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翌朝。志希は、いつもと同じ時間に目を覚ました。
昨晩、あれだけ色々とあったのに、今朝の目覚めは悪いものではなかった。荒熊さんの言う通りぐっすり眠ったおかげで、精神的にも多少は持ち直したようだ。もっとも、当然ながら根本解決はしていないのだけれど。
「おはようございます、お母さん、お父さん」
いつもと同じく、まずは両親の遺影に朝の挨拶をする。
そして、今日はカフェの定休日なので、志希は私服に着替えた。
と、その時だ。まるで狙い澄ましたかのように部屋のドアがノックされた。
「はい、どうぞ」
志希が返事をすると、ドアが開かれる。そして、ドアノブにはカフェで働き始めた日と同様に、荒熊さんがプラーンとぶら下がっていた。
「おはよう、志希ちゃん。よく眠れたかな?」
「おはようございます、荒熊さん。おかげさまで、しっかりと睡眠をとることができました。荒熊さんも、今朝は早起きですね」
「まあ、ちょっと思うことがあってね。で、考え事ついでに朝ごはんを作ってみたんだけど、一緒にどう?」
「はい。いただきます」
荒熊さんに誘われ、志希はカフェの方へ降りていく。
カフェのカウンター席には、荒熊さん特製のBLTサンドとカットしたバナナ入りのヨーグルト、ブレンドコーヒーが二人分用意されていた。
今までカウンターの中で並んでいたり、昨晩のようにカウンター越しに向かい合っていたりしたことはあるけれど、カウンター席に並んで座るのは初めてだ。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
荒熊さんの隣で、志希はしっかりと手を合わせる。
BLTサンドを頬張ると、ベーコンの塩気と肉汁がシャキッとしたレタスや甘酸っぱいトマトと絡み合って、口の中が途端に幸せになる。味も噛んだ触感も楽しいサンドイッチだ。
BLTサンドを楽しんだ後にヨーグルトを口に含むと、さっぱりとした酸味とバナナのふんわりとした甘さが、口の中をスッキリさせてくれる。
最後はコーヒーで一服して、志希はホッと一息ついた。
「ごちそうさまです。荒熊さん、とってもおいしかったです」
「それはどうもありがとう」
小さな体で志希と同じだけの量の食事をぺろりと平らげた荒熊さんが、満足げにお腹をポンポン叩く。タプタプ柔らかそうで、枕にしたらとても安眠できそうなお腹だ。
「さて、お腹もいっぱいになったことだし……そろそろ昨日の続きといこうか」
「……はい」
姿勢を正した荒熊さんへ、志希はゆっくりと頷く。
「あの後ね、僕も考えてみたんだ。でもさ、正直なところ僕がどれだけ『お母さんはきっと心から志希ちゃんを大事に思っていた。だから、志希ちゃんも前を向いていこう』って言っても、志希ちゃんの気休めにもならないと思うんだよね。任せてって大見え切っておきながら、情けない話だけど」
「そんなことは……」
志希は咄嗟に首を横に振る。
だが、志希自身も口には出さなかっただけで、荒熊さんの言う通りだと思っていた。
結局のところ、これは志希自身が納得する答えを得ないことには解決しない問題なのだから……。やはりこの問題は、神様である荒熊さんをもってしてもどうしようもないということなのだろう。
残念に思う反面、心のどこかで安心もしてしまう。やはり罪を背負って生きていくのが正しいのだという思いが、仄暗い安堵を招いているのだ。
ただ、荒熊さんの話はそこで終わらない。
「かといって、君をこのまま罪の意識の中で生きていかせるわけにもいかないじゃない。だから――やっぱり真実を見にいこう」
「それはつまりは、やっぱりあの絵本の記憶に入ろうということですよね。でも、昨日も言った通り、仮にお母さんと話したとしても、私は……」
志希は、昨日と同じ回答を繰り返そうとする。
しかし、その前に荒熊さんが言葉を継いだ。
「そうだね、そこは志希ちゃんの言う通りだ。だから今回は、源内さんや明日香ちゃんたちの時のように、志希ちゃんの霊力を使って本の記憶へ干渉できるようにはしない。純粋に、本の記憶を再生するだけにする。――これなら、少しは真実が見えてくるんじゃないかな」
荒熊さんに言われ、志希がハッとした様子で目を見開く。
今まで志希が経験してきた二回とも、記憶へ干渉することを前提としていたので忘れていた。
そう。荒熊さんが一人分のお供え物で引き起こす奇跡は、『本が蓄えた記憶を見せる』というものなのだ。これまで記憶に干渉できていたのは、そこに志希が自分の霊力をお供えすることで、奇跡に奇跡を上乗せしていたからに過ぎない。
つまりこれなら……。
「お母さんの、本当の気持ちが見えてくる」
志希の呟きに、荒熊さんがコクリと頷いた。
過去に起こったことを覗くだけならば、母が志希に気を使うことはない。そこにあるのは、偽りない過去の事実となる。であれば、どんな真実が待っているとしても、それを見た志希はもう納得するしかない。
荒熊さんは、本当に志希を納得させられる方策を用意してくれていたのだ。
「もちろん、本が記憶していた真実が君にとって優しいものである保証はない。それどころか、君のお母さんは本当に君を捨てたがっていた、なんて事実まで出てきてしまうかもしれない。それでもよければだけど――」
「行きます!」
荒熊さんが言い切るよりも先に、志希は決意の言葉を口にした。
ただ、志希の体は微かに震えている。ずっと望んでいたこととはいえ、いざ真実を知ることができるとわかった瞬間、志希は“知る”ことを恐れてしまったのだ。
「今すぐ結論を出す必要はないんだよ」
そんな志希の心情を慮ってくれたのか、荒熊さんが気遣わしげに言う。
けれど、志希は震える体に鞭打って、無理矢理首を横に振った。
「もしお母さんが、私のいないところで私のことを疎んでいたのなら、それでもいいんです。私も疑っていたのですから、おあいこです。泣いてしまうかもしれませんが、すべて受け入れます」
「志希ちゃん……」
「でも、おそらくそんなことはないと思います。勝手な願望かもしれませんが、お母さんは私のいないところでも私の知るお母さんのままであったと思うんです」
そう。少なくとも志希は、ずっと母から大事にしてもらった自覚がある。
もし本当に母が志希を疎んでいたなら、それは志希の方にも伝わっていたと思うのだ。けれど、志希は母からそんな感情を向けられたと感じたことはない。
「私は、すぐにでも見に行かないといけないんです。これ以上、私の疑心暗鬼でお母さんを貶めないためにも」
志希は強い意思が籠った瞳で、「だから……私は行きます」と荒熊さんを見つめる。
志希の覚悟を見て取った荒熊さんは、「わかった」と返事をした。
「僕もこれ以上は、何も言わない。それじゃあ、行こうか」
「はい」
志希の緊張に満ちた硬い声が、カフェの中に木霊した。




