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06 深夜の厨房(3)

 俺の名前は、マロウ。

 物心ついたころから、親父と各地を転々と移り住みながら生きてきた。一つのところに長くとどまることはなく、今は、一年ほど前からヴィスコス公爵家の厨房で調理人として働いている。あと2、3年もすればまた他の場所へ移ることになるだろう。だから、ここでも特に人間関係を構築していく気はさらさらなかった。

 もともと俺は、物事に対して希薄だった。何かを大切だと思ったこともなければ、友情や愛情などと言った感情を他人に対して抱いたこともない。親父に対しては、血のつながりがあるからか、他人とは違う何かがあるのだろうとは思う。だが、親父の指示に従うのは、物理的に戦っても勝てる見込みがないと分かっているからだ。親父よりも強くなれる日がきたとしたら、親父の言葉に逆らうかもしれない。そのために体を鍛えようとは思わないし、努力という言葉が嫌いな俺は、当然、強くなるための努力も行動も起こさない。だから、弱いままだ。いつまでも親父には勝てず、息子らしく言われたことには従っている。特に支障はないから、このままでもいいかと思っている。もうすぐ40歳なるが、別に結婚する気もないし、女に興味がわくこともない。後継者を作るなんて必要もない身の上だから、このまま一人で死んでもいいと思っている。孫が見たいと親父に言われることもないから、このままでいいのだろう。

 そんな俺は、この厨房では下っ端だ。料理の腕はここの奴らに劣るとは思っていないが、平民出身で、雇用されたばかり、当然信用もないから料理を作ることを任せられることはない。調理器具食器類の片づけや、下ごしらえが仕事のほとんどだった。まあ、ここを出たら、次は食堂あたりに入り込もうと考えている。そろそろ料理が作りたいから。

 数ある仕事の中で調理人という職を選んだ理由は、料理する行程が嫌いではないことと、常に刃物を握っていられることだ。だから、下ごしらえばかりの仕事でも、刃物を扱い続けられるから、続けていられる。自分たちの仕事を俺に押し付ける、無能なせんぱい方には、それなりに苛つきはするが、まだ我慢できる範囲だ。


 そんな俺は、いつものように深夜の厨房で明日の食材の下ごしらえをしていた。

 他の調理人は、俺に仕事を押し付けて、女を漁りに夜の街へ出かけて行った。

(一人でやる方が気が楽だし、早く終わるからいいけどな)

 俺は黙々と作業を続けた。

 ふいに、厨房のドアが、開いた。

 誰かが戻ってきたのかと思えば、ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、やせ細った少女だった。

 長く伸びた灰色の髪。

 きれいに洗い、手入れをすれば、きっと銀糸のように細く美しく輝く髪だろうが、無造作に伸ばされた今の状態ではみすぼらしさしか感じられない。

「あんた・・・」

 この公爵家で、白銀の髪の少女はただ一人しかいない。

 偽物と呼ばれる公女、ミリア、ヴィスコスだ。

 出自がどうであれ、ヴィスコス公爵家の令嬢であることには違いない。

 そんな公女様が、深夜の厨房にやってくるのはあまりにも不自然だった。

 ミリアは視線をさまよわせながらうつむいた。

 握りしめた手が、震えている。

 俺が怖いのか、この状況におびえているのか。

 怖がらせるつもりはないが、それをうまく伝える方法が俺には分からない。

 こういう状況は苦手だ。

 俺はため息をつき、「何か用か」と聞いた。

 ミリアはびくっと体を震わせ、俺を見上げる。

「喉が渇いて・・・」

 聞き取るのがやっとのか細い声で、そう言った。


 水くらい部屋にあるだろう。

 そう思ったが、

(ああ、そうか)

 合点がいった。

 毎日ミリアのもとに運ばれていく食事を思い出した。

 あれを食事と呼ぶのは、調理人として認めたくないが。

 腐ったパンとスープ、水。料理をわざと腐らせる行為に強い憤りを感じる。だが、厨房内でその行為を認められている以上、下っ端の俺が何か言えるはずもない。それに、そんな腐ったものを毎日完食しているミリアにも腹を立てていた。なぜ食べるのか、と。あんなものを用意する厨房だと思われているだろうことが、調理人としてのプライドを傷つけられている気がしていた。

 だが、初めてミリアの姿を見て、その思いが消えていった。

 痩せ細った体、ハリも艶もない肌、無造作でしなやかさもない灰色の髪。

 だが、俺を見るその目は、生きていた。

 生きることに絶望してはいない、世の中を恨んで悲観してもいない、自分の不幸をひけらかすでもなく、ただ普通に俺を見てくるその目には、命があることを感じさせた。人見知りしているように俯く様も、ちゃんと感情がある証拠だ。

 ミリアを取り巻く環境からすれば、普通でいられることが以上なのだと思う。

 だからきっと、生きるために、ミリアは食べ続けているのだろう。ただ、生きるために。

 俺は、ミリアの前に水の入ったコップを置いた。

 料理で使う水だ。公爵家のお貴族様が食べる料理で使う水は、俺たちが飲む水よりも新鮮だ。コップの中の水は、一切の濁りもない。

 ミリアは驚いたようにコップの水を見つめていた。

 ただ見つめるだけだった。

 毒でも入っていると思っているのだろうか。俺がこの厨房でそんなものを出すはずがない。調理人という仕事にだけは、こだわりを持っているのだ。

「飲まないのか」

 聞くと、ミリアはあわてたようにコップを手に取った。

 そういえば、使用人たちが使うコップに水を入れてしまった。さすがに公爵家の令嬢にそんなコップを出せば、不敬罪を問われるだろうか。そんなことをちらっと考えていたが、一口水を飲むミリアを見て、少し、ほっとした。

(・・・らしくない)

 思わず舌打ちが出そうになり、何とか飲み込んだ。

 ミリアはもう一口、水を飲む。じっと手の中のコップを、その中の水を見つめていた。その目から、涙がこぼれた。

 ミリアはすぐに気が付いて、手の甲で粗雑にぬぐう。その姿に、俺はかける言葉が見つからなかった。

 そんな自分にため息が出る。

 ミリアは水をすべて飲み干すと、近くの調理台にコップを置いた。

「ありがとう」と小さな声がした。


 ミリアがいなくなった厨房で、俺は一人、天を仰いだ。

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