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「志希、今の生活は楽しいかい?」
「はい!」
父の質問に、志希は即答でイエスと答える。
「私、高校を卒業して、今はそこにいる荒熊さんのブックカフェで働いているんです。よくお手伝いに来てくれる明日香ちゃんは妹みたいでかわいいし、常連さんたちは皆さん優しくて……。だから私、今がすごく楽しいです!」
志希が瞳を輝かせながら、父へ言い募る。
言葉だけでは足りない。そんなもどかしささえも感じさせる志希の口調と表情に、父も表情を緩ませながら「そうか」と頷く。
「その楽しい日々を大切にね、志希。きっとそれが、君にとってのかけがえのない財産になる」
そう言って父はもう一度志希の頭を撫で、母の隣へ並んだ。
同時に、世界が光に包まれ始める。夢の終わりの時間。本の記憶から出ていく時が来たのだ。
志希の胸が、溢れた寂しさで重くなる。ただ、それと同じくらい、これ以上ここにいてはいけないということも実感として理解できた。
これ以上ここにいたら、荒熊さんが前に言っていた通り、戻れなくなる。……戻りたくなくなる。それは、両親が望むことではないだろう。だから志希は、とめどなく溢れようとする寂しさを抑え込んで、光の奥に消えていこうとする両親を見送るように笑った。
すると、両親がいつの間にか志希の隣に来ていた荒熊さんへ目を向けた。
「荒熊さん、志希のことをよろしくお願いいたします」
「お任せください。志希ちゃんが幸せになれるよう、おふたりの代わりに見守らせてもらいます」
荒熊さんが返事をすると、両親は安心した様子で頷いた。
そして、ふたり揃って再び志希を見る。
「ごめんね、志希。大人になるまで一緒にいてあげられなくて」
「僕らの所為で苦労を掛けて、本当にすまない」
申し訳なさそうに謝ってくる両親へ、志希は泣かないように歯を食いしばったまま首を横に振る。
しかし――。
「でもね、私も拓真も志希のことを愛してる。それだけは、忘れないで」
「わかっています。もう……絶対に忘れません」
続けて母が掛けてくれた言葉で、あっさり涙腺は崩壊してしまった。
この場面でその言葉は卑怯だ、と志希は思う。けれどまあ、決壊してしまったものは仕方ないので、せめて笑うことだけは継続する。
「じゃあね、志希」
「元気で。遠くから、ずっと見守っているよ」
そう言って、両親は光の中へ消えていく。
「もう泣かないで。笑っていなさい」
母のその言葉を最後にふたりの姿は完全に消え、真っ白の光だけが志希の視界に残った――。
* * *
光が治まると、そこはあらいぐまのカウンター席だった。いつも通り、現実の世界に帰ってきたのだ。
「お疲れ様、志希ちゃん。はい、コーヒー」
荒熊さんはいつの間にかカウンターの中にいて、志希に新しく淹れたコーヒーを出してくれた。
志希はそれを「ありがとうございます」と言って受け取り、シュガーとミルクを溶かして一口飲む。ミルクのまろやかさの奥にスッキリとした苦みを感じ、ようやく夢から覚めたという実感が湧いてきた。
「さて、志希ちゃん。どうだったかな?」
人心地ついたところで、荒熊さんが問うてくる。
それに対する志希は、カップをソーサーの上に置き、そっと目を閉じた。
絵本の記憶の中で、志希は母の本音を知った。母ときちんと向き合い、謝ることができた。そして、両親が自分に託した願いも知ることができた。
だからこそ――。
「荒熊さん……」
「うん」
「私は、本当に親不孝者です。危うく、両親の願いに気が付けないまま生きてしまうところでした」
志希は今、曇りのない晴れやかな笑顔で、荒熊さんへそう答えることができた。
「そっか。なら、もう大丈夫だね」
「はい。私は、もう大丈夫です。ちゃんと、前へ歩いていけます。色々と、ありがとうございました」
満足げに頷く荒熊さんへ、志希は感謝を伝える。
そして志希はスマホを取り出し、登録しておいた番号へ――祖父の家へと電話を掛けた。
「もしもし、小日向さんのお宅で……はい、志希です。――はい、昨日はどうもありがとうございました」
電話で相手の姿は見えないのに、ペコペコと頭を下げる志希。こういう真面目で律義なところは、変わることがないようだ。
ちなみに、荒熊さんはそんな志希の様子を楽しげに眺めていた。
荒熊さんに見守られる中、志希は電話の向こうの祖父へ用件を伝える。
「それで、昨日のお話についてなのですが……。――はい。私、決めました」




