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光の航路 ―君がくれた空の色―  作者: tommynya


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第9話 光の航路

 成田国際空港のターミナルを、キャリーバッグを引きながら歩いていると、反射するガラスに自分の姿が映った。


 紺のスカーフを整え、背筋を伸ばして搭乗口へ向かう。

 この制服は私に魔法をかけてくれる。洗練された私へと誘い、もはや高校時代の面影はないのかも。最近では、人の視線を集めることにも慣れてきた。


 でも、この制服を着るたびに、ここへ来るまでの日々を思い出す。何百時間もの英語学習、接客の反復練習、体力トレーニング。あの頃の自分が今の私を見たら、信じられないと思うだろう。だって、私が目指していた私に、本当になれたのだから。


「和泉さん、今日のパリ行きよろしくね」


「はい、頑張ります」


 先輩の声に、自然と口角が上がる。国際線CAとして飛び始めて、もう一年が経つ。日々勉強することも多いけど、毎日の仕事が楽しくて充実している。


「今日もお客様に最高のフライトを提供しましょう」


 先輩の言葉に背筋を伸ばして頷く。



 機内に乗り込み、搭乗口のドアが開くと、エコノミークラスのお客様が次々と乗り込んでくる。私の担当はプレミアムエコノミークラスだけれど、まだ搭乗が始まらないため、エコノミーブロックの搭乗案内をお手伝いする。


 顔を上げた瞬間――見慣れた顔が目に入った。久しぶりに見た彼女の表情は暗い。

 やっぱり……麗華さんだ。以前より少し大人びて見えるけれど、間違いない。


「イロハ、本当にCAになったのね……」


 あの頃の高慢さはなく、驚きと少しの敬意が混じったような声だった。


「お客様、ようこそ。素敵な空の旅をお約束いたします」


 穏やかに微笑んで、席へご案内する。まさか麗華さんをご案内する立場になるなんて。私、頑張ったんだな、と感傷にふける。

 先輩に声をかけられて、担当のプレミアムエコノミーブロックへ戻る。


 乗客の荷物収納を手伝いながら顔を上げたとき、一人の乗客と視線が絡み合って――息が止まった。


 嘘でしょ……? これって夢……? 会いたいという気持ちが幻覚を見せてるの……?

 胸に手を当て、息を吐く。気持ちを落ち着かせてから、勇気を出して声をかけた。 


「湊先生……ですか?」


 声が、自分でも驚くくらい震えていた。五年ぶりの先生の姿に、頭がついていかない。スーツ姿が昔の先生のイメージとは少し違う。


 何度も夢で見た再会が、今、現実に起こっている――叫びたくなる気持ちを必死に落ち着けながら、先生の瞳を見つめた。

 あの頃からちっとも変わっていない。


「和泉さん、本当にCAになったんだね。すごいよ!」


 先生が嬉しそうに微笑んでくれた。

 胸が躍るのを止められない。初恋の人、一番好きだった人がそこにいる。でも今は仕事中だ。誰にも気づかれないように、ポーカーフェイスを貫かないと。


 ◇


 それからしばらくして、エコノミーブロックから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。担当の先輩CAが忙しそうにしているのを見て、応援に向かう。


 赤ちゃんを抱いたお母さんが、必死にあやしているけど泣き止む気配はない。

 すると、突然、通路の男性客が立ち上がった。


「うるさい! この餓鬼! どこまで迷惑かければ気が済むんだ!」


 お母さんが泣きそうな顔で謝っているのに、男性客の怒りは収まらない。


「謝れば済むと思ってんのか! 金返せよ!」


 周囲のお客様が不安そうに様子を見ている。このままではダメだ。この場を納めるため、私は男性客のもとへ静かに近づく。


「お客様、どうされましたか? 機内ではお静かにお願いいたします」


 穏やかに、でも芯が通る声で注意をすると、男性客の矛先が私に向いた。


「お前らCAが何もしないからだろ! 無能! 隣がうるさくて我慢できない! 席を替えろ!」


「空席を確認してまいりますので、少々お待ちいただけますか?」


 その場を離れ、機内の空席を確認してから数分後。戻った私は静かに声をかけた。


「お客様、ファーストクラスに空席がございますので、そちらにご案内いたします」


「ありがとうございます……」


 申し訳なさそうなお母さんをファーストクラスへご案内しようとしたとき、背後で男性客がまた怒鳴っていた。


「ちょっと待て! 俺が迷惑かけられたんだろ! 移動するのは俺だろう!」


 そのとき、麗華さんが立ち上がった。迷惑客の斜め後ろの席に座っていたから、さっきからこちらの様子を気にしてくれていたのだ。


「ちょっと、あなたが迷惑かけてるんでしょ! 赤ちゃんが泣くのは自然なことよ! 静かにしなさい!」


 驚いた。麗華さんが、こういう言い方をするなんて。こんなに正義感が強い人だとは思わなかった。


 私は、その場を収めるため、男性客に向き合うことにした。機内の空気が張り詰める中、冷静に芯の通った声で告げた。


「お客様、このような迷惑行為が続く場合、航空法に基づき、機長判断で最寄りの空港に緊急着陸し、降機していただくことになります」


 男性客が一瞬言葉を失うが、私は完璧な笑顔を保ったまま続ける。


「その場合、違約金および緊急着陸に伴う多額の費用を請求させていただくことになります。さらに、威力業務妨害として刑事告訴の対象となる可能性もございます」


 機内がシーンと静まり返る。男性はバツの悪そうな顔になり、一言も発しなくなった。


「お客様、私たちは快適な旅をお約束しますが、マナーを守っていただくのも旅の一部です。お選びください。お静かにお過ごしいただくか、それとも――」


 男性客は血の気が引いた顔で「す、すみません……」と小さく謝ると、機内はしばらく静寂が流れ、自然と拍手が沸き起こっていく。


 お母さんと赤ちゃんをファーストクラスにご案内してから、お礼のつもりで通路を歩きながらお客様に会釈して回ると、麗華さんの唇が震えているのが見えた。


 窓の外を見つめながら何かを呟いている。「変わりたい……でも」そんな言葉が聞こえた気がしたが、私と目が合うとすぐに逸らして黙ってしまった。その瞳は揺れていた。こんな彼女を見たのは初めてかも。



 トラブルがすっかり落ち着いた頃、ドリンクサービスを再開しながら麗華さんの席に立ち寄り、声をかけるとゆっくりと口を開いた。


「……私が間違ってた。才能だけじゃダメなんだね。英語が話せて、容姿が良いってだけだし……。今から必死に勉強し直して、来年またJNAを受験するわ。合格できたら、その時は……同僚として迎えてくれる?」


「はい。勿論です」


 笑顔で答えると、少し間を置き、麗華さんが続けた。


「……あの試験で恥ずかしい失敗をしたの。面接で『お客様が機内で体調を崩された場合、どう対応しますか』って聞かれて……『CAコールで呼んでもらって対応します』って答えたら、『あなたがCAなのですが?』って言われて。何も言えなかった」


 麗華さんの声は掠れていた。


「祖父が創業者でも関係なかったの。むしろ、『採用基準は、ご祖父様が最も大切にされていた実力主義の理念に忠実です』って言われて……初めて、自分がどれだけ甘かったかわかった」


 初めて見る麗華さんの弱弱しい表情に、かける言葉が見つからない。


「……私、イロハのこと見下してた。高校の時、地味で目立たなくて……CAなんて無理だって思ってた。でも、イロハは諦めなかった。努力して夢を掴んだ。私は……才能があるって天狗になって、努力しなかったから落ちた……」


 瞳からは涙が零れそうで、彼女の震える手をそっと握る。


「諦めちゃダメですよ。私も何度も諦めそうになりました」


「でも……あなた、いつも完璧だったじゃない」


「完璧なんて程遠かったです。ただ、毎日少しずつ前に進んだだけです」


 麗華さんが目を丸くして、私を見上げる。


「麗華さんは本当に英語が上手だし、才能もあります。努力すれば、絶対CAになれます。私なんかより、ずっと素質があるんですから」


「……私を、応援してくれるの?」


「はい! 勿論ですよ」


 力強く頷くと、麗華さんの目からポロポロ涙がこぼれた。


「ありがとう……イロハ。私、絶対合格する。そして、イロハみたいなCAになる」


 穏やかに微笑んで、「いつでも歓迎します。今度は一緒にフライトできるといいですね」と答えた。来年は一緒に働けたらな、と心の底から願った。


 ◇


 その後、プレミアムエコノミーのブロックに戻り、先生の席へドリンクサービスに向かうと、先生の方から話しかけてきた。


「さっきの対応、本当にかっこよかったよ。あの男性、何も言えなくなってたね」


「お客様のマナーが悪ければ、しっかりと指摘するのが私たちの役目ですから」


「本当に頼もしいな、君は」


 もう先生じゃないけど、あの頃と同じように優しい目で私を見てくれている。先生に褒められるのが好きだ。心がホカホカ温かくなって、涙がでそうになる。気持ちが溢れ出しそうで……どうしたらいいのかな。


 その時、先生の隣に座っていた方から、突然話しかけられた。


「CAさん、彼氏いらっしゃるんですか?」


「いいえ」


 突然なんなんだろう。この仕事はよくこういう質問をされるから、もう慣れたけど。


「じゃあ、こいつどうですか? ずっと独身なんですよ。知り合いなんですよね? この人、ずっとあなたを目で追ってましたよ」


 思わず苦笑いが漏れた。先生がその方の肩を軽く叩く。おそらく仲の良いお友達なのだろう。でも、独身ってどういうこと? だって先生は……。


「やめろよ、迷惑かけるな。まぁ、ずっと一人なのは本当だけど……」


 ――えっ! 先生ってまだ結婚していないの? 心の中でそう叫んでいた。


 バレンタインのとき、「婚約者がいる」と言って振られたことを思い出す。その方とは上手くいかなかったのかな。先生がフリーだなんて信じられない……。


 何度かドリンクやフードサービスで先生の席を訪れるたび……視線が交わう。ほんの少し言葉を交わすだけで、ときめきが止まらない。五年経っても、恋心は変わらないようだ。


 高校時代の記憶が荒波のように押し寄せてきた。甘酸っぱさと失恋の痛みが一度に蘇って、頭の中が混乱する。先生ともう一度、ゆっくり話してみたいな……。

 そう思いながらも行動できないまま――パリへのフライトは続いた。



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