Case 01「〇殺」第四節「侵入」
外はまだ夏の夕方だというのに、すっかり暗くなってしまった。
相変わらず、激しい雨が窓をノックしている。
窓の隙間から聞こえる風の音。
雨粒が硝子を叩く音。
人の話し声も、車の走る音も、やがてその中に飲みこまれていく。
すると、雨音と風の音だけが私の周りを支配した。
それは激しくも、静かだった。
「今日は本当にいい天気だね」
ぽつりと言ったその一言に、助手は大層怪訝な顔をして窓の外を見つめた。
だから私は、補足するように持論を述べる。
「何も快晴だけがいい天気というわけでもないよ。少なくとも、私にとってはいい天気なんだ。……いろいろと都合もいいしね」
「……では、準備してきます」
私の最後の一言を聞くなり、助手は書類整理の手を止めた。
雨と風は、情緒的な好みだけではなく、侵入の際のカモフラージュにも向いている。
もちろん、都合のいいことばかりではない。足跡も、繊維も、細かな痕跡も流れやすくなる。
少なくとも私にとっては、一長一短といったところだろう。
助手は壁際の鏡に手をかけた。
見た目はただの姿見だが、奥には小さな保管室がある。事件資料や機材を表に出しておくわけにはいかない。
違法なものはない。少なくとも、今ここで問題になるようなものは。
「今回の装備は……暗視ゴーグル、ピッキング道具、カメラですね」
「それでいい」
「護身用の道具は?」
「いらない。持っているだけで、見つかった時の意味が変わる。万が一の時は、ただの空き巣に見えた方がいい」
気持ちはわかる。
何か一つでも身を守るものがあれば安心する。だが、安心のために持ち込んだものが、あとでこちらの首を絞めることもある。
「では、どの情報が必要ですか?」
「ん?私も行くつもりだけど」
「勘弁してください。あなたを抱えて侵入、工作、退却までさせるつもりですか? ボディカメラをつけておきます」
反論したかったが、できなかった。
実際、その通りだった。
私は不服そうな顔だけを、わかりやすく助手へ向けることにした。
助手が準備をしている間、私は学校の防犯設備を洗い直した。
便利な時代だ。
守る側にも、破る側にも。
校門の写真。体育館裏の動画。文化祭の集合写真。SNSに転がる何気ない画像。
それらを拾い集め、カメラの位置、死角、契約している警備会社を洗い出す。
ただ、完全ではない。
体育館側の死角だけは、昼間の写真でしか確認できていなかった。
結局、出発したのは二十二時を回ってからだった。
辺りはすっかり静まり返っている。耳をすませば聞こえたであろう人の話し声も、機械音も、すべて雨音一色になっていた。
それは単に雨音のせいではなく、そこが物静かな住宅地という性質を持っているからだろう。
そんな中に学校はあった。
つい数時間前にも来たばかりだというのに、全くの別物のように感じる。
このあたりの駐車場というのは、看板は赤さびまみれのおんぼろで、しかしその実、最低限のシステムばかりは現代的だった。
電子決済に対応しているとは、正直少し驚いた。
そこへ車を止めると、雨具を着た助手が装備をリュックへ詰め込む。
「じゃあ、改めて作戦を説明しよう。情報は二種類ある。電子媒体と紙媒体だ」
「紙はカメラで撮影ですね?」
「そうだ。優先は成績表と出席簿」
「電子媒体は?」
「サブだ。キーボード内部に細工してある。接続した時点で、仕込んだ記録媒体も同時に認識される。ただ、正直期待値は高くない」
ちょうど助手が手に持っていたキーボードを指さす。
「学校のセキュリティ次第ですね?」
助手の言葉に、私は深くうなずいた。
「あとは君の判断で動いていい。私はドローンと君のボディカメラで先導と指示を出す。この雨なら、ドローンの音も紛れる。防水にしておいて正解だった」
「……了解」
そう一言残して、助手は雨の中へ飛び出していった。
私は車内に残り、ノートパソコンを開く。
ボディカメラも、ドローンも、まだ沈黙している。
ふと、キーボードに置いた手を見つめると、少し震えていた。
冷房が効きすぎたのか。低血糖か。
……正直、慣れることはない。
いくら平気な顔をしても、こういうことの前では身体の方が正直だった。
誰もいなくなった車内に沈黙が落ちる。
息が詰まるような、そんな沈黙が。
それを最初に破ったのは、ドローンだった。
映像が揺れる。
雨粒がレンズを叩き、校舎の輪郭が滲んだ。
視界はやや不良。
だが、飛ばせる。
助手はもう、学校の外周を回っているはずだ。雨具を着ているとはいえ、同じ場所を何度も歩けば通行人の目につく。急がなければならない。
まずは人影。なし。
校門北。防犯カメラが二台。
校門南。一台。
体育館側。予定通り、死角がある。
大変結構。
作戦開始だ。
「問題なし。予定通りだ。そこから入れる」
『了解』
短い返答のあと、ボディカメラの映像が開いた。
濡れた塀。
黒い手袋。
助手の呼吸。
次の瞬間、画面が大きく跳ねた。
塀を越えたのだ。
気づけば、手の震えは止まっていた。
頭の中を支配しているのは、いまだバラバラの事件の情報。
どうつなげるべきか、勝手に錯綜する思考。
そして恐怖は、好奇心に置き換わっていた。
外周確認を終えたドローンは、死角に落として待機させた。
私はボディカメラを通して、助手の動きを追う。
この学校はどんな造りをしているのか。
校舎の動線。掲示物。施錠の位置。古い設備と新しい設備の混在。
そういう細部には、教師たちの管理意識や、生徒たちの扱われ方がにじむ。
革新的か。
慣習的か。
管理的か。
放任的か。
そうこう思考を巡らせていると、助手はすでに扉の前にいた。
小さな金属音がして、私は改めて意識を画面へ戻す。
ボディカメラの視界が、暗い校内へ滑り込んだ。
最初に入ったのは、教室だった。




