第6話 ロランの過去
「おい、ロラン。ずっと会いたがってたお嬢様とついに婚約まで漕ぎつけた心境を聞かせてくれよ」
魔物討伐が終わった帰り道。
冒険者時代からの友人で隊の副隊長でもあるユーグがにやけた顔でそんなことを言い出した。
「え、聞いてくれんの」
「おう、なんでも言ってみろ」
「もう……最高だよ」
思い出すだけで顔が熱くなる。
雪みたいに光る綺麗で長い髪に、遠慮がちに覗くルビー色の目。小柄な身長も相まって、まるでウサギみたいな人だ。抱きしめたくなるのを何度我慢したことか。
「でもツェラー嬢は、俺のことを覚えてなかったんだ……」
「あぁ、子どものころにツェラー嬢に助けられたって言ってたよな」
ユーグの言葉に俺は頷く。まぁでも、もう七年も前のことだから忘れていても仕方がないのかもしれない。
「あとは、結婚の時期をいつがいいか聞いたら、『雪が融けた時に』って言ったんだ」
「ん?」
「やっぱり女の人って結婚式に気候とか気にするんだなって。俺の考えが足りなかったよ」
ユーグの顔色が一気に青くなる。何か変なことでも言っただろうか。
「……お前、この土地の雪が百年融けてないこと知ってるよな?」
「あぁ、知ってる。でも、百年前は春も夏もあったって話だから、自然災害とかじゃないわけだろ? なら、たぶん原因は魔物だ。それなら俺でもなんとかできる。きっとツェラー嬢は、俺にそれくらい解決できる男になれって言ってるんだよ」
ユーグがなぜか、隣で泣き始めた。
「もう、それでいい。そういうことにしとこうぜ。俺は、そんなロランを応援する」
「ありがとう、ユーグがいてくれて良かったよ」
俺は早くツェラー嬢の顔が見たくて、馬を急がせた。
* * *
「おかえりなさい、ロラン」
城に帰ると出迎えに出てきたのはアネットだった……ツェラー嬢は、どこだろうか。
ツェラー嬢が出迎えてくれたらって、勝手に想像してたんだけどな。朝は部屋の窓から見送ってくれたのに……もしかして、出迎えも窓だったか?
こちらへ走って飛びつこうとしたアネットをかわして、俺はもう一度城の外へ出た。城の一番高い塔――ツェラー嬢の部屋の窓を見たが、彼女の姿は見えなかった。
「ちょっと、ロラン! 無視しないでよ!」
アネットが腰に手を当て文句を言うから、俺は耳を手でふさいだ。
アネットのこういう口うるさい所が昔から苦手だ。
キャンキャンと吠えるアネットの声を聞くと、昔の記憶が蘇ってきた。
「パパ、この子がいい!」
王都の孤児院。
そこに現れたアネットが俺のことを指さしてそう言ったのが始まりだった。
吊り上がった気の強そうな目。
俺をペットか何かとしか思っていないような態度に、当時七歳だった俺は身震いした。
「アネット……侍女にするなら女の子の方がいいだろうに」
一緒に来ていたアネットの父が止めたが、アネットは何が何でも自分の言い分を通す主義の人間だった。
「嫌! 絶対この子にする! だって、この子が一番顔が綺麗だもん」
その日から、俺はアネットのペットになった。
アネットは、王都にある大きな商会の一人娘だった。平民だけど両親が冒険者だった俺とは、住む世界が違うお嬢様だった。
アネットのわがままには、なんでも付き合わされた。
引き取られてすぐは、髪の毛を伸ばすように言われて、女の子のドレスを着せられた。
俺は学校には通わせてもらえなかったけど、アネットが持って帰ってきた宿題は全部、俺の仕事だった。おかげで読み書き計算は覚えることができた。
身長が伸びてくると、さすがに女の子の恰好をさせられることはなくなったけど、代わりにどこにでも連れていかれるようになった。
劇場や美術館、買い物の荷物持ちは、まだいい。
一番苦手だったのは、他の富裕層の子どもたちも呼ばれるお茶会でエスコートをさせられることだった。
アネットの友達の前で「私がロランのことお婿さんにしてあげる」と言われた時は、顔が引きつるのを必死に我慢した。少しでも変な顔をしたら、家でキャンキャン文句を言われるのが分かっていたからだ。
そんなアネットのわがままを聞いたのかどうかは分からないが、アネットの父の商会長は、俺が十歳になると自分の仕事に俺を同行させるようになった。
ツェラー嬢と出会ったのは、商会長に付いて王宮へ行った日のことだった。
「あなた、どうして死んだ魚みたいな目をしているの?」
商品を説明する商会長を無視して、商会長の後ろに控えていた俺に、ルビー色の瞳の彼女がそう言ったのだ。商会長は、慌てた。
「ルシアーナ様、これは私が引き取って育てている子でして」
「商会長。少し彼と二人でお話がしたいです。一度、席を外していただけますか?」
彼女は、俺と同じ十歳のはずなのに、商会長に物怖じするようなことは一切なかった。商会長は彼女の一言で、王宮の応接室を出ていった。
ツェラー嬢に促されて、商会長が座っていた席に座る。
凛とした美しい佇まいに、何もかも見透かすようなルビーの瞳。
俺は、彼女から目が離せなくなった。
「仕事が嫌なの? ひどい扱いを受けている?」
そんなことを聞かれたのは初めてだった。
ずっと顔に出さないように気をつけていたから、気がつかれたことにまず驚いた。
「……自分のことを自分で決められないのが……嫌なんです」
仕事も、着るものも、選ばせてもらったことは一度もない。
ただ命じられるまま動く生活が本当の自分の生活とは思えなくて、むなしかった。
「なら逃げなさい」
「……え?」
彼女は、俺を見て優しく微笑んでいた。
「あなたを縛るものは、何もない。好きなところに行って、好きなことをしたらいい。平民のあなたには、それができる」
逃げる……考えたこともなかった。
アネットにペットとして縛られている間に、俺は自分で考えることを忘れていたのかもしれない。
「何かしてみたいことはないの?」
「してみたいこと……」
口に手をやり唸った。
少し考えると、父と母が幼いころに聞かせてくれた冒険の話が頭に浮かんだ。
「……父と母みたいに……冒険者になってみたいです」
俺の言葉を聞いたツェラー嬢は、すぐに後ろに控えていた侍女に目配せした。
侍女は、白い紙とペンを彼女の前のテーブルに置いた。
「王都の冒険者ギルドに私から一筆書きましょう。これを持っていけば、追い返されることはないはずです。あなた、お名前は?」
「ロランです」
「ロラン、素敵な名前ですね」
名前を褒められただけ。
ただの社交辞令だ。
だけど俺には、その言葉が今まで聞いたどんな音よりも美しく甘美なもののような気がして、全身に鳥肌がたった。
俺はその後、ツェラー嬢にいただいた紹介状を手に王宮を飛び出し、その足で王都の冒険者ギルドへ駆け込んだ。
彼女の紹介状のおかげで、ギルドは子供の俺に冒険者証を発行してくれた。たまたまそこに居合わせた父の友人の冒険者が俺を弟子にしてくれて、俺は自由を取り戻せたんだ。
「ねぇ、ロラン! 聞いてるの!?」
「ごめん、聞いてなかった。大事な話?」
俺の言葉にアネットはますます顔を赤くした。
「ルシアーナが私のことを邪魔者扱いするの! 今日だって、使用人たちと結託して、私を昼食の席に呼ばなかったのよ! もう私……」
ぐずぐずと泣きだすアネット。本当に面倒だ。小さな子供じゃないんだから、自分のことは、自分でどうにかしろと思ってしまう。
こんなことなら、アネットが城を訪ねてきた時に追い返せばよかった。
アネットがグラーフ城に来た日は、雪の降りしきる日だった。
実家の商売が傾いたと言って、やつれているアネットを吹雪の中、追い返すことができなかった。
「アネット、仕事を見つけたら出ていく約束だったはずだ。いつまでも居座られたら」
迷惑だ――と頭では思ったけど、喉の奥でつっかえた。
ふいに子供のころ、アネットに何時間の怒鳴られた記憶がよぎって、言葉にならなかった。
「そんな……私、ロランのために頑張ってるのに」
アネットの涙が止まらないことに頭を掻いていると、城の中央階段からツェラー嬢が降りてくるのが見えた。
頭の中の嫌な記憶が彼女を見た途端に一気に吹き飛んだ。
俺の体は、勝手に階段を駆け上がっていた。




