第4話 辛かったら実家に帰ったら?
「おはようございます。よく眠れましたか?」
侍女長が部屋のカーテンを開けて、眩しい朝日が部屋に射しこんだ。
「ありがとう、おかげさまでよく休めました」
本当のことを言うと、昨日の辺境伯の『……雪を融かせばいいんだな』という言葉が頭にこびりついて、あんまり眠れなかった。
私が知る限り、この土地は百年は雪が積もったままだ。雪を融かすだなんて、無理な話なのだ。
私は大きなあくびをした。
「あ、見てください、ルシアーナ様。旦那様が魔物討伐に向かわれますよ」
「え、こんなに早くに?」
私は驚いて、窓に駆け寄った。
城の前の広場には馬に跨った兵士が三十人ほど。
その中に昨日見た赤毛も混ざっていた。
辺境伯も他の兵士と同じような格好だ。裏が起毛になったハイネックの革ジャケットに革鎧を着ている。南部でピカピカに磨かれた金属製の鎧を身にまとった兵士に見慣れていたので、あの格好で魔物討伐に行くとは信じられなかった。
「辺境伯軍は百五十人と少ないですが、交代で魔物討伐に出ます。まぁ、旦那様の場合は毎日出ていらっしゃいますが」
「毎日!?」
毎日魔物討伐に出て、一体だれが領地経営をしているのか……財政官みたいなのがいるのかな?
私がガラス窓に額をつけて広場を見下ろしていると、辺境伯の隣の男が私に気がついた。つんつんと辺境伯をつつき、言葉を交わす。
そして辺境伯の顔がぱっと上がった。
私と目が合うと、辺境伯の顔が一気に明るくなった。
ぐっと拳を握り、頷く……何をしてるの?
「あ、副隊長が先に出ましたね」
侍女長の言葉の通り、辺境伯の隣の男が先に馬を走らせ、慌てたように辺境伯も馬を出す。二人が並ぶと何を話しているのか、辺境伯は子供みたいな笑顔で笑った。
「仲がいいのですね」
私には、あんな顔をしてくれなかった。
「旦那様と兵士の三分の一は、冒険者時代からの仲間なのです」
「冒険者?」
初耳だった。王太子の公務の大半を私がやっていたが、冒険者が貴族になったのなどという話は、私のところには入ってきていない。
浮かんだのは、汗を拭く陛下の丸顔。
きっと私に聞こえたら、反対すると思ったんだな……
「はい。旦那様は元冒険者で国王の命により、この土地を救った英雄なのでございます」
侍女長は、顔をほころばせ、辺境伯の武勇伝を語って聞かせてくれた。
侍女長の話によると、元々、辺境伯はこの国出身の平民で冒険者をしていたらしい。
グラーフ領に魔物が大量発生して、辺境伯軍が壊滅状態になり、先代辺境伯が戦死したことで依頼が冒険者ギルドに行ったのだとか。
それで、一騎当千の働きをしたロランに、国王陛下が褒美としてこの土地をお与えになったのだという。
……とんでもない話だ。ということは、あの男は戦いのプロではあるが、領地経営に関しては、ずぶの素人ということになる。泥船に乗っているんじゃないかと一気に不安になってきた。
「朝食を食べたら、帳簿を見せてください」
まだここへ来て一日目だが、領民が苦労するのは見ていられない。
私の言葉に侍女長は目を輝かせて、「奥様……」とぼそりと呟いた。
「奥様はやめて。私はあの男と結婚する気はないの」
昨日聞いてたでしょ?
雪が融けるまで結婚しない――つまり、絶対結婚なんかしないんだから。
その後私は、侍女長が運んでくれた朝食を食べ、温かい北部用のドレスに着替えてから辺境伯家の執務室へと向かった。
――が、扉を開けて、私は開いた口がふさがらなくなった。
執務室にアネットがいたからだ。
「あら、ルシアーナ。おはよう」
アネットは、執務室のテーブルにドレスのカタログを広げて、注文票にドレスの番号を書き込んでいた。
「どうして――」
「あぁ、グラーフ領の経営は、私がしてるの。だって、ロランって、そういうことできないでしょ?」
色々つっこみたいことが多すぎて、逆に言葉が出なかった。
「まぁ立ち話もなんだし、座ってよ」
アネットがにっこりと笑い、テーブルをはさんで向かいの席を勧める。
私が正妻で、あなたは愛人だよね?
なんでそんなに大きな顔ができるの?――と喉元まで出かかって、ぐっと堪えた。
まずは、話を聞こうじゃないか。
私が座ると、侍女長が咳払いする。
「ルシアーナ様が来られたのですから、グラーフ城や領地の管理は、ルシアーナ様のお仕事です。あなたは、それまでの代理という話でしたよね」
「もう、細かいこと言わないの。私は商家の出だから、数字には強いんだから。これからも任せてもらえると嬉しいな」
アネットは、私にぱちんとウィンクした。
「ちょ、ちょっと待って、あなた商家の出なの?」
「そうだよ」とあっけらかんに答えるアネット。だとしたら、この女は平民だ。貴族身分を敬え――とは言いたくないが、敬語を使ってこないからどこかのご令嬢なのだと思っていた。
「失礼ですけど、辺境伯様とアネットさんのご関係をお聞きしても?」
「昨日も言ったじゃん。幼馴染だよ」
幼馴染……確かに辺境伯も元平民で冒険者だ。平民の幼馴染がいることは、何もおかしくない。だけど、なんか腑に落ちないぞ……
「あ、私とロランの出会いから知りたいってこと?」
アネットの言葉におずおずと頷く。私の顔を見て、アネットはニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「ロランの両親は冒険者だったの。それで、ロランが幼いころに仕事で亡くなってね。うちのお父様がロランを引き取ったの。ロラン、顔はいいから使用人にしたら自慢できると思って、私がお父様にお願いしたのよ。ロランはうちで従者として働いてたの。私は、ロランの恩人ってわけ」
なんだろう……
なんでかもやもやする。
「ロランは体は丈夫だけど抜けてるところがあるから、いつも私が面倒を見てたんだよ」
辺境伯の両親が亡くなった話とか、辺境伯が子供のころから働いていた話とか、得意げに話すアネットが嫌だ。
「子供のころは、私がロランのことお婿さんにしてあげるって言ってたんだけどね。いつの間にか勝手に冒険者になって、貴族にまでなっちゃってたんだよ」
まるで辺境伯は、自分の所有物とでも言ってるみたい。
私は、かつて王太子妃として、幼いころから王城にいた自分と辺境伯を重ねた。
「あなたと辺境伯の関係は分かりました。では、辺境伯が叙爵した時に、あなたも迎え入れたんですね」
「違いますよ!」
声を大にしたのは、侍女長だ。
「アネットさんがある日突然転がり込んできたんです。迎え入れただなんて、とんでもない!」
「実家の商売が傾いちゃってさ。困ってるって相談したら、ロランが助けてくれたの。ロランって、私のことをほっとけないのよ。私、愛されてるんだよね」
アネットの言い方は、かなり腹立たしいけど、間違ってはいない気もする。
なんでもないなら、城に置いて女主人みたいな事をさせる必要がない。きっと辺境伯もアネットに気持ちがあるからそうさせているのだ。
「よく……分かりました」
「奥様?」
「ここに私は不要みたいです」
私は、アネットから顔をそむけるように立ち上がった。
ここでも私は、自分の場所を見つけられない。
執務室を出る時、背後からアネットの「私に任せて、辛かったら実家に帰ったら?」という声が聞こえて、唇を噛んだ。




