Case 01「〇殺」第五節 「捜査」
最初に入った教室は、あまりに普通だった。
机。椅子。黒板。掲示物。
どこの学校にもある、誰の記憶にも少しずつ残っている光景だった。
だからこそ、そこに死の痕跡を探している自分が、少し場違いに思えた。
『天知さん。座席表です』
助手の声に意識を戻す。
画面の中には、四十名弱の苗字が記載されていた。
成績表に載っていたクラスだ。だが、彼の名前はない。
今は六月。
もし鳴川が「いじり」とやらをしていたなら、それは去年の話になる。学年が変わっていれば、クラス替えされていてもおかしくない。
つまり、ここに載っている人物の中にいるとは限らない。
「了解。とりあえず一通り写真を撮ってくれ。教室から何か情報が出るかもしれない。容量は惜しまなくていい」
高校のクラスというものは、学力やコースに応じて分けられている場合がある。
少なくともこの学校は三つのコースに分けられていて、それに対応するように三つのクラスがある。
その子の成績が、「いじり」によって変動しなかったとも限らない。
必要なのは、全クラスの座席表か。
あと必要なのは何だろうか。
助手は教卓の上の座席表を撮影したのち、教室の中央に立った。
大黒板。後方の小黒板。窓。入ってきた扉。
順番に、淡々と撮っていく。
画面を注視しながら、私はいくつかの可能性を組み立てては捨てた。
何もつながらない。
結局、それを全クラス分終えてしまった。
「……次は職員室だ」
後から気づくこともあるだろう。
今は目の前の情報に注力する。
重要なのは、生徒の出欠だ。
大きな精神的負担を、どのような形であれ負ったのなら、多少なりともそこに影響は出る。
他にも、教師の日報や保健室の利用状況がわかれば、ある程度は絞ることができる。
助手が職員室へ移動している間も、私は何度も教室の映像を見返した。
ボディカメラからの映像に注視すべきだとはわかっている。
だが、モヤモヤに勝てなかった。
座席表。掲示物。机の配置。黒板の端に残ったチョークの跡。
不審な箇所がないか、何度も見返す。
何もおかしくない。
だが、何もおかしくないように整えられているようにも見えた。
……いや、悪い癖だ。
情報が足りない時、人は秩序にまで意図を見始める。
小さな金属音がして、私は視線をボディカメラへ戻した。
助手が職員室の鍵を開けたのだ。
職員室も、やはり至って普通だった。
乱雑に立てられたファイル。積まれたプリント。
職員室は、十数年前のオフィスのように少し古臭かった。
テクノロジーに完全には適応しきれていない印象を受ける。
存外、紙のプリントの需要はいまだ高いようで、ところどころに未記入のプリントの束が見える。
こうも紙媒体が多く見受けられれば、つい期待を寄せてしまう。
だが、その実、生徒情報に関してはしっかりと電子管理されていた。
「教師の机をすべて……いや、変に証拠を残すわけにもいかないな。二年の担任の机を調べてくれ」
『ダメですね。授業のプリント程度しかありません』
「予備を仕掛けて、一応全体の写真も頼むよ。終わればすぐ引き上げておいで」
『了解』
取りあえず回収だ。
情報の分析は、帰ってからの仕事にしよう。
しかし、気になるのは今朝つけてきた連中だ。
鳴川の母親には随分と尾行がついていたようだった。
だが、私たちについていたのは、そのうちの一人だけ。
なぜだ。
見落としがある可能性も考慮しなければならない。
ドローンを再起動させ、周囲を捜索しようとした。
その時、運悪く雨が弱まっていく。
スマホで雨雲レーダーを確認すると、雲はだいぶ薄くなっていた。
もうじき止んでしまうだろう。
「ごめん。なるべく急いでくれ。ドローンを飛ばしていられなくなる」
ドローンの映像を確認する。
……一人、誰かいる。
例の人物ではない。
だが、彼らの仲間なら?
だとしたら、助手や私たちを探しているはずだ。
助手は学校周辺で消えた。ならば、そいつが助手を探していてもおかしくない。
「……正門付近にアンノウン。多分、あの歩く速さなら、あと十六秒で君の退避ルートを目視できる位置に入る」
そう言うと、助手は駆け出した。
おいおいおい。
どうするつもりだ。
その荷物を持って。
画面が跳ねる。
地面が流れ、塀が近づき、次の瞬間には視界が高くなっていた。
……登ったのか。
いや、あれは登ったというより、越えたと言うべきだろう。
化け物め。
「……よく頑張った。うん、正直少し引いているけど。取りあえず付近まで車を移動させるよ」
『いえ、せっかく無事なんですから。廃車にして報酬より高くつくなんてごめんですよ。そこで待機してください』
「……」
何か言い返す言葉も思い浮かばないのでドローンを雑助に手へ向かわせる。というよりは体当たりさせる。
……普通に受け取ったなアイツ。
しばらくして助手が戻ってきた。雨具や機材を助手席に詰め込み、何事もなかったように運転席へ座る。
「戻りました。さあ、帰りましょう」
後部座席にいる私を覗き込むようにして、助手はそう言うとエンジンをかけた。
「はーい。領収書はいらないからね。さすがにつけられない」
車がゆっくりと動き出す。
後部座席で揺られながら、私はノートパソコンと睨めっこを続けた。
ボディカメラの映像を、何度も見返す。
鳴川が死ぬ前後の生徒の出欠状況。
これといって目立った不登校や、登校日数の少ない生徒はいない。
死後は一部休んでいるようだが、それも数が多い。
この中に怪しい人物がいるかといえば、まるでわからなかった。
翌日、仕掛けは一応作動していた。
期待していたほどではなかったが、生徒情報の一部は手に入った。
そして、結論から言えば無駄足だった。
情報はあった。
ただ、意味のある情報がなかった。
何もわからなかった。
何もおかしくなかった。
それが、一番おかしかった。
当初から、私は他殺だとは思っていない。
しかし、これほど情報が出てこないとは思わなかった。
実は陰でいじめられていた。
学校がものすごくスパルタだった。
教師との間に重大なトラブルがあった。
そういった要因は、まるで見当たらない。
つまり、自殺なら内的要因。
他殺なら、少なくとも学校とは関係のない場所に原因がある。
「すみません。私が焦ったばかりに、無駄にリスクを負わせてしまいました。……天知さんは、ここに今朝の聞き込み以上の情報はないと、そう思っていましたよね。そもそも、他殺ですらないと考えていて……」
「いや? 何もおかしくないことが分かった」
助手が顔を上げる。
「『不可能を排除していき、最後に残ったものがどんなに信じられなくても、それが真実である』。シャーロック・ホームズの名言だよ。これも必要なことだ」
詭弁だ。
けれど、助手にこれ以上責任を背負わせる理由はない。
彼が自分で動けなくなる方が、よほど困る。
実際、リスク比とコストパフォーマンスで考えれば赤字だ。
だが、だからといって、これ以上赤字を進行させるわけにはいかない。
そもそも、強攻策を提示したのは私だ。
ただ事件の真相を探るだけでは勤まらない。
この仕事、この立ち位置の辛いところだ。
私も私で、考えよう。
行き詰まった時は、大抵どちらかだ。
情報が足りない。
あるいは、前提が間違っている。
意味づけを剥がせ。
推理を白紙に戻せ。
……そうだ。
私は、まだ一つ確認していない。
「助手。依頼者に連絡をとってくれ」
「はい? ……はい。しかし、時間が時間ですので明日でも構いませんか?」
私は微笑んで頷いた。
彼の死について、最初から一つだけ引っかかっていたことがある。




