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07 ヴィスコス公爵家の当主(1)

 晴れ渡った空の下、私は座り込んで、ぱちぱちと音をはじかせる焚火を見つめていた。


 今の私にとって、天気は行動を考える要素にはならない。

 常に人目を避け、書庫か深夜の厨房にしか行く場所がないからだ。

 この「世界」に来てから、私は初めて屋外へ出た。そして、ヴィスコス公爵家の邸宅の外観を見て、驚いた。相当大きな建物だろうと思っていたが、まさに中世の宮殿と呼べるほどの荘厳で豪華な建物に、自分が別世界にいるのだと改めて思い知らされた。

 こんな場所では、確かに私も「ミリア」もみすぼらしく、受け入れがたい存在だろうと納得した。場違いな立場、身なり、血統、すべてが異質で、汚点だと思われても仕方ないのかもしれない。

 早くここから逃げ出す算段を立てなければと、改めて思った。


 ただ、今日は、別の目的がある。

 私は座り込みひざの上に抱えていた金網を持ち上げた。片手の持ち手がある調理器具の一つだ。直径20センチ程度の金属製のざるに持ち手が付いたもので、二つをボールのように重ねて固定してあるそれには、中に生のコーヒー豆が入っている。

 昨日、マロウに用意してもらったものだ。

 私は昨日の衝撃的な事実を思い出し、また、笑いがこみあげてきた。


 昨日の深夜、いつもの厨房で、私はマロウの作ったスープを飲んでいた。

 ここ最近、マロウは私のためにスープをわざわざ作ってくれている。ついでだと言っている割に、私以外、きっと飲もうとも思わないスープを、どうしたらついでに作れるのだろう。それを私が気づいていると知っているマロウは、平然と、「ついでだから」という。そのやさしさが、嬉しかった。

 私が消化不良を起こさないように、ごくわずかな塩分と、野菜、豆を煮詰めて、具をつぶし、丁寧に裏ごしされている。野菜の栄養素だけが染み出た汁だ。普通の人が飲めば、ただの白湯としか思わないかもしれない。少しずつ栄養素を増やしていくとマロウは言っていた。そのためか、私がスープを飲むとき、マロウは何も言わず、私をじっと観察するように見つめてくる。最初は居心地が悪かったマロウの視線も、今はようやく慣れてきた。感謝ばかりが募っていく。

 昨日はスープを飲み終わった後で、マロウとの会話からコーヒーがこの「世界」に存在するのだと知った。

 そのことに驚いたが、興味を持った私を見て、マロウが嫌そうに「あんなまずいものは、飲まなくていい」といったことにさらに驚いた。

「コーヒーが苦手なの?」

「あんなものが好きだという人間は、いないさ」

「舌が子供なんじゃない」

 いじわるを言ってみた。こうやって軽口が言える程度に、マロウとは親しくなれてきている気がする。

 マロウは眉間に深いしわを寄せる。怒ってはいないと、今は分かる。ただ嫌そうな表情を浮かべているだけだ。

「調理人として言わせてもらえば、あれは飲み物じゃない。ただ苦くてまずいだけの液体だ」

 薬と一緒だと、マロウは言う。「病気を治す効果があるだけ、薬の方がましだ」

「コーヒーはおいしいわよ」

 私はマロウに食い下がった。


 私は、コーヒー中毒と言えるほどに、コーヒーが好きだった。現代社会で生きていた時の話だけど。

 毎日6杯から8杯程度は飲んでいた。間食代わりに、精神安定剤のように。

 好きだから淹れ方にもこだわっていたし、豆の種類もこだわりがあった。

 淹れ方も研究していたし、自分の淹れるコーヒーにも自信があった。

 コーヒーがまずいというマロウは、正しい淹れ方をしていないだけだろう。適当に淹れたコーヒーは苦いし酸味が強いし、温度が下がればその分後味も悪くなる。

「どうやってコーヒーを淹れるの?」

「・・・本当に飲みたいのか?」

 私はうなずいた。

 飲んでも味は分からないだろうが、淹れ方を見れば想像は付く。

 私が飲みたいというより、マロウにおいしいコーヒーを飲んでほしくなったのだ。毎日作ってくれるスープのお礼に、私は何を返せるだろうかと考えていた。その糸口が見つかったようで、私は少し、興奮していた。

「・・・少し待ってろ」

 そう言って、マロウは立ち上がった。

「えっ、コーヒー豆があるの!」

「どこかの馬鹿が間違って注文したやつが残っているはずだ」

 使い道もなく、その辺に転がしておいたと言う。

 胸がどきどきしてくる。

 マロウがカップを手に戻ってきた。

 中には白い豆が入っている。形状はコーヒー豆を同じだ。

「これ、生の豆っ」

「ああ」

 生のコーヒー豆は、私も初めて見た。

 いつも焙煎されたものをなじみの店で購入していたから。

 これをどうするのか、マロウを観察していた私は、言葉を失った。

 マロウはまず、豆をフライパンで空炒りした。強火で炒るから焼きムラができるし、表面だけが焦げてしまう。豆を焼くことがないのか、豆が焼けてはぜる音が聞こえてこないうちに、表面だけ焦げた豆を、マロウは火から下ろした。そのまますぐにすり鉢に移すと、豆を叩き割るようにして砕いていく。その後が衝撃だった。マロウは鍋に水を入れると、その中に砕いたコーヒー豆を入れて、煮はじめたのだ。

(世の中にこんなふうにコーヒーを淹れる人がいるなんて!)

 信じられない光景に、言葉が出ない。

 匂いも味も感じられないが、マロウの淹れたコーヒーは間違いなく不味いと思った。自分で入れたコーヒーを、マロウは律儀に味見をした。「うっ」と声が漏れ、そのままカップに残ったコーヒーは窓の外へ捨ててしまった。

 私が飲んでいたカップも、「飲まなくていい」と言って取り上げられた。

 さすがにもったいないと思ったが、有無を言わさぬマロウの視線に、私は素直に従った。

 そして、決意する。

 必ずマロウに、おいしいコーヒーを飲ませてあげよう!

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