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白い光が、志希の体を包み込み。本の記憶に入り込む時の光だ。
これで三度目になる現象だが、いまだに慣れることができない。まぶた越しでも眩い光に目を焼かれながら、志希は視界が回復するのを待つ。
そうして見えてきたのは、本が所狭しと並ぶ空間――書店の中だった。
「ここは……」
見覚えのある書店に、志希はキョロキョロと辺りを見回す。今はつぶれてしまったが、小さい頃に家の近くにあった書店だ。
志希の胸の内に、懐かしさが込み上げてくる。小さい頃は、保育園の帰りに母とよく立ち寄ったものだ。母が読んでいた料理雑誌を見せてもらって、ふたりで『これ、おいしそう!』なんて言いながら笑い合った。
と、志希がそんな古い記憶を思い出していた時だ。
『ああ、あった! これだ、これだ』
忘れるはずのない声が、志希の鼓膜を震わせた。
慌てて声のした方を振り返る志希。そこには、絵本を手に、満面の笑みを浮かべる母がいた。
……いや、母だけではない。
『愛希さん、見つかったの?』
『うん、あった。ほら、これ』
母の声を聞きつけて、在りし日の父も合流してくる。
十三年ぶりに聞く父の声。笑って話す父の姿。
幼い頃のこと過ぎて忘れかけていた記憶が、一気に蘇ってくる。そう――確かに父はこんな声で、こんな風に話していた。そして、ただひとつだけおぼろげな記憶と違う印象なのは、意外と背が低いこと。当時は志希自身が小さかったこともあって、父はとても大きな体という印象だったのだ。
ただまあ、印象の違いなんて結局のところはどうでもよくて、父と母がそこで笑っているというだけで、志希は涙が溢れそうになってきた。
そんな志希の眼前で、ふたりは絵本を見ながら真剣な表情になって話し合い始める。
『でも愛希さん、本当に誕生日プレゼントが絵本でいいのかな。志希は外で遊ぶのが好きだし、ボールとかの方がいいんじゃない?』
『私も最初はその方がいいかなって思ったんだけどさ。でも、あの子最近、やたらとこの絵本の話をするのよ。保育園で呼んでもらったって、うれしそうにさ』
『へえ、今まで絵本なんて興味持たなかったのに……』
『でも、前に果物の絵本を見せた時は、よだれ垂らして目を輝かせてたわよ』
『それ、絵本が気に入ったんじゃなくて、単にお腹が空いていただけじゃない』
『そうとも言うわね』
真剣に志希へのプレゼントを吟味していたかと思ったら、母がとんでもないことを口走り始めた。
志希としては、恥ずかしい限りだ。顔を真っ赤にして「あわわ!」と言いながら母の口を塞ごうとするが、まるでホログラムのようにすり抜けてしまった。今回は単なる記憶の再生だから、こういう仕様らしい。
『でも、この絵本は違う。余程気に入ったんだと思うのよね』
ただ、不意に母が優しい目になって絵本を見つめた。
それは、いつも母が志希に向けてくれていた目だ。恥ずかしがっていたことも忘れ、志希は思わず呆けてしまう。
『そっか……。まあ、愛希さんが言うなら、間違いないんだろうね』
『まったく、あんたはいつも私に合わせるばっかりなんだから……。たまには一家の大黒柱として、ビシッと決められないものかしらね』
『いや~、愛希さんがあまりにも頼りになるんで、ついね』
『本当にもう、いつもそればっか』
困ったように笑う父を、母は仕方ないと言いたげな笑みで見つめる。口では小言を言いつつも、その笑みには父に対する確かな信頼と愛情が感じられた。
『ほら、もう行くよ。そろそろ、保育園のお迎えの時間だから』
『了解。今日は、僕も一緒に行くよ』
『おう、こいこい。志希もその方が喜ぶし』
絵本を持っていない方の手で父の背中を叩き、母はレジの方へ向かう。
志希は、そんな二人の背中を見送る。
「仲のいいご両親だね」
「……はい。お母さんとお父さんは、とても仲良しさんでした」
唐突に現れた荒熊さんへ、志希は驚いた様子も見せずに答える。
どこかにいるのはわかっていたのだから、驚くほどのことではない。
そんなことを考えていると、急に周囲の風景が変わった。今度は、志希が保育園卒園まで住んでいた家だ。
居間のテーブルの上には、ホールのケーキや志希の好きな食べ物が所狭しと並んでいる。
『志希、誕生日おめでとう』
『ありがとう、おとーさん!』
『ほら志希、ケーキのロウソクの火、フーッて消して』
『うん!』
両親に見守られながら、幼い志希はテーブルに身を乗り出すようにして、ロウソクの火を吹き消す。
一回では吹き消せず、二回、三回と息を吹きかけると、ようやく四本のロウソクから火が消えた。
同時に、父と母がパチパチと拍手をする。火を消した志希は、まるで大きな仕事をしたかのように胸を張って、得意げな顔をしていた。
「昔の志希ちゃん、かわいいね。超ドヤ顔」
「……言わないでください。正直に言いますと、私、そろそろ心が折れそうです」
肩を震わせて笑い出すのに耐えている荒熊さんへ、志希は重い声で応じる。
先程の果物の絵本の話に、今のドヤ顔。公開処刑もいいところである。この絵本の記憶は、本筋とまったく関係ない部分で志希の心をへし折っていく。
とまあ、そんな余談は置いておくとして、記憶の中では父がラッピングされた絵本を幼い志希へ差し出していた。
『はい、志希。誕生日プレゼント』
『プレゼント!? やった!!』
幼い志希は、はしゃぎながら誕生日プレゼントを受け取ると、そのまま景気よくラッピングをビリビリ剥がし始める。
そして――中から出てきた絵本に目を輝かせ、歓声を上げながら部屋の中を駆け出した。今の志希からは考えられない喜びの表現である。
『志希、ごはん中に飛び回らないの。座りなさい』
母に首根っこを押さえられた幼い志希が子猫のように持ち上げられ、ちょこんと座らせられた。
ただ、幼い志希はそれでも上機嫌でプレゼントの絵本を抱きしめ、頬ずりまでしている。幼い頃の自分を見ているとはいえ、その姿には志希も少し和んだ。
『志希、プレゼント、うれしかったかい?』
『うん! ありがと、おとーさん、おかーさん!』
父が問いかけると、志希は満面の笑顔で体全体を使って頷く。
『なあ、志希。志希は、その絵本のどこが好きなのかな?』
『みんな、なかよしなところ! てぶくろのなかでギュウギュウになって、みんなたのしそうなの!』
幼い志希は絵本を開いて、父へ楽しげに絵本の内容を解説していく。父もそれを楽しげに聞きながら、『そっか。確かに楽しそうだ』と言って志希の頭を撫でた。
『ちょっとちょっと! ふたりだけで楽しんで、ずるいじゃない。私も混ぜて!』
そこに母も加わって、正に絵本に出てくる手袋の中と同じおしくらまんじゅう状態だ。それがなお楽しかったのか、幼い志希はケラケラと笑っている。
おそらくこの頃が、志希にとって一番幸せな時期だっただろう。この時は、一年後に起こることなんて、まったく想像していなかった。




