転々と放浪し、ヴィスコス家にたどり着く』

 また、不穏なワードが出てきて、私は冷水を浴びたようにすべての熱が冷めたように感じた。

(暗殺って・・・)

 それに。

(マロウって、あのマロウ?)

 顔立ちはあまり似ていないように思う。ただ、マロウが母親似という可能性は高い。趣味が拷問というマロウの父親ならば、元暗殺者という経歴もあり得ることだ。

 なんにせよ、要注意人物で間違いはないだろう。

 ゼトアの前で、言動を間違えてはいけない。

 人のよさそうな笑みを浮かべた中年の男に、得体の知れない不安が込み上げてきた。

「何かありますか?」

 ゼトアが聞いてきた。チラリと、視線を上に向ける。

 しまったと思った。

 今まで私がプレートを読んでいることに違和感を感じた人はいなかったから。普通は自分の頭の上にプレートが浮かんでいるなど、想像すらしないだろうから気づかれる可能性を考えていなかった。

 なんと返せばいいのか言葉が思いつかず、私は押し黙った。

「ふむ」と思案するように私を見るゼトア。

 だが、それ以上は聞いてこなかった。

「私はゼトアと申します。ネブリオーレ執事長の指示で、お嬢様をお迎えに上がりました」

 ゼトアは私を敬うように、左手を前に、腹部に当て、右手は腰の後ろに回し、頭を下げる。執事の基本的なお辞儀の所作だ。ゼトアの流れるようなその動作には、ハリの穴ほどのスキもない。

「火傷の手当もありますので、急ぎ本館へと戻りましょう」

ネブリオーレ執事長は、きっとハイルの後ろにいた中年の眼鏡男のことだろう。

 もしかして、ハイルの指示なのだろうか。私の火傷を、少しでも心配したのだろうか。

 もしそうだとしたら、

(ちょっと・・・嬉しいかも)

 ハイルの端正な顔だとを思い出し、つい口元が緩みそうになった。目の前のゼトアに見られたくなくて、私は慌ててうつむいた。

「少し失礼致します」

 ゼトアは私の許可など待つことなく、私の右手を掴んで引き上げた。右の手のひらを見て、眉間に皺を寄せた。

(あ、マロウに似てる)

 何かあるとすぐに眉間に皺を寄せるマロウを思い出して、つい、笑ってしまった。

 ゼトアと目が合い、しまったと思い視線を逸らす。

「思ったよりひどいですね。早く手当をしなくては」

 ゼトアは掴んでいた私の腕を離した。「痛かったでしょう」と言われて、「・・・まあ」と私は曖昧に答えた。

 火傷をしていることも気づかないのだから、今も痛みなんて全くない。だがそれを伝える必要はないし、誰にも知られないようにしたかったから、何も言わないのが一番いい。

(痛いふりでもした方がいいかな)

 面倒臭いとしか、思えなかった。

 一人考え込む私を見つめるゼトアの視線が、わずかに鋭さを帯びる。だがすぐに、穏やかな表情を作った。

「荷物は私がお持ちします。さあ、戻りましょう。歩けますか?」

 ゼトアが手を差し伸べてくる。その手をつかめばいいのか、添えればいいのか、分からず私はゼトアの手を見つめた。

「失礼いたします」

 ゼトアはそういうと、私の腰に手をまわし、軽々と抱き上げた。

「あっ、わっ!」

 あまりにも突然のことに、本能的に逃れようと手足をばたつかせたばたつかせた。

「あ、歩けます!自分で歩けます!」

 必死に言いつのれば、すんなりとゼトアは私を地面に下してくれた。

「では、持っていく荷物はこちらだけでよろしいですか?」

 ゼトアの手には、いつ拾ったのか、コーヒー豆の入った金網が握られている。

「自分で、持ちます!」

 私はゼトアからコーヒー豆を取り返した。

 今日の夜にマロウに入れてあげるコーヒーだ。

 そのついでに、ゼトアのことも聞いてみよう。

 私は金網をぎゅっと抱きしめた。

 ゼトアは何か言いたげな表情を浮かべたら、何も言ってこない。

 促されるように、私はゼトアの後を付いて歩き始めた。


 今日は刺激の強い一日だった。

 頭も心も疲弊している。

 目の前を歩くゼトアの頭上を見た。

 背後からなら、プレートに目を向けても気づかれることはないだろう。


『身分を隠し、復讐の機会を待っている』

 ああ、また不穏なワードを知ってしまった。

(ほんと、勘弁して。絶対に関わりたくないからっ)

 私は心の中で懇願した。

 むやみやたらに、人の過去を知ることは、自分にも負担が大きいと知る。

 打ち明けられていない過去を知られていることは、きっと相手にとって脅威だろう。

 発言には気を付けないといけない。余計なことで命を狙われるなんて、冗談じゃない。

 でも。

 ふと、考えてしまう。

(誰かが私を殺してくれたら、終われるだろうか)

 この身に覚えのない「世界」から、もとの「日常」に戻れるだろうか。


 あなたに、あげる。


 記憶の片隅で、思い出した言葉。


 確かに聞いた。ここへ落ちる前に。私にかけられた言葉。押し付けられた何か。


 私は一体、何をもらったのだろうか。

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