第5話 文化祭の花火
文化祭が近づくと、学校中が準備の熱気に包まれた。
私たちのクラスは「世界の航空会社カフェ」を出すことになって、私はCAの制服風の衣装で接客係を担当することになった。更衣室で衣装を着てみると、友人たちに囲まれる。
「似合ってるね、イロハ!」
「ありがとう。でも本物の制服はもっと素敵なんだよ」
照れながら答えたとき、湊先生が近づいてきた。
「いらっしゃいませ、本日はどちらへ飛ばれますか?」
先生に向かってそう言ってみると、先生は穏やかに微笑む。
「本物のCAみたいだ。その制服、似合ってるよ」
頬が熱くなった。先生が笑ってくれるだけでこんなに幸せな気持ちになるなんて。最近はこんな近くで話せる機会もなかったし、もっと話したい! と思ったけど、もう行っちゃった。先生が他の生徒に笑いかける姿をただ見つめるしかない。
そこへ麗華さんが現れて、「私が一番似合ってるでしょ?」と彼女のCAスタイルを見せびらかしてくる。確かに麗華さんの容姿は抜群で、周りの男子が一斉に視線を向けているし、私が勝てる要素はない……。
落ち込んでいたら、部屋の隅から蒼の声が飛んできた。
「イロハの方が100倍似合ってるよ。麗華は見た目だけだからな!」
蒼はいつも私が落ちそうな時助けてくれる。でも、麗華さんの顔が鬼のように怖い。フォローしなきゃと思い、声をかけた。
「麗華さんも素敵ですよ」
静かに言うと、麗華さんは不満そうな表情を浮かべながらも、それ以上何も言わずに立ち去っていった。彼女の扱いは難しい……。
準備が進む中、莉緒が手作りのパンフレット案を見せてきた。
「イロハ、このパンフレットどう思う? 世界中の航空会社をもっと詳しく紹介したいんだけど」
「すごい! でも、日本の航空会社だけじゃなくて、シンガポール航空やエミレーツ航空なども入れたら? 世界の五つ星エアラインって言われているところも」
「イロハってほんとに詳しいんだね。さすがCAを目指してるだけあるよね。そうだ、イロハに任せよう。航空会社の説明係!」
気がつけば、自然とみんなの中心になっていた。教室の隅から先生が和やかに見守っているのを確認してから、照れながらも自信に満ちた気持ちで準備に戻った。
◇
文化祭当日。準備万端でそれぞれが持ち場に着く。受付でのご案内は、CAになれたらこんな感じなのかな、と想像を湧きたてた。
「いらっしゃいませ。本日はどちらへ飛ばれますか?」
緊張しながらも、笑顔で外国人の観光客に英語で対応する。手には自作の搭乗券風メニューを持ち、制服のスカーフを整えながら頭を下げる仕草は、本物のCAにちょっとだけ近づけた気がして、少しだけ誇らしかった。
「“We have special menus inspired by in-flight meals from around the world. Would you like to try our Japanese airline selection?”」
(訳)(私たちは、世界中の機内食にインスパイアされた特別メニューをご用意しています。日本航空のセレクションを試してみませんか?)
「“We also have Singapore Airlines’ famous satay and Emirates’ Middle Eastern mezze platter. These five-star airlines are known for their exceptional service standards.”」
(訳)(また、シンガポール航空の名物サテーや、エミレーツ航空の中東メゼプレートもご提供しています。これらの五つ星航空会社は、卓越したサービス基準で知られています)
流暢とは言えないけれど、一生懸命英語で説明する私の横で、麗華さんが軽くため息をついた。
「へぇ、イロハって意外と英語できるんだ。でも発音がね……」
「まだまだです。でも、もっと頑張ります」
落ち込みそうになったけど、すぐに笑顔に戻れた。麗華さんの言葉は相変わらず刺さるけれど、それより今日できることを全力でやりたい。これが私の夢なのだから。
見かねた蒼が、麗華さんに向かって吐き捨てた。
「少なくともイロハは、見た目だけじゃなくて中身も磨いてるから。麗華とは大違いだな」
麗華さんは顔を赤らめて黙り込む。言い返せない私のために助け船を出してくれる蒼に感謝しないと。いつか、対等に麗華さんと話せるようになりたい。そのためには努力あるのみだ。
◇
カフェは大盛況のうちに終了して、生徒たちが慌ただしく撤収を始めたころ、外はもう黄昏時が終わろうとしていた。
「和泉さん、今日はよく頑張っていたね」
片付けの合間を縫って、先生が声をかけてくれた。久しぶりの二人きりの会話に、胸の高鳴りが止まらない。
「ありがとうございます……」
「本当のCAになった姿も見てみたいな」
先生の言葉に、気がつくと指先がスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。先生の視線は、私をおかしくさせる。
あなたの深海より深い海で溺れてもいいですか……?
先生と距離ができてから、頭の中でずっと不安が渦を巻いていた。でも先生の優しさを信じたい気持ちが、背中を押してくる。
今しかない。怖いけど……勇気をださなきゃ。
「先生、最近私と話してくれなくなりましたけど……私、何かしたんでしょうか……?」
やっと言えた。先生が少し困ったような表情を見せる。
「いや、その……君と田中君は、付き合ってるんだよね? 彼に悪いと思ってね、遠慮してたんだ……」
目が大きく開いた。やっぱり誤解してたんだ。
「違います! 蒼とはただの幼馴染です! 恋人じゃありません!」
言葉が口から飛び出す。先生は目を見開いて驚いてるみたいだけど、でもどこか安心したような顔にも見えた。
「そうだったの……? 二人仲良いから、てっきり……」
その瞬間、外からドーンという花火の音が鳴り響いた。文化祭のフィナーレを飾る花火大会が始まったのだ。
「見に行きましょう!」
気がついたら、先生の手を引いて階段を駆け上がっていた。人ごみを抜けて、普段使われていない教室に入る。
「あれ? ここは……」
「ここ、花火が綺麗に見えるんです。去年偶然見つけた、秘密の場所です。先生は花火好きですか?」
花火が夜空に咲くたびに、窓ガラスが橙色に光る。隣に先生がいて、同じ空を見上げている。それだけで、胸がいっぱいだった。
ふと視線を感じて横を見ると、先生がこちらを見ていた。目が合っても、逸らさない。いつもより、しっかり見つめてくれている気がする。
ずっと見つめて欲しいし――見つめていたい。
「うん。でも今日は特別に綺麗に見える」
先生がそう言って目を細めた。言葉にはしてくれないけど、きっと先生も私と同じ気持ちかもしれないと思ってしまう。
先生……自惚れてもいいですか?
そのとき、「バーン」という大きな花火の音にびっくりしてバランスを崩してしまう。転びそうになった瞬間、先生が反射的に手を伸ばして、私の腰に腕を回して支えてくれた。
「危ない! 大丈夫?」
顔が近い!
先生の唇がすぐそこにあった。花火の光でお互いの表情がはっきり見える。鼻がくっつきそうな距離で止まり、言葉を失う。吐息が聞こえるくらい近くて、花火の音に合わせるように、徐々に鼓動も大きくなっていく。
「和泉さん……」
「先生……」
先生の手が私の背中でかすかに震えて、一瞬、先生の瞳に見たことのない熱が宿った気がした。
そして、先生の顔がゆっくりと近づいてくる。
キスされる――!
そう思った瞬間、廊下から人の気配がした。
誰か来る! そのタイミングで二人は同時に、さっと距離を取る。顔が火照りすぎて溶け落ちそうだ。
「す、すみません……」
私が謝ると、先生も少し恥ずかしそうに頭をかいた。
「いや、こちらこそ……」
花火はまだ続いているが、二人の間に流れる空気はそれ以上に熱くて、もう何も言えない状態に。無言でただ花火を眺めている。
先生、この想い抑えられそうにありません……。
先生も同じ気持ちですか? 聞いてみたいけど、聞けない。
誰も来なければ、キスしてくれましたか……?
空に咲く花火が、二人だけの秘密を優しく包み込んでいく。




