8. 気ままな街歩き
今日は、とてもよく晴れている。
石畳に落ちる陽光はやわらかく、街路樹の葉の隙間からこぼれた光がきらきらと揺れていた。
風も穏やかで、歩くたびにスカートの裾がふわりと広がる。
胸いっぱいに澄んだ空気を吸い込むと、それだけで気持ちが少し軽くなった。
――アルベルクの街は、今日も人で溢れている。
通りの中央では観光客が地図を広げ、露店の前では子どもたちが目を輝かせている。
一方で、その脇を、仕立ての良い外套に身を包んだ大人たちが迷いのない足取りで通り過ぎていった。
「さすがアルベルクだな。話が早い」
「投資先としてはここが一番面白い」
「午後の講演、第3会場だろ? 人が集まりすぎてるらしい」
経済が動く音が、街のざわめきに溶け込んでいる。
店からは焼きたてのパンの香ばしい匂い。
果物の甘い香りに混じって、インクと革の匂いが漂う。
観光地でありながら、働く人の匂いがする――それが、公爵領アルベルクだ。
そんな中、私はいつものように“アリ”と名乗って歩いていた。
顔馴染みも多く、少し歩くだけで声をかけられる。
「お、アリちゃん。久しぶりじゃないかい」
「お久しぶりです」
「今日は珍しい魚が入ったんだ。見て行ってよ」
「本当だ。見たことのない魚だわ」
「アリちゃん、似合いそうな髪飾りがあるよ」
「素敵ですね。奥さんにも似合いそう」
こうした何気ない会話が、私は好きだ。
貴族の世界のように、家柄や婚約の噂で空気が張り詰めることもない。
ここで交わされるのは、今日の天気や売れ行き、次に仕入れる品の話。
(……やっぱり、いい街)
笑顔が多い。
肩書きよりも、今を生きる力が尊ばれている。
――けれど。
耳に入る話題の端々に、違和感が混じり始めていることにも気づいていた。
「森の奥、また農地がやられたらしい」
「魔物だな。数が増えてる」
「この前は、街の外れまで来たとか……」
観光客には聞こえないよう、声は低い。
だが、帳簿を閉じる指や、視線の動きが、その不安を隠しきれていなかった。
(……街の外で、確実に何かが起きている)
公爵家の魔導騎士団は優秀だ。
それでも追いつかないほどの被害――そんな噂が、ゆっくりと街に染み込んでいる。
気分を変えようと、最近話題のケーキを食べに喫茶店へ向かおうとした、そのとき。
通りの向こうが、ざわついた。
焦ったような怒鳴り声。
次いで、悲鳴。
「逃げろ! 魔物だ!」
「こっちに向かっている! 早く!」
帳簿が地面に落ち、紙が風に舞う。
露店の籠が倒れ、果物が石畳を転がった。
視線の先――
通りの奥で、黒い影が石畳を叩き割るように暴れている。
――魔物が、街に現れたのだ。




