40. ふたりの休日
――そして、約束の日が来た。
五日という時間は、思ったより早く過ぎていった。
(たとえ婚約破棄の未来が待っているとしても――何も知らないまま避け続けるのは、失礼よね)
そう結論づけ、昨日届いたワンピースに袖を通す。
白いブラウスは光をやわらかく返す薄手の生地で、丸襟には紺の繊細なステッチ。
胸元の細いリボンが初夏の風にそっと揺れ、重ねた紺のワンピースは歩くたび静かになびく。
階下に降りると、すでに殿下が待っていた。
「アリーヌ、迎えに来たよ」
「……はい、シリル」
殿下は紺のライトアウターを羽織っており、内側には、私のブラウスに合わせるような、細い白のステッチがさりげなく走っている。
そして――私と殿下の胸元には、同じ桔梗のブローチが輝いていた。
馬車に乗り込むと、ふと視界に黒縁のメガネが映る。
「……メガネ、ですの?」
(……似合いすぎでは?)
「ああ、これは少し特殊でね。光の魔力で、赤の他人には顔が判別できなくなるんだ。
ぼんやり“誰かがいた”とは思われるけど、特定はされない」
「まあ……便利ですわね」
「王族に代々伝わる魔道具なんだよ」
その声にはほんの少し誇らしさが滲み、思わず笑みが零れそうになった。
◇
「――着いたよ」
馬車を降りると、懐かしい風と活気のある声が迎えてくれた。
「……アルベルク……!」
「まずは散歩から。せっかくだし、自由に歩こう」
「は、はい!」
胸が高鳴る。忙しさにかまけて、街へ足を運ぶことすら久しかった。
「ねえ、今日は人目につくから、僕のこと“シリー”って呼んで?」
「……わかりました。それなら――」
「うん。君のことは“アリ”って呼ぶ」
「……え?」
(街で使っていた名前……知ってる? まさか……偶然よね……?)
歩けば次々に声が飛ぶ。
「アリちゃん!? 久しぶりだねぇ!」
「その隣のイケメン、もしかして彼氏かい?」
「ち、違っ……!」
「ええ、お付き合いしています」
「し、してないですわ!?」
笑い声と温かな視線に包まれながら、街はまるで私を歓迎するようだった。
(……やっぱり、この街が好き)
そんな中、殿下が小さく指差す。
「ここ、入ってもいい?」
「もちろん」
そこは――ナタリーが経営する雑貨店だった。
「あら、アリちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、サリー」
店内を歩くうち、ふと視線が吸い寄せられる。
「……素敵」
「箱?」
「アクセサリーや思い出を入れる小箱です。鍵付きで……貝の装飾が、とても綺麗」
限定品のそれは、傾けるたびに螺鈿が虹色の息を吐くように輝く。
蒼から桃色へ、そして金へ――一瞬ごとに変わる光が、小さな世界に波紋を描いているようだった。
「これにしますわ」
「じゃあ、僕が払うよ」
「いえ、自分で」
即答すると、彼はほんの一瞬目を瞬かせる。
「遠慮しなくていいんだよ? 誘ったのは僕だし」
「違いますの。“自分で稼いだお金で好きなものを買う”ことが嬉しいんです」
そう告げると、彼の表情が柔らかく緩んだ。
まるで、大切な宝物を見つめる人のように。
「……そういうところ、好きだよ」
その声音に、心臓が跳ねる。
(――今日という日は、思っていたよりずっと危険だわ)
なのに、怖いと思うより――心が弾んでいた。




