第8話 思わぬ迎え
王都の貴族学園。
国内の貴族が集まる学び舎である。
高等部一年生、ルシアーナの弟のテオドールは、学期末の学園長の挨拶が終わった途端に講堂を飛び出していた。
やっと冬休みだ。早く姉様に会いに行かないと。
校門をくぐり、待たせてあったツェラー家の馬車に飛び乗る。
「出してくれ」
そう言った自分の声と一緒に白い息が漏れて、テオドールは自分の手を揉み合わせて温めた。
馬車がゆっくりと走り出す。
窓から見える王都には、震えながら歩いている人が大勢いた。
……姉様が王都を離れてから、なんだかおかしい。
南部にある王都は、年間を通して温暖な気候であることが常だが、今年の冬は一気に気温が下がった。
王都近郊では、作物や家畜用の牧草の育ちも悪い。
普段にはない寒さのためか体調を崩す人が増えていて、それを治療する神殿も手が足りないという。
テオドールは、膝の上で拳を強く握った。
姉が王太子殿下に婚約破棄され、しかもすぐに新しい婚約のため辺境伯領へ送られたことは、学生であるテオドールの耳にもすぐに入ってきた。
まずは、学園で噂になり、そのすぐ後に届いた父からの書状でも、それが真実であることが知らされた。
父と母はそのことをひどく悲しんでいたが、王命には逆らえないと嘆いてばかり。しかも新しい婚約者は、元平民の冒険者で血みどろ辺境伯という異名を持つ残忍な男だという。
父様と母様が迎えに行かないなら、自分で姉様を迎えに行くしかない。
テオドールは、王都の凍える冬の曇り空を見て、辺境伯領にいる姉の無事を祈った。
* * *
「てい! やあ!」
城の前の広場。私は雪の中、木剣を振っていた。
ブンブンと空を切る音は、残念ながらまだしない。
「お前の嫁、何やってんだ?」
後ろから副隊長ユーグの悪口が聞こえる。今は無視だ!
「なんでもいいだろ、かわいいから」
辺境伯も馬鹿にしてくるけど、私はいたって真剣だ。
先日のアネット追い出し事件を見て、私は気がついてしまったのだ。
もし自分も婚約破棄されれば、同じように身一つで放り出されるかもしれないと。
アネットがあの後どうなったのかは分からないが、私はアネットより自分の身の方が大事だ。いつか来る婚約破棄に向けて、一人で魔物を倒し、この辺境の地を脱出できるくらいには、強くならなければ。
「てい! やあ!」
シルフィードとウンディーネも私の頭上を飛び、私の下手な素振りを見て、ゲラゲラ笑っている。
許せん! 叩き落としてやろうか!
私は、シルフィードとウンディーネを追いかけて雪の積もる広場を駆け回った――が、精霊たちには逃げられ、私は雪に足を取られて顔から転んだ。
「ルーって、頭いいのに、たまに馬鹿なことするよな」
「でも、そこが飽きなくてすきー」
二人の精霊は、勝手なことを言いながら、冬の空へと飛んでいった。
「大丈夫か、ツェラー嬢」
辺境伯が走ってきて、雪にはまって動けなくなっている私を抱き上げて立たせた。
しゃがんで、コートについた雪を叩いて落としてくれる。ちょっと恥ずかしい。
「あ……ありがとうございます」
辺境伯は、さっと私から目を逸らした。何なんだよ、もう。
「その……敬語、やめないか?」
やっと口を開いたかと思ったら、そんなことを言う。
まあでも、それくらいはいいか。
「……いいけど」
辺境伯の顔がぱっと上がった。辺境伯の満面の笑み。下がった犬耳とぶんぶんと揺れる尻尾でも見えそうだ。ちょっとかわいい……
だめだめ! 私はこの男と婚約破棄して、残りの人生こそは、自由にするんだから!
「奥様! 旦那様! 全員そろいました!」
城から侍女長の声がした。
私は雪をかきわけて、城へと方向転換する。
これから辺境伯の顔は、できるだけ見ないようにしよう。無駄に綺麗な顔をしているから、目の毒だ。
ずんずんと歩く私に、辺境伯も大人しくついて来た。
城の玄関ホールに使用人全員が並んでいた。
アネットが勝手に首にした家令や侍女たちも呼び戻し、本当に全員集合だ。
私の横に立つ辺境伯がいつまでも話し出さないので、肘でこづく。
辺境伯は「えぇと……」と言葉を選びながら、使用人一人一人に声をかけた。朝礼である。
アネットがいなくなった翌日、辺境伯が私に「使用人たちと仲良くなりたいんだけど、どうしたらいいと思う」と体を小さくして相談に来たから提案してみた。
それ以来、辺境伯は律儀に私の教えを毎日実行している。
「マリーズ……俺は、城にいないこともあるから、君が頼りだ。でも困ったことは、なんでも言ってほしい」
「はい! 旦那様!」
「オーブリー、今日の朝食も、すごく美味しかった。昼は、ツェラー嬢が食べたいものを作ってくれ」
「承知しました、旦那様」
辺境伯は丁寧に一人一人に声をかける。それを私は後ろでうんうんと頷きながら見ていた。この人がちゃんとしてくれないと、婚約破棄になって領を出る時に城の皆や町の人のことが気になっちゃうからね。必要なことだ。
他にも変わったことがある。
辺境伯が毎日魔物退治に行っていたのを週五まで減らしてもらったのだ。
少ないとは言え、百五十人も辺境伯領には兵士がいるのだ。給料の分、彼らに頑張ってもらうことで、辺境伯に領地経営の監督をしてもらうことにした。
今は、アネットに変わり私が領の会計を担当している。
でも、ゆくゆくは辺境伯にやってもらわないといけないので、彼が城にいる週二日は、みっちりと領地経営を叩きこんでいる。
辺境伯が使用人全員に声をかけ終わって、ほっと息を吐いた。
アネットがいなくなったせいか、辺境伯が皆のことを気遣うようになったおかげか、使用人たちの顔は皆明るかった。
順調、順調。
あとは、私が追い出されるだけだ。
「じゃあ、皆、今日の一日頑張ろう。俺もツェラー嬢と頑張るから」
なんだその掛け声は……
そこは、「今日も一日励むように」とか、低い声で言えばいいんだよ。
私の内心とは裏腹に、使用人たちは大きく頷いてから持ち場に戻っていった。
辺境伯が振り返って、にこにこしながら腕を出した。
今日みたいに魔物討伐がない日は、この後二人で町を見回っているのだ。
「転んだら危ない」
いつまでも腕を掴まない私に、彼は念を押した。いつもこうだ。
「そんなことする必要ない。私は一人で歩けるから」
これから私は、一人で生きていくのだ。
二度目の婚約破棄後は、きっと実家にも帰れない。
雪の中だって、一人で歩けないと困るんだから。
私は辺境伯の腕を取らずに城を飛び出した。
――が、すぐに氷で足を滑らせた。
「きゃ!」
転ぶと思って、体に力を入れたがどこも痛くない。
代わりに辺境伯が慌てた顔で私の腕を掴んでいた。
「危ないから」
また私の前に腕が差し出される。
「……しょうがないな」
辺境伯の腕に自分の手を乗せる。
怪我をしてしまったら、城の皆に迷惑をかけちゃうかもしれないからね。仕方なくだ。
辺境伯の腕からは、革のコートの匂いがした。
見上げると辺境伯は、少し耳を赤くしていた。
きっと冬の寒さのせいだろう。今度家令のセザールに辺境伯の帽子を注文してもらわないと。
二人で城の前の広場を出ようとした、その時。
一台の馬車が坂を上り、広場へと入ってきた。
「姉様!」
「テオ!?」
馬車から勢いよく飛び出してきたのは、弟のテオドールだった。
テオは、飛び出した勢いのまま私を抱きしめて、辺境伯から引き離した。
「姉様から離れろ! 血みどろ辺境伯!」
辺境伯は、獣みたいな怖い目でテオを見下ろし睨んでいた。




