06 深夜の厨房(5)
そう心に決めた次の日、ミリアは厨房に来なかった。
朝まで待っていたのに、厨房のドアが開けられることはなかった。
その次の日も、ミリアは来なかった。
その次の日も。
俺は何かを間違えただろうか。
そんなことを考えて、らしくない自分にいら立ってくる。
別に約束をしたわけではない。
ミリアが必ず厨房に来なければいけない理由もない。
だから、来ないことが悪いことではないのだ。
俺が勝手に待っていただけだ。
勝手にスープを準備していただけだ。
そのスープは無駄になったが、捨てることは調理人として許せないので、自分で全部食べ切った。ただ、それだけだ。
今日もミリアが来なければ、明日からは待つのをやめようと決めた。
最後だから、今日まではスープを作って待ってみよう。
深夜の厨房で、やけに時間の流れを遅く感じながら、俺はじっとドアを見つめていた。
人の気配が、した。
ドアの外で何かが動いている。
俺の体に緊張が走る。
ゆっくりと開かれるドアを、凝視した。
開かれたドアの隙間からミリアが顔をのぞかせる。
遠慮がちに、厨房の中を覗き込む姿を見て、今までのいら立ちが嘘のように消えていった。
「久しぶりだな」
自分でもわかるほど剣を含んだ声だった。
(いじけたガキか、俺はっ)
恥ずかしさを隠すために、表情が険しくなる。
「・・・久しぶり、です」
ぎこちないミリアの声、言葉。
大人の俺俺が子供じみた態度をしたから、雰囲気がおかしくなっているのだと自覚している。
俺はこの場をごまかすように、ミリアに水を一杯、用意した。
「ありがとう」とミリアは言って、受け取った。
水を飲み、「おいしい、ね」と言っ言って笑いかけてくる。
味なんて分からないくせに。
14歳の少女に気を使わせていると知り、俺は反省するしかなかった。
「そうだ、今日はスープがあるぞ。食っていけ」
俺が言うと、ミリアの表情が固まった。
嘘がつけないといった様子で、視線をさまよわせ、焦ったように唸る。
「どうした?」
「実は・・・」ミリアが意を決したように俺を見る。「熱を出しちゃって」
「熱?もしかして、それで三日も来なかったのか」
「・・・うん。今回はちょっとやばかった。起き上がれなくてずっと寝込んでて。ようやく立って歩けるぐらいにまでなったからよかったけど」
「もう大丈夫なのか?今は熱はどのくらいだ」
「さあ・・・でも、通常に戻った感じはするから、大丈夫よ」
「熱を測ってないのかっ」
「自分の体調はよくわかるから、今はもう大丈夫」
そういうミリアだが、その言葉が信じられなかった。
俺はミリアの腕をつかんだ。手から伝わってくる体温は、高いように感じた。
慌てるミリアを無視して、おでこに手を押し当てる。
(まだ熱があるじゃないか!)
「今日はもう、部屋に戻れ。・・・送ってく」
「えっ、本当にもう大丈夫よ。いつもと同じ感じだから」
「・・・いつも?まだ熱は高いだろ」
「そんなには・・・私は平熱が高めなんだと思う。だから、もう、大丈夫」
俺はまた、めまいを感じた。
俺の方が倒れそうだ。
ミリアはいつも、微熱を抱えているということなのか。普通なら体調不良となる状態を、通常というほどに、異常を抱えているのか。
それにしても。
「どうして動けなくなるほどの熱が出たんだ。医者には診てもらえたのか」
「あー・・・原因はなんとなく分かってるし。寝てれば治ると思ったし、実際にほら、もう治ったから」
「治ったとは言わないだろ!」
俺の頭が痛くなってきた。
「原因ってのは、なんだ?」
聞くと、ミリアは口を閉ざした。
言いずらいことなのだろうか。
嫌な予感が広がっていく。誰かに何かをされたのか。
「ミリア」
名前を呼べば、ミリアはおずおずといった様子で俺を見上げてきた。
「私が悪いの」
誰に何をされたのか、問いただしたい衝動を抑え込み、俺はミリアの言葉を待つ。
「その・・・シチューが」
「・・・シチュー?」
「ちょっと消化不良というか、・・・ほら、私の普段の食事は、知ってるでしょ。あれと比べてかなり栄養価の高いシチューだったから、体がびっくりしたみたいで。消化できずに熱が出たというか、消化するだけで体疲れて限界だったというか」
(俺が原因か!?)
正直、ショックだった。
言葉を失う俺に、ミリアが慌てている。
「私の体が変だからよっ、マロウの出してくれたシチューは普通のちゃんとしたシチューだったわ。私が消化しきれなくて、寝込んだだけで」
「・・・悪い、もっと考慮するべきだった」
ミリアが自分自身を責める言葉を聞いていられなかった。
ミリアに謝らせてはいけないのだ。ミリアは全く、悪くはないのだから。
「ごめんなさい」
「謝るな。お前が悪いことは全くないだろう」
言い切った俺に、ミリアは少し目を潤ませながら笑んだ。
「いつもそんな風に熱が高いのか」
「微熱程度が続いてるだけで、そんなに熱があるわけじゃないよ」
「微熱が続くってのが問題だろう」
「死ぬほどじゃないから大丈夫」
ミリアが平然と言う。
言っても無駄だと分かった。それに、医者に診てもらうこともできないだろう。
「・・・体力をつけないと、まずはそこからだな」
「えっ」大げさにミリアが驚く。後ずさりまでするから、どうしたのかと思えば、「私、運動はしないから!」と硬い口調で言い放った。
(どんな宣言なんだ、まったく)
俺の視線に、ミリアの表情も硬くなる。
「運動はしないからっ」
そんなに運動が嫌いなのか。それとも今の体で耐えられないと分かっているのか。
「とりあえず、少しずつ摂る栄養を増やしていこう。俺が食べるものを用意しておくから、ここへ来た時には少しでもいいから食べていけ。無理のない程度にな」
「えっ、用意って、そんな悪いわ」
「悪いと思うなら、俺の言うとおりにしろ」
「・・・意味わからない」
「俺は調理人だ。本当ならちゃんとした料理を作ってやりたいが、今のお前は一口食べても倒れるだろう。だったら、しばらくはお前に合わせたものを作ってやるから、しっかり食べて、体力付けて、俺の料理を食べれるようになれ」
言いながら、確かに意味が分からないと自分でも思った。まあ、言い切ればなんとかなるだろう。
「朝食も準備してやりたいが、俺にはそんな権限はないからな。勤務時間中に調理に手を出すことが出来ない。悪いな」
厨房が稼働している時間は、俺の身分では鍋を振るうことも、味付けをすることも、させてはもらえない。メニューを考えることなど論外だ。職務以外の仕事をすることは許されないのだ。
「迷惑かもしれんが、ここに来たときは水と一緒に俺が作ったものを食べていけ」
俺の言葉に、ミリアは目を見張る。
大きく首を横に振り、「迷惑なんかじゃない」と言った。
「ありがとう」
その言葉が、嬉しかった。
(嬉しい?)
思い至った自分の感情に、自分で驚く。
今まで「楽しい」と感じることはあった。人には言えない趣味を実行しているときには、確かに「楽しい」と感じる。
だが、記憶にある自分の人生の中で、「嬉しい」という感情を持ったことはないと思う。
自分から他人と関わり、利益にもならないことに時間を費やし、俺の自己満足に「ありがとう」と言ってもらえて、「嬉しい」と感じている。
これは一体どういう感情なのだろうか。
ミリアをまじまじと見つめ、いろいろな言葉を頭の中で並べてみた。
「愛」「親愛」「恋」、どれもしっくりとは来ない。「同情」「慈悲」「友情」「尊敬」「慈しみ」。一体どれだろうか。
(よくわからんが、まあ、しばらく様子を見るか)
明日から、何を作ればいいのか、考えながら俺はミリアの様子を注意深く観察していくことにした。
いつか、俺の料理を心から「おいしい」と言ってくれるといい。
その思いだけは、素直に、受け入れられた。




