第2話 お飾りの妻
グラーフ領からの迎えの馬車は、婚約破棄当日に王宮へやってきた。
婚約破棄も、新しい婚約も、知らなかったのはどうやら私だけらしい。逃げられないように、実家にも帰してくれない。
「ルー、やっと解放されたな」
馬車の中、私の肩に座って、ぶんぶんと魚に似た尻尾を揺らしているのは、水の精霊のウンディーネだ。水色の長い髪に上半身は人間のような体、下半身が魚の姿をしていて――まぁ簡単に言うとミニチュア版人魚だ。
ルーというのは、精霊たちが私のことを呼ぶときに使う呼び名である。
「ほんとほんと、あいつらルーをこき使うのに、ぜんぜんルーにお礼とか言わないんだもん。これでやっと自由だね」
頭の上でくるんと一回転したのは、風の精霊シルフィード。
背中に透明な羽が生えていて、よく私の頭上をブンブンと飛んでいるが普通の人には見えないどころか、その羽音も聞こえない。
彼ら精霊は『精霊の愛し子』にしか見えないし、声を交わすこともできないのだ。
普段はどこかに隠れているのだけど、私が一人になるとひょっこり現れて、ああでもない、こうでもないと勝手に話をする。
「自由ではないの。また違うところに婚約に行くだけ」
二人はどうもよく分かっていなかったみたい。
私の言葉に、二人は顔を見合わせた。
「婚約って、あの召使いみたいな生活がまた始まるってことか?!」
ウンディーネが耳の横で大きな声を出すから、私は自分の耳を手で押さえた。
「それはまだ分からない。新しい婚約者様次第かな」
「新しい婚約者様ってどんな人なの?」
シルフィードが心配したように顔を覗く。
「グラーフ辺境伯という方。この国の一番北の土地を守っていらっしゃるの」
「きたー?」
シルフィードが雪の積もる北のグラーフ領を想像したのか、ブルリと身震いした。
「で、その偏屈伯だか、へっぽこ伯だか知らないけど、顔はいいんだろうな?」
「顔?……さあね」
精霊たちは、よく分からない所に引っかかることがある。
人間の私とは、そもそも価値観が違うんだろうな。
「え!? 顔も知らない相手と婚約すんのか!?」
貴族の婚約とは、大抵そういうものだ。
まぁ精霊たちに言っても、きっと文句を言うだけだから言わないけどね。
「そうよ……あ! 赤毛だっていうのは聞いたことがあるわ」
それもうんと鮮やかな色だと聞いた。
赤毛と聞いて精霊たちがハイタッチする。
「赤毛は一等いい! 赤毛に悪いやつはいないからな!」
どんな理屈?
やっぱり精霊たちの考えることは、よく分からない。
「そうと決まれば、この辺の他の精霊たちにも、北に引っ越すように伝えないと!」とシルフィードがくるくると回った。
「え、それは駄目。だって、皆がいなくなったら、王都が大変なことになるじゃない」
私の言葉に精霊たちは、顔を見合わせた。
ウンディーネがニヤリと笑った。
「大丈夫だって、ルー。だってあっちには聖女様がいるんだろ? 俺たちがいたら、逆に力が干渉しあって良くないかもよ?」
「え、そうなの?」
そんなこともあるのね……
シルフィードも目を細める。
「そうそう。私たちがいたら、聖女様に失礼だよ」
私も腕を組んで考えた。
確かに私は不要と言われたのに、いつまでも精霊たちが力を貸していたら、聖女の力を侮ってるって思われちゃうか……? 未来の王太子妃に失礼があってはいけない。
「分かった。じゃあ、また私と話をしたい子たちがいたら、北のグラーフ領に来るように伝えて」
「やりぃ! そう来なくっちゃ!」
「ふふん。あいつらの困る顔を想像するとわくわくしちゃうね! 私、さっそく皆に伝えてくるー!」
シルフィードがブンブンと私の頭上を回ってから、馬車の窓を開けて飛び出していった。
* * *
王都からグラーフ領までは、二週間もの長旅だった。
でも私には精霊たちがいるから話し相手には困らない。
それに十歳のころからずっと王宮で王太子妃教育や公務に明け暮れていたことを思えば、二週間の旅はなんの苦でもなかった。
馬車の外を流れる景色を見ながら、ウンディーネやシルフィードとグラーフ領がどんな場所か話すのは、とても楽しい時間だった。
山を一つ越え、グラーフ領に入ると、辺りは一面の雪景色になった。
凍った白い湖に、赤茶の瓦屋根が続く街並み。
木々まで雪をまとい白くなっている山の上に、ぽつんと城が立っているのが見えた。
ここがグラーフ領……
街を歩く人たちは、皆寒さに頬を赤く染め、体を小さくしている。
南にあった王都とは、全くの別世界のようだ。
「そう言えば、ルー。まだ前髪は長いままなの?」
頭の上を飛んでいたシルフィードがふっと息を吐くから、私の長い前髪が少し揺れた。
「うん。辺境伯様が王太子殿下のように嫌がるかもしれないでしょ?」
「赤毛の男にそんな奴はいないと思うけどな」とウンディーネが腕を組む。何を根拠に言ってるの?
……嫌われたら、やっぱり寂しいもの。
舞い上がった前髪を手櫛で直して、また目を隠す。
弟のように思っていた王太子殿下だけど、馬鹿にされる時はそれなりに胸が痛かった。
曲がりくねる坂道を上り、やっとのことで馬車は城の前へとたどり着いた。
御者のお爺さんが馬車の戸を開けてくれて、手を貸してくれた。
馬車から降りると、雪がくるぶし位あって、ずぼっと足が埋まる。
「ありがとう」
お礼を言うと、お爺さんは驚いたようにふわふわの眉毛をあげた。
「とんでもございません。逆にこんな雪深い土地で……申し訳ないです」
お爺さんは気の毒そうに頭を下げた。
そんなこと、気にしなくていいのに……
というのも、今私は南部の装いのままなのだが、私の背後には、この二週間旅路で合流した精霊たちがうようよと宙を飛んでいる。
今も私が凍えないようにトカゲみたいな姿の火の精霊たちが近くにいるから、ぜんぜん寒くないのだ。
どちらかと言うと、私よりお爺さんの方が心配だ。
この二週間、宿での休憩はあったものの、ずっとこのお爺さん一人が馬車の御者をしてくれた。今も頭や髭に雪を積もらせ、かすかに震えている。
私は、お爺さんに二週間お世話になったお礼がしたくなった。
「お爺さん、お名前を教えて?」
お爺さんは、また眉を上げた。
「グラーフ領で厩番をしております、ジャンと申します」
「ジャンお爺さん、二週間お世話になりました。これ、良ければ受け取って」
私は、ジャケットのポケットから薄くて平たい丸石をジャンに手渡した。
ジャンは丸石を受け取り、少し飛び上がった。
「温かい……不思議な石ですね」
それもそのはずだ。今ジャンの手の平の石の上には、トカゲの形をした火の精霊が丸くなっているからだ。
なんてことないただの丸石だが、火の精霊は、こういう平たくて丸い石を寝床にするのが好きなのだ。
「これは、火の精霊の寝床なの。家に帰ったら、暖炉の上に置いて。部屋が暖かくなるから」
ジャンは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます、お嬢様。我が家の家宝として大切にさせていただきます」
ジャンはポケットに石をしまうと私のスーツケースを持って、屋敷へと案内してくれた。
「ただいま戻りました!」
明かりのない暗い城の中をジャンの声がこだまする。
——誰もいないの?
「おかしいな。誰かはおるはずなんじゃが……」
ジャンが頭を掻いた。
「では、お嬢様の部屋は知っているので、儂が案内いたしましょう」
「ありがとう、ジャン」
ジャンが案内してくれたのは、城の塔の一番上、見晴らしの良い部屋だった。
寝台にクローゼットに鏡台。古いけど、掃除は丁寧にされていた。
ジャンは荷物を置くと「侍女長を呼んできます」と言って、部屋を出て行った。
「見て、ルー! 湖が見えるぞ!」
一番に窓まで飛んでいったウンディーネを追いかけて、私も窓から外を見た。
「ほんとだ……綺麗」
雪で真っ白に染まる山。
山の下に広がる白銀の湖。
この景色を見れただけでも、ここに来てよかったと思えるような絶景だった。
「楽しくなりそうだね、ルー」
シルフィードも部屋の中を飛び回り上機嫌だ。
「そうだね」
願わくば、血みどろ辺境伯がいい人だと、もっといいのだけど。
新しい新居に心弾ませていたその時――
ノックもなしに部屋の扉が勢いよく開いた。
驚いて後ろへ振り返った。
「あなたがロランの婚約者?」
そこにいたのは、ウォームブラウンの髪を肩で切りそろえた、強気な顔をした女の子だった。歳は私と同じくらい……たぶん。
にしても誰? ロランって……あぁ、確か辺境伯の名前がロラン・グラーフだったか。
「そ、そうだけど……」
その子はずかずかと部屋に入ってきて、私に手を差し出した。
「私、ロランの幼馴染のアネット。この屋敷に住んでるの。分からないことは、なんでも聞いて」
アネットは、ニカっと私に笑いかけた。
私は突然のことに事態がよく呑み込めなかった。
「アネットさん!」
慌てて部屋に駆け込んできたのは、侍女服を着た女性。この人が侍女長なのかな?
「ここは、旦那様がルシアーナ様のために用意されたお部屋です! 勝手に入ってはいけません!」
侍女長がアネットを引っ張るようにして部屋から追い出す。アネットは悪気がなかったとでも言いたいのか、「私はただ友達になりたかっただけなのに」と不満げだ。
アネットがしぶしぶ部屋から出て行き、侍女長が私に深々と頭を下げた。
「大変失礼いたしました。申し遅れましたが、私が侍女長のマリーズでございます」
「あ、初めまして、ルシアーナ・ツェラーです……あの、さっきのは?」
幼馴染ってなに?
「アネットさんは、旦那様の同郷のご友人でして……自由な方で、いくら言ってもあんな感じで……」
そういうこと……
期待は、していなかったが、それでも胸がもやもやした。
王太子と聖女のいちゃいちゃを見てきた私には、侍女長が言ったことの意味がよく分かった。
つまり彼女は、辺境伯の内縁の妻で、私がお飾りの妻ってことね。
「分かりました……少し一人にさせてください」
侍女長はまた深々と頭を下げて出て行った。
扉が閉まると窓辺に設けられた腰掛けにすとんと座る。
一体、何を期待していたんだろう……
貴族の結婚なんて、こんなもんじゃない。
「ルー……大丈夫?」
ウンディーネとシルフィードが心配そうに私を覗く。
目頭が熱くなった。
「ごめん……なんでもない」
そう、こんなこと、なんでもない。
だって二回目だもの。慣れないとね。
自分にそう言い聞かせたけど、一度目に溜まった熱は、なかなか引いてはくれなかった。




