第7話 血みどろ辺境伯
「ツェラー嬢!」
そろそろ辺境伯が帰ってくる頃かと思って出てきたら、向こうから階段を駆け上がってきたもんだから、びっくりした。まるで飼い主の帰りを喜ぶ大型犬のようだ。
「あ、辺境伯様、帰ってたんですね」
「今帰ってきたところ」
駆け上がってきた時は満面の笑顔だったのに、私の前に立った途端に辺境伯は顔を背けた。情緒不安定か?
「辺境伯様にご相談したいことがあるんです。今、お時間大丈夫ですか?」
辺境伯は、苦しそうにぎゅっと目を瞑ってからうんうんと頷いた。
気が変わる前に、さっさと連れていこう。
「ちょっと待ちなさい!」
私とロランで階段を上ろうとしたら、玄関ホールからアネットが私に向かって指を指していた。
「ロランは、私と話をしていたの! 勝手に連れていかないで!」
私はアネットの物言いに目を細めた。
「今、辺境伯様は私の相談を聞いてくださるとご了承されました。辺境伯様がどこで何をするかは、この方が決めることです。あなたが決めることではありません」
アネットは唇を噛んだ。
「そんなに急いでしないといけない話があるだなんておかしい! 私が先にロランに話してたんだから、ルシアーナはそこで待ってなさいよ!」
この言い方には、さすがの私もカチンときた。
他の人の前で恥をかかないようにしてあげようと思ったのに、いらない配慮だったみたいだ。
「なら何の話かあなたにも聞かせてあげる。侍女長、例の物を」
「はい、奥様」
私の後ろに控えていた侍女長が私に手渡したものを見て、アネットは目を丸くした。
「ど、どうしてそれを持ってるの?!」
私が持っているのは、この城の帳簿だ。しかも二冊。
「あら? これが何かご存じなんですね、アネットさん」
私の言葉にアネットは、はっと息を呑んで、口を手で押さえた。
「これは……帳簿か?」
辺境伯の言葉に私は頷いた。
「片方は辺境伯様も確認していた帳簿です。執務室にありましたし、辺境伯様のサインもございました。ただ、支出のところに引っかかるところがありまして」
私はもう一冊の帳簿を出した。
「アネットさん、あなたの部屋を探したらもう一冊帳簿が出てきました。これはどういうことですか?」
アネットはだらだらと汗をかき始めた。
「見せて」
辺境伯にアネットの部屋から出てきた帳簿を見せる。
辺境伯は目を見開いた。
「なんだ……これ」
「横領ですね」
辺境伯は私から、二冊の帳簿を受け取り見比べる。
アネットは、クビにした使用人たちの給金をまだ働いているかのように見せかけて着服していたのだ。
「家令や侍女をクビにしただなんて……聞いてない」
辺境伯は、信じられないという顔でアネットを見た。
……全く、どんだけ信用してるのよ。
「わ、私は悪くないわ」
「悪くない?」
「そうよ! ロランが子供のころ、うちの実家で世話をしてあげたのよ。そのお金を返してもらったと思えば、なんてことないわ」
私の頭の中で何かがぷつんと切れる音がした。
階段を駆け下りて、私はアネットの襟くびを掴んだ。
「あなた今日の朝、辺境伯様はあなたのうちで従者として働いていたと言ったじゃない! 住み込みの従者の衣食住を保証するのは、雇用主の責務だわ!」
アネットは、私の怒声に目を丸くした。
「働いてくれるのは、当たり前のことじゃないの! あなたからは、辺境伯様への感謝が感じられない!」
それはアネットにぶつけている言葉じゃなかった。
私は、アネットにマティアス王太子殿下を重ね、辺境伯に私を重ねていた。
勝手に目が潤んだ。
怒りで、私の肩は震えていた。
「子供時から働かせて、大人になったら勝手に城に転がり込んできて……あなたは彼にありがとうって、言ったことがある!?」
これでは、完全に八つ当たりだ。
私は、かつて殿下に言えなかった言葉をアネットにぶつけていた。
間近で見た私の魔物のような赤い瞳がよっぽど怖かったのか、アネットは短い悲鳴をあげて、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。
笑ってしまう……こういう時、目が赤いと役立つのね。
「ツェラー嬢……」
振り返ると辺境伯の目に涙がたまっていた。
ふふ、血みどろ辺境伯まで怖がらせてやったわ。
「元はと言えば、あなたが使用人たちの顔を毎日見てないのが悪いんです。アネットを調子に乗らせたのは、間違いなくあなたが悪い。領主失格」
愛人だけでなく、辺境伯もしっかり叩いておく。
これで、間違いなく婚約破棄してくれるに違いない。
辺境伯が階段を下りて近づいてくる。
きっとこのまま婚約破棄に――
だけど、辺境伯は私の横を通りすぎて、アネットの前に立った。
あ、先に愛人を励ますパターンね。
「アネット、出てってくれ」
「え?」
私の驚きを無視して、アネットは辺境伯に縋りついた。
「お願い! もうしないから、許して!」
辺境伯は、アネットの腕を掴んで引きずるようにして城の大扉へ向かう。
「ロランのくせに生意気よ! あなたは、私のものなんだから! 私の言うことを聞きなさい!」
アネットは掴まれていない方の手で辺境伯の腕を何度も殴ったが、辺境伯はびくともしなかった。
辺境伯は放り投げるようにアネットを外の雪に投げた。
「ロラン!?」
「……アネット、知ってるか」
いつもと声音が違う。
空気が一段冷えた。
辺境伯の声は、いつもの素朴な青年の声とは、別人みたいだった。
「領主の財産を横領したら、普通は追放じゃない。死罪だ」
そう、彼の言う通り。この国の法律では、そう定められている。しかも、その判決を下すのは、領主本人だ。
なんだ、よく勉強してるじゃない……って感心している場合ではない。このままアネットが追放されれば、私が彼から婚約破棄してもらうための正当な理由が消えてしまう!
「もし明日までこの領地に残っていたら、お前に刑を執行する。死にたくなければ、走れ」
「ひっ」
辺境伯が腰の剣を抜くと、アネットは短い悲鳴をあげて、雪の中を駆け出していた。
魔物の多いこのグラーフ領で、彼女が夜に出歩いて無事にこの領地を出られる保証はどこにもない。
辺境伯は、静かに扉を閉めて、ゆっくりとこちらを振り返った。
真っ赤な赤毛に、橙色の光る眼。
私は、ぞくりと背筋が震えた。
いつもの純朴な顔はどこにもない。
項垂れた彼の姿は、血みどろ辺境伯に相応しい姿だった。
こんにちは!ポムの狼です!
一章は、これでお終いです(^^ゞ
二章も投稿したくなってきたので、ストックができたら、また投稿します。
間が空くかもしれないので、一度完結にしておきます。
読んでいただき、ありがとうございました!




