9. 襲来
――魔物の出現。
ベルナール家の人間として見過ごすわけにはいかなかった。
この国には二つの公爵家がある。
その一つ、ベルナール家は代々、強い魔力を受け継ぐ血筋だ。
私自身も十歳の検診で高い魔力量を示し、暴走防止のために王家から抑制のブレスレットを与えられた。
アクアマリンをはめ込んだそれは、優美な装飾品に見える。
――だが実態は、魔力を抑制する拘束具。
外せるのは王家の者だけだ。
(今は邪魔。……でも)
そんなことを言っている場合じゃない。
通りの向こうで、黒い魔物が暴れていた。
人より一回り大きな体に、獣のような角。
煤を固めたような鱗が、陽光を鈍く弾いている。
逃げ惑う人々の中で――
ピンク色の髪の少女が、石畳に座り込んでいた。
懸命に立ち上がろうとしている。
けれど、震える膝が言うことを聞いていない。
魔物が低く唸り、爪を振り上げた。
「……っ、動いてよ……!」
絞り出すような声。
怖くても、諦めずに逃げようとしている。
気づけば、私は走り出していた。
「下がって!」
少女の前に滑り込むと、魔物の緑の瞳が、まっすぐこちらを捉えた。
両手を構え、魔力を練る。空気が震え、青白い光が弾ける。
「私が時間を稼ぐ。あなたは逃げて!」
雷光が炸裂し、魔物の足元を弾き飛ばした。
だが、厚い鱗に阻まれ、決定打にはならない。
次の瞬間、巻き起こされた突風が身体を叩き、数歩後ろへ弾き飛ばされる。
「……っ!」
魔物は再び風を絡め取り、巨大な気流を生み出した。
反射的に火を放つ。炎が風に巻き上げられ、灼熱の渦となって魔物へ叩きつけられる。
――避けられた。
地面が焼け焦げ、焦げた匂いが鼻を突く。
動きは鈍い。それでも、一撃が重い。
再び魔力を練ろうとした瞬間、ブレスレットがじり、と熱を帯びた。
魔力の流れが締め付けられる。
(……制限が、きつい)
それでも構わず、もう一度雷を放つ。
しかし、魔物は上体をひねり、風の塊をこちらにぶつけてきた。
強烈な衝撃で、息が詰まる。
それでも私は、逃げなかった。
――ここで逃げたら、あの子も、街の人も巻き込まれる。
手のひらを突き出し、残る魔力を叩き込む。
弱い雷光が、魔物の足元をかすめる。
「今のうちに……逃げて……!」
少女が、涙をこらえて立ち上がった。
「ありがとう……! でも、あなたも――」
言葉は、轟音にかき消された。
怒り狂った咆哮。
一直線に突進してくる魔物。
(……避けられない)
そう思った瞬間――
まばゆい金色の光が、暴風を切り裂いて視界を貫いた。
誰かが、私と魔物の間に立っている。
陽光を受けて輝く、金糸のような髪。
その背中を最後に、私の意識は音もなく沈んでいった。




