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光の航路 ―君がくれた空の色―  作者: tommynya


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第11話 パリのランデブー

 夕暮れのパリの空は、まるでギィ・デサップが描くパリの風景みたいに、鮮やかなオレンジ色に染まっている。。


 サン=ジェルマン=デ=プレの小さなカフェで、私は先生を待っていた。制服を脱いだ今日は、等身大の自分でここにいる。もう、どうにかなりそうだ。先生に会う緊張が、甘い痛みとなってジリジリと胸を焦がしていた。


 今日のコーデは、お気に入りのペールブルーのドレスワンピースにデニムジャケットを合わせた。ジャケットは軽く肩に掛けて。肌が綺麗に見えるように、首元にはプラチナのネックレスで飾る。少しは華やかに見えるはずだ。鎖骨に触れるたびに気が引き締まる。


 デートなんて大学の時以来か。友人の紹介で何回かお茶したりしたこともあったけど、友達以上に進展することはなかった。親密になるのが怖いというより、自分の中にある聖域――先生との思い出を上書きすることを、脳が拒否するのだ。我ながら、こじらせすぎだと思う。


 カフェラテのカップに映る自分の表情を見つめながら、五年前の卒業式での別れを思い出す。桜の花びらが舞い散る中で、先生の瞳に何かが秘められていた気がする。それが、昨日の告白だったのかな。「夢を追いかけて」と言ってくれたあの声が、今でもはっきりと耳に残っている。私の頑張る原動力だったから。


 先生ともう少しで会える。夢に何度も見た二人だけの時間だ。本当に来てくれるのかな?


「待たせたかな?」


 振り返った瞬間、世界が一瞬静止した。ネイビーのコートに白いシャツ。袖からのぞく腕にはシルバーの腕時計が光を受けて輝いている。笑いながらこちらに歩いてくる先生の長い指が肩にそっと触れた瞬間、電流が全身を駆け抜けた。声が出なくなりそうで、平然を装うのに必死になる。


「今来たところです」


 少し嘘をついた。ずっと前から来ていたけれど、それは言わなかった。

 先生は、ギャルソンにカフェを注文してから、尋ねた。


「パリは何度も来ているの?」


「国際線CAの特権かも。パリには月に一度くらい来ています」


 少し誇らしい気持ちで言うと、「それは頼もしい」と笑ってくれた。

 カフェを一口飲み、先生が尋ねた。


「CAになるまで、大変だった?」


「はい……」


 少し遠い目になった。


「英語の勉強、毎日五時間。接客マナーの訓練、体力トレーニング……何度も諦めそうになりました」


 窓の外のパリの街並みを眺めながら続ける。


「でも、先生の言葉を思い出すんです。『絶対CAになれる』って……あの言葉があったから、辛くても諦めなかったんです」


「でも、頑張ったのは君だよ」


「いいえ」

 首をフルフルと振る。

「先生がいなかったら、私は夢を諦めてました。だから、先生は恩人なんです。私でもなれるって、励まして貰えたことが力になったんです……それに、先生のために絶対ならなきゃって……」


 先生が静かに言葉を失った。


「俺のため……?」


「はい、先生の夢を私が叶えるんだって。空を飛びたかったって先生言ってましたよね」


「覚えててくれたの……?」


 先生は目を細めた。パイロットの夢を諦めた話、忘れるわけないよ。


「夢を追いかける中で、私は強くなれました。今、こうして先生の隣にいられるのも……あの時、諦めなかったからです」


 少しの沈黙の後、二人ともカップを空にした。


「そろそろ、行きましょうか」と声をかけると。先生も「そうだね」と返してくれたから立ち上がる。


「私の好きなパリをお見せします!」


 カフェを出て、先生の手を取った。文化祭の花火の時みたいだ。これは夢じゃない。本当に先生とパリを歩いているんだ。脳裏に打ちあがった花火が蘇る。あの夜、キスしそうになったことを急に思い出して、恥ずかしくなる。あの日のこと、先生も覚えてますか……?


 二人はサン=ジェルマン=デ=プレからスタートして、メトロを使いながらエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通りと巡っていく。CAになってから覚えた知識を先生に話しながら歩く。観光客向けの説明じゃなくて、先生だから話したいことを選んだ。


「CAになって、色々勉強したんです。パリは何度も来るから、本を読んだり、現地の人と話したり……」


「あの時から、君はいつも好奇心旺盛だったよね」


 先生、私のこと本当に覚えててくれたんですね――心の中でそう呟いた。

 シャンゼリゼ通りを歩いている時、あるショップの前で、少し立ち止まった。


「以前ここに来た時、いつか大切な人と歩きたいなって思ったんです。まさか、先生と来れるなんて……」


「もう先生じゃない。ただの湊悠真だよ」


 二人で笑い合った。もう、先生じゃないんだな。隣にいてもいいんですよね?

 凱旋門前に着いて、テンションが上がってしまう。


「フランスの歴史が詰まっている場所で、私たちの新しい物語が始まるなんて」


 何言ってるんだろ私。でも先生は優しく、「そうだな」と笑ってくれた。


 次は、メトロでリュクサンブール公園へ。人込みが疲れたから、公園で休もうと思って。木々を抜ける風が、髪を揺らしていく。少し休憩してから、歩いてセーヌ川に向かう。水面に映る雲の動きが、なんとなく私の心境と重なる気がした。


 ポンヌフ橋がなんか好き。映画とかにも出て来るし有名っていうのもあるけど、恋人と来るイメージがある。恋人ではないけど、初恋の人と来られるなんて、夢にも思わなかった。


 橋からセーヌ川や古い建物を眺めていると、先生が時折こちらを見るから、目が合ってしまう。その度に何かをこらえるような表情になるのが気になった。


「なんですか? そんなに見つめて」


「君は本当に綺麗になったな……って」


 躊躇なく言った。深くて温かい声で。

 心臓がぎゅうっと握られたみたいで倒れそうになる。先生にそんなこと言われたら本当に倒れますよ?


「高校生の制服の君も可愛かったけど、今日の君はもっと……自由に輝いている。まるで翼を広げた鳥のようにね」


 言葉が出てこなかった。高校にいたころの先生は、こんなことを言わなかった。

 だいだい、こんなキャラじゃなかったし……常に一線を引かれていたから。


 でも今、先生の目には隠すことのない想いが満ちている。先生ではなくて、これが素なんだと思った。


 ◇


 夕食はモンマルトルの小さなビストロで。

 キャンドルの灯りが二人の顔を照らして、影が壁に踊っていた。

 赤ワインのグラスが、テーブルの上で静かに揺れる。ビストロ特製のカモのローストとフォアグラ、フランスチーズとワインの組み合わせは絶妙だった。


「五年も経つのに、先生は変わりませんね」


「君は変わったな」

 少し間を置いてから、続く。

「大人になったね」


 また、見つめられて、とろけそうになるのを耐えながら、先生の近況を聞く。


「高校を辞めてからは、大学で教え始めたんだ。研究と授業で忙しい日々だよ」


 何気なく話しながら、先生が時折こちらを見てくれるが、その視線は熱を帯びている。


「まさか友人の結婚式で来たパリで再会するなんて、不思議なものだね」


「そうですよね。奇跡だって思ってます」


「君が国際線CAになったってSNSで知った時、嬉しかったよ」

 グラスを傾けながら続く。

「あっ、フォローしてたんだ……我ながら、どうかと思うけど」


「……見てくれてたんですね」


「うん……なんか、ごめん」


 首を横に振る。だって、先生が私のこと、ずっと見ててくれたなんて、思いもしなかったから……。


「でも、同時に……君がもう遠くへ行ってしまったような気がして、寂しかった」


 胸がざわめいた。そんなことないよ……だって、ずっと先生のこと忘れたことないのに。


「私も……CAになれたことを、先生に知らせたいなって思ってました。でも、連絡先も分からなくて……でも、これでDM出来ますね」


「ああ、そうだな。教師も辞めたのに、メールするのも変かと思って、こっそり見守ってて、ごめん……でも、あの卒業式の日から、君のことを考えてたんだ」


「えっ……そうなんですか?」


「教壇に立つたび、君の席を探したりね。もういないとわかっているのに……それで、教師辞めて大学に戻ったんだ」


 目に涙が滲んだ。私のせいで辞めたんですか? 噓でしょ。先生の中で私の存在は、そんなに大きかったのかな……。


「私もです……フライト中、窓から空を見るたびに、先生のこと思い出してました」


「俺のこと忘れないでいてくれて嬉しいよ」


 両手で顔を覆った。顔が火照って前を見られない。

 もう、無理です……先生の視線が熱すぎて、とろけました……どうしてくれるんですか?


「もう、恥ずかしいです……」


「どんなに研究に没頭しても、君のことが頭から離れなかった」


 グラスを持つ指が、わずかに震えているのに気づいた。


「あの時は、君の将来を邪魔するわけにはいかなかったから」


 キャンドルの灯りが先生の瞳に反射して、星のように輝いている。


「でも今は違う。君は自分の翼で飛び、俺も自分の道を見つけた。もう、邪魔するものは何もないね……」


 喉が熱くなった。長い間秘めていた想いが、胸いっぱいに広がっていく。


「はい……ずっと……こんな日が来るのを待っていました」



 言葉のないまま見つめ合ううちに、閉店時間になっていた。いつの間にか、店内は私たちだけに。


 ビストロの扉を開けると、夜のパリが広がっていた。

 サクレ・クール寺院から、オペラ座あたりまで、一時間ほどの夜の散歩を楽しんだ。


 静かな路地を抜けながら歩いているうちに、いつしかポンヌフ橋へ戻って来ていた。

 セーヌ川の水面にパリの灯りが映って、天の川みたいに瞬いている。お昼よりロマンチックな世界が広がっている。ここから見る景色は格別だ。


「やっぱり綺麗ですね、パリの夜景って」


「そうだな」


 隣に立つ先生が、こちらを見つめた。

 寒くなってきたな、と思って肩をすくめていたら、先生がコートをさっと脱いで、私の肩にふわっと掛けてくれた。


「ほら、着てて」


「え? でも先生が……」


「風邪ひくよ」


 コートをかけてもらった瞬間、温かさが広がった。先生の手がほんの少し肩に触れる。その温かさと先生の手の感覚で、ドキドキが止まらない。まるで、抱きしめられているみたいだ。


「明日は午後からフライトなんです」


 この、楽しい時間が終わりを迎えようとしている。辛くて、川面を見つめる。でも、別れがどんどん近づいていくのは変わらない。


 無意識に私の手に触れた先生が、その冷たさに驚いたように声を漏らした。


「……手、冷たいな」


 手を包み込まれてしまった。温かかいです先生……でも、もう心臓が持ちません。


「五年間、一日も君を忘れたことはなかったんだ」

 囁くような声だった。

「まさかパリで一緒にこんな時間を過ごすことになるなんて、運命を感じるよ」


 先生を見上げると、月明かりの下、真剣な瞳に私の姿を見つけた。


 高校時代からずっと夢見てきた想いが、今この橋の上で解き放たれようとしていた。


「私も……ずっとあなたのことを想っていたんです」


 声が小さく揺れる。

 ゆっくり引き寄せて抱きしめてくれた。額を彼の首筋に埋めて、私も背中に手を回す。夢みたいだ。自分の気持ちを受け入れてもらえるって天国みたいなんだな。


 高校の時、カフェで唇に指が触れそうになった瞬間を思い出す。あの時も、こんなふうに息が止まったな。でも今は違う。あの頃は一線を引かれてて、すぐに目を逸らしてしまった先生が、今は逸らさないで、こんなにも見つめてくれている。


「君に会えて、本当に良かった。この五年間の空白が、今この瞬間で満たされていく……もう我慢できない。あの頃は言えなかったけど……今は言える」


 先生の顔が近づいてきて、息が頬を撫でる。先生の指に唇が優しく触れられて、身体の芯まで熱くなっていく。

 ゆっくりと唇が近づいて来て、触れ合うほどの距離になり――先生の唇が、そっと触れた。


 頭の中が真っ白になった。五年間、何度も夢で見たのに、実際に触れるとこんなにも違う。夢の中の先生はいつも遠くて、手を伸ばすたびに消えていってしまったから。


 でも今、先生はここにいて、私をちゃんと抱きしめて、キスしてくれている。


 私の鼓動と先生の鼓動が、同じリズムで響き合っているような気がした。涙が溢れそうになった。長い間抱き続けてきた想いの結晶が、今この瞬間にほどけていく。


 唇が離れると、先生が私の目をじっと見つめた。もう以前のような冷静な表情はなく、抑えきれない感情が溢れている。指先で頬を撫でて、手を握る力がこもっていた。


「まだ一緒にいたい」


 彼の胸で甘えるように言ってしまった。もう、この気持ち抑えるなんて出来ないから。


「俺も……本当は、まだ帰したくないんだ……」


 先生も同じ気持ちみたいだ。でも、帰されてしまうのかな、となんとなく思った。

 しばらく、二人でセーヌ川の灯りをぼんやりと眺める。別れの言葉は出てこないし、かといって動くこともできなくて、ただ肩が触れ合ったまま立っていた。


「……五年ぶりに会えたのに、こんなに早く別れるなんて、俺には無理だ」


 ポケットに手を入れた先生が、少し迷うような仕草をしてから、なにかカードみたいなのを取り出した。手がわずかに震えていて、持っているそれが、街灯に反射してキラっと輝く。

 あ、と思った。これって……。


「友達の結婚式のおかげで、ル・シャンリに泊まれるんだ。部屋からはエッフェル塔が見えるよ」


 五つ星のホテルのカードキーだ。いつもの先生なら、ここで引くだろうと思っていたから驚いた。でも、今日は別人みたいだな……高校の時も、カフェの時も、花火の時も、ギリギリで止まってきたのに。


 先生は私たちの間にある、分厚い壁を壊そうとしている――。


「今夜、一緒に過ごしてくれない? 夜明けまで君と話していたい」


 プロポーズみたいな言葉だった。

 どうしよう、と思った。怖いわけじゃない。ただ、この先に進んだら、もう戻れない。

 でも……戻りたいのかと問われたら、答えはNOだった。


 しばらく黙っていた私に、先生の指がためらうように、私の手に触れてくる。そのまま、ゆっくりと握られて、指先が愛おしさに揺れた。先生の手を握り返して、心の奥まで熱くなりながらも「はい」と答えた。


 一瞬息を呑んだ先生が、柔らかく微笑む。


「君と再会できたのも、このパリでの出会いも、全て運命だね。もう離さない。君を失うのは、もう二度とごめんだ」


 先生って情熱的な人だったんだな……。ぽーっとしている間にタクシーに乗っていた。


 タクシーが走り出すと、窓の外にパリの夜景が流れていく。言葉は少なかったけれど、強く握り合う手が温かくて、寄り添った肩から伝わる温もりが、全部を語ってくれていた。


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