Case 02「伝える」第十四節
「本当に便利な世の中になった」
三門彩。彼女のSNSを眺めながら呟く。
ボロは予想どおり少ない。だが、ボロを消した跡にまでは気が回っていないようだ。
投稿頻度を時系列で可視化すると、特定の期間だけ不自然に抜け落ちている。
そして、残された投稿をじっくりと精査する。影、反射、写り込んだ書類。その一ピクセルに至るまで、すべてが情報であり、同時に暗号でもある。
「……問題は証拠ですね」
助手はため息のように息を吐くと、乱れた髪をかき上げ、難しい顔をする。
実際、このようにネットの海に潜って調べるだけでは限界がある。
ただ、手詰まりかというと、そういうわけではない。
「安心したまえ。今回は素晴らしい味方がいる」
私は微笑み、人差し指を突き出して見せる。
助手はしばらくその指先を見つめ、やがて何かに気づいたように私の顔を見た。
「指紋……!」
「そのとおり。九十五点かな」
もっとも、それは完璧主義者にとっては否定に近いのかもしれない。
「……残りの五点は?」
だが、その返しに不快感は見当たらなかった。
「本質は、警察の捜査範囲を扱えるということだ。今まで私たちがヒイヒイ言いながら、違法性というリスクを抱え込んで行っていた捜査を、今回は警察の名の下で軽々と行えるというわけだ。……まぁ、実際にやるのは警察、警部たちだけれどもね」
「つまり、指紋以外にも?」
「君がはっ倒した被害者。その人脈や所属なんかを辿れば、三門彩に行き着けるかもしれない。……まぁ、今回は少し微妙だ。監禁事件では被害者でも、公務執行妨害については被疑者になる。そのうえ、本人が事件を否定している。公務執行妨害については取り調べられても、監禁事件について事情を聞き出すのは難しいんじゃないだろうか。それも含めて、警察がどこまで動けるか……。ただ、不幸中の幸いで、この事件は刑事事件だ。被害者が『なにもない』と否定したところで、客観的な痕跡まで消えるわけではない」
とは言ったものの、かなり困った状況だ。
というのも、推理以前の問題である。
ただの殺人事件なら、犯人と動機と手段を追えばいい。しかし、今回は被害者自身が事件を否定している。
犯人を探す前に、まず犯罪であると成立させなければならない。
法は白黒はっきり分かれ、事件は常に犯人との追いかけっこだ――そんな思い違いは、この業界にいれば嫌というほど打ち砕かれる。
「では、仮に彼女、三門彩が犯人だとして、動機は何でしょうか?」
「少なくとも金銭ではないだろう。単純な憎悪と推論するには、あまりに不可解な点が多すぎる。残った可能性と直感を合わせるなら、痴情のもつれ。もう少し踏み込むなら、二人の間には何か歪んだ恋愛関係があったのかもしれない。被害者の行動が一番のネックであり、同時にヒントでもある。ストックホルム症候群とか、その辺り? ……本当にほとんど勘だけれどね。情報がまだまだ足りない」
「ストックホルム症候群なら、まだ単純な方ですよね」
まだ推論と呼ぶにも早い。
「まぁ、まずは調べよう。三門彩と被害者に関係があるのか。あったとして、そこにどのような動機があるのか」
「……」
そして何よりも、目的を絞らなければならない。今回の事件は最悪、事件として成立しない可能性もある。
私は犯人の逮捕も、正義の執行も、どうだっていい。
私個人の目的は、事件の真相を知ること。探偵事務所としての目的は、警部の信頼を得て、契約によって得た警察との協力関係を最大限利用すること。
……大丈夫だ。今のところ、矛盾も競合もしない。そうだ。極論、捕まえなくたっていい。何が一番確実で、最短なのか。
そう考え込んでいると、疲れ切っていた助手の目が見開かれた。背中を背もたれから離し、短く叫ぶ。
「この男……!」
それに反応して助手のノートパソコンを覗き込むと、そこに映っていたのは三門彩のサークルの写真だった。大学時代のものだから、随分と遡ったようだ。
そして、そこにひっそりと写り込んでいる男には、確かに見覚えがあった。
誰だ? 必死に頭の中を探してみるが、思い至らない。もう一度よく写真を見る。目、鼻、骨格。そうして、ようやく気づいた。
紛れもなく、昨晩の被害者だ。
ただ、あまりに違っていた。昨晩見た彼は写真の頃よりも幾分痩せ、目つきもだいぶ異なっていたため、すぐには気づけなかった。
当然といえば当然ではある。数年も経てば人相は変わる。まして、あのような環境に置かれていたのなら、なおさらだ。
助手が見つけなければ、注意力に乏しい私は見落としていただろう。
「つながりは、大学か」
胸が高鳴り、頭が回り始める。だが、そこで私はいつものように深い思考へ潜れなかった。
聞き覚えのある音を耳が拾ったからだ。意識をそちらへ持っていかれ、窓の外を見る。
聞き覚えのあるエンジン音が、一瞬だけ窓の外を横切った。遅れて窓ガラスに、見覚えのある車体が映る。
車が窓の前を通り過ぎる一瞬、運転席に見覚えのある顔が見えた。
「浅海さん?」
助手も呟き、車を目で追う。助手につられ、私も身体を捻った。
スマホを取り出して時間を確認すると、時刻はすでに九時を回っていた。
「もうそんな時間か。警察もそろそろ、現場をしっかり調べようとする頃だろう。……現場検証の前に犯人の目星をつけられたのは運がよかった。カメラを録画にして、現場へ向かおう」




